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第10話 犬の治療

「まずはお前の症状を説明しよう。俺が知っている限り、これは瘴気病と言われるものだ」

「がう?」

「簡単に言うと魔獣になりかけているってことだ。つまり――」


 俺は丁寧に瘴気病についてわかっていることを説明していく。


 魔力が少ない普通の人間や動物は瘴気の中では生きていけない。

 瘴気から体を守ってくれるのが魔力だからだ。


 だから、瘴気あふれる腐界で生きていけるのは魔力が多い者だけである。


 だが、魔力が多い者でも、瘴気を浴び続けて何ともないわけではない。体には悪いのだ。

 弱ったり怪我をしたりした場合、そこから瘴気が入り込むことがある。

 そして、かかるのが瘴気病だ。


「簡単に言えば、魔力の少ない者が瘴気を浴びるとすぐに瘴気病になってしまうんだよ」


 そして急激に進行し、あっという間に死ぬ。


「瘴気病は誰でもかかるが、魔力が多いほどかかりにくく進行が遅く……って聞いてないな」

「がふがふがふ」


 犬は俺が埋めた角魔猪の内臓を食べている。

 説明が難しすぎたのか、お腹が減りすぎていたのか。多分その両方だろう。


「それ、腐ってないか? 大丈夫か? お腹壊すぞ? 腐ってない肉もあるが……」

「がう~がふがふ」


 どうやら、犬にとってはこのぐらいは大丈夫らしい。


「大丈夫ならいいか。とりあえず、薬を作るから大人しく待ってなさい」

「げふ」


 よほどお腹が空いていたのか、犬は内臓をたくさん食べた。

 食べ終わると横になり、眠り始めた。


「……神経がずぶとすぎるな」

『つかれてたんだねぇ』


 モラクスが犬を優しい目で見つめている。


「まあ、大人しくしてくれるならいいんだけど」


 俺はポケットから魔導書を取り出した。

 それは、焦げ茶の革表紙で、縦横厚さが二十センチ、十五センチ、三センチほどの大きさだ。


『それなぁに?』

「これは師匠にもらった魔導図書館っていう本だよ。これ自体が魔導具なんだよ」


 外見は普通の本だが、ページ数は数十万ページある。魔法の鞄の原理と同じだ。

 もっともこの本の方が古いので、魔法の鞄がこの本の原理で作られているといった方が正確だ。


『すごいねぇ』

「モラクス、眠くない? 寝ていて良いんだよ?」


 真夜中に起こされたモラクスは眠いだろう。

 モラクスは赤ちゃんなので必要な睡眠量も多いのだから。


『もらくす、ねない』

「そっか。無理はするなよ?」


 俺はモラクスを撫でると、魔導図書館を読み込む。

 瘴気病の作り方や材料については頭の中に入っているし、何度も作ったこともある。


 それでも、患者に使ったことはない。

 とても慎重に、見落としや忘れていることがないか確認していく。


「よし、材料は……、モラクス。草を少し分けてもらえるか?」

『いいよ』

「ありがとう」


 俺はモラクスが自分で食べるために集めた草から主原料となる草を取り出した。

 緑色の太くて長い葉の草である。


『そんなくさでいいの?』

「ああ、実は瘴気病の治療薬の主原料は、腐界にはたくさん生えているんだよ」


 逆に外の世界ではとても珍しいものだ。


「犬は初期の瘴気病だから、塗り薬で良いな」


 末期に近づくと内臓にも瘴気が溜まる。その場合は飲み薬で治療しなければならない。

 飲み薬はとてもまずいし、胃腸への負担も多少あるので、塗り薬で済むなら塗り薬がいい。


「草を乾燥させて粉末にした物に清浄な水と魔石のかけらを混ぜて……」


 瘴気病の治療薬の作り方を教えてくれたのは師匠だ。

 何度も何度も厳しく指導されたものである。


 腐界に入れば誰でも瘴気病になる可能性はあるのだから薬を作れなければならない。

 それが師匠の口癖だった。


 師匠の教えのおかげで、俺は腐界でも楽しく生きていけるのだ。


「師匠、ありがとう」

『ねね、てぃるのししょうって、どんなひと?』

「めちゃくちゃ凄い魔導師だよ。俺は師匠ほど強い魔導師はしらない」


 エルフで年齢不詳。魔力は膨大で、魔力操作の精密さも見事だった。

 魔法について知らないことは無いんじゃないかというほど知識も豊富だ。


『ほえー。もらくすもししょうにあいたい』

「そうだね、でも師匠は腐界には近づけないから」

『なんで?』

「本人は呪われているからって言ってたよ」


 腐界に近づけない呪いなんて聞いたことがない。

 もしかしたら瘴気臭いから近づきたくないだけかも知れなかった。


「よし、できた」

『はやい』

「何度も何度も練習したからね。これを犬にぬって……」


 俺は横になって寝ている犬の手足と尻尾の先のヘドロっぽいところに塗っていく。

 魔法で犬の体の状態を観察しながら、慎重にだ。


 瘴気病の塗り薬は粘性が高く、塗ると直ぐに乾燥して固まるのだ。

 塗る前に固まったら、清浄な水を足して練り直す必要があるので、急がないといけない。


 薬を塗ると、直ぐに手足と尻尾の先のヘドロ様の瘴気が揺れた。


「うん。ちゃんと効果が出ているな」


 何度も作らされたとはいえ、実際に使うのは初めてだから少し緊張していたのだ。


「傷も治してあげようかな」


 傷だらけの状態だと、瘴気への抵抗力が弱くなり、瘴気病の回復も遅くなる。


『なおせる?』

「傷薬のポーションなら、錬金術で作れるよ」

『すごい』


 俺はモラクスに見守られながら、傷薬ポーションを作っていく。


「腐界は錬金薬の材料が豊富で良いな」


 材料となる薬草がそこら中に生えているのだ。しかも品質が極めていい。


『くさいけどね』

「そうだなー。腐界が臭くなければ、もっといいね」


 俺は傷薬ポーションを多めに作っておく。少量ずつ作る方が面倒だからだ。


清浄プリフィカチオ


 犬の傷に清浄の魔法をかけてから、傷薬ポーションを塗っていく。


「これでよし。……それにしても、起きる気配がないな」

『あんしんしたのかな?』

「そうかもな。犬。大丈夫だよ。そのうち良くなる」


 俺が寝ている犬を撫でると、犬は全身をビクビクさせた。


「……痛いのか?」

「……ぁぁぅ」


 小さく寝言を呟いたが、犬は起きなかった。


「夢を見ているだけか。完治まで数回塗る必要があるだろうが……」

『よかったね』


 モラクスも優しく犬を見つめている。


「モラクス寝よっか」

『もらくす、ねる』


 俺とモラクスは犬を置いて、小屋に戻ると毛布にくるまる。


 犬は寝ているし、そもそも野生なので、小屋の中に連れていったら緊張するかもしれない。

 だからそっとしておいた。


 それに、これ以上深く関わったら飼いたくなってしまう。

 それは犬が望んでいることではないかもしれない。


 モラクスは俺に体をくっつけながら尋ねてくる。

『ねね、くすりをぬったときなにしてたの?』

「ん? あれは魔法を使った診察だよ。魔力を使って体の様子を調べるんだ」


 俺にできるのは調べることだけ。

 魔力を使った治療は、魔導師ではなく神の領分なので、俺にはできない。


 治療は錬金術で薬を作るのが基本となる。


『すごい』

「診察も師匠にたたき込まれたなぁ」


 過酷な環境で生きていくならば、自分や仲間の体を調べることぐらいはできた方がいい。

 そう師匠は言っていた。


 俺が撫でていると、モラクスはすぐに寝息を立て始めた。


「すー……もっ……すー」


 モラクスの寝息を聞きながら、俺も眠りについたのだった。



 数十分後、俺は家の中に犬が入ってくる気配で目を覚ました。


「ん? 外の方がいいんじゃないのか?」

「ぁぅ」

|そっか、いいよ。でも板の間に上がるのは少しだけ待て。魔針アクス


 犬が汚いまま板の間に上がろうとしていたので、魔針の魔法をかけてやった。

 魔針は極小の魔力の槍を放つ魔法だ。

 それを数百本撃ち込んで、犬に付いたダニやノミなどを退治したのだ。

 もちろん、犬には針一本当ててはいない。


「ついでに炎でダニの卵も焼いておいて……」


 毛を焦がさないように、卵だけ焼くのは難しい。

 できるようになるまで、何度、牧場の牛に小さなハゲを作ったかわからない。 


「あのときの牛にも感謝だな」


 ダニを見つけることも難しいし、ダニだけを狙うのも難しい。

 非常に精密な魔力操作が求められる。


「農家と牧場で害虫退治を頑張ったことが役に立ったな……」


 広大な畑にいる大量の虫の中から益虫を殺さないようにして、数万もの害虫だけを退治したのだ。

 それに比べれば、犬は小さいし、ダニの数も少ないので簡単ともいえる。


「あとは清浄プリフィカチオ


 念のためにもう一度、清浄で汚れをとって完了だ。

 あとで風呂に入れてやりたい気もする。俺も風呂に入りたい。


「うん。綺麗になったからあがっていいよ」

「きゅーん」

「とりあえず、寝なさい。面倒なことは全部明日だ」


 撫でると犬は俺の匂いをふんふんと嗅いでから毛布に入り、直ぐに眠りについた。

 清浄をかけたというのに、犬からは懐かしい犬の匂いがしていた。

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