「今夜は来訪者が多いな。また魔物か? いや、……この気配は……なんだ?」
『まものじゃないね』
俺と同時にモラクスは目を覚まして、すぐに起き上がる。
「でも、瘴気の気配がしてるけどって、モラクスは寝てて良いんだよ?」
俺は外の存在に気づかれないように小声で会話する。
モラクスは草食動物だけあって、危険を察知するのが得意なのかもしれなかった。
『もらくす、ねない』
何者かが近づいてきている状態では、不安で眠ることも難しいのかもしれない。
「そっか。わかった。でも、安全を確認するまで小屋の中で静かにな?」
「…………」
モラクスは無言でこくこくと頷いた。
「それにしても、一体何者だ?」
瘴気を感じるので聖獣ではないと思う。だが、魔獣の気配とも違う。
「……魔獣になりかけか? とりあえず確かめてみないと」
古文書で読んだことがある。
聖獣以外の動物や人間は、瘴気病にかかることがある。
瘴気病におかされると、手足から徐々にヘドロ様の瘴気に覆われていく。
瘴気に全身が覆われると魔獣や魔人となってしまう。
もし、何者かが瘴気病なのだとしたら、放置はできない。
起きあがった俺は玄関の扉から外を窺う。
モラクスはついてきて、俺の後ろから外を窺っている。
「いい? 安全を確認するまでは外に出ないでね?」
モラクスは赤ちゃんなので何度も念押しをしておく。
子供は言いつけを守らず、飛び出しがちだからだ。
俺は気配を消して、静かに外に出て、何者かの様子を窺う。
(犬だな)
体型は犬で、体高一メートルぐらい、つまり大型の狼より一回り大きいぐらいだ。
瘴気の気配のする犬型の生き物。そこだけを考えれば犬型の魔獣だ。
だが、魔獣特有のヘドロ様のものに覆われているのは手足と尻尾の先っぽだけ。
頭と胴体は全体的に灰色っぽくて、もふもふしていた。
そして、全身が傷だらけだ。
(似てるな)
昔飼っていた愛犬にそっくりだ。
犬は好きだ。
小さい頃、まだ両親が生きていた頃、犬を飼っていた頃があった。
その賢くて可愛かった愛犬の最後を思い出すと、今でも胸の奥がぎゅっとなる。
(……あの犬は古文書に載っていた瘴気病かな)
瘴気病なら治してやりたい。
(まだ軽度の瘴気病で魔獣になりきってないから治せるはずだし)
魔獣には二種類ある。
魔獣として誕生した先天的魔獣と、普通の動物が瘴気に侵されて魔獣になった後天的魔獣だ。
母親が魔獣の場合、子も魔獣として生まれてくる。それが先天的魔獣だ。
先天的な魔獣は、生まれた直後から極めて強いことが多い。
だが、後天的魔獣は魔獣になったばかりの頃は弱いのが普通だ。
年を経るごとに徐々に強くなっていく。
まだ魔獣になっていない瘴気病にかかっただけの動物は、元の動物より弱いぐらいだ。
(それにしても、瘴気病の犬にしては、強すぎるな)
あの犬は本当にただの瘴気病だろうか。俺も古文書で読んだだけなので判断がつかない。
俺が観察を続ける間も、犬は静かに穴を掘っている。
(あいつ、何をして……あ、俺が角魔猪の内臓を埋めたところか)
そのとき、犬は内臓を掘り当てたらしい。腐臭が漂ってくる。
「がふがふがふがふ」
犬は嬉しそうに腐った内臓を食べ始めた。先っぽがヘドロに覆われた尻尾を振っている。
瘴気にまみれた野犬でも、可愛いと思ってしまう。きっと昔飼っていた犬の影響だろう。
(……治療するためにはまずは捕まえないとだな)
「
「ぎゃう!」
俺は氷魔法を使って檻を作りその犬を一瞬で閉じ込めた。
犬は慌てて飛び跳ねて、檻に牙をたてる。
「諦めろ。俺の檻は牙で噛んだぐらいでは壊れないぞ」
俺は家から出て、ゆっくり近づきながら言う。
俺が魔法で作った檻なのだ。
火魔法であぶろうと、剣で斬りつけようとハンマーで殴ろうと簡単には壊れない。
「がるるる! ガウ」
次の瞬間、犬は口から炎を吐いた。かなりの威力だ。
俺は咄嗟に
ものすごく驚いたが、平静を装った。
「危害は加えない。診察させてくれ。それに炎ぐらいで、俺の作った氷檻は――」
「ガルルル」
炎を吐くだけでなく、炎をまとった爪と牙で、氷の檻を切り裂きかみ砕こうとする。
犬が想定以上に強くて、さらに驚かされたが、声や表情には出さない。
「だから、そう簡単には壊れ――」
――ガギィン
氷の檻を壊すと、犬は脱走を試みた。必死に逃げようとしているが遅い。
「
即座に土魔法で檻を作って改めて、閉じ込める。
「ぎゃう!」
「お前のことが気になる。調べさせろ」
本当にこの犬には、何度も度肝を抜かれた。
炎を吐くだけでも驚きなのに、爪と牙に炎をまとうとは。
しかも、俺の作った氷檻を壊すとは。
俺の氷檻は、魔竜だって閉じ込められるほど頑丈なのだ。
「ウーッウー……ウゥ?」
俺を睨み付けて牙を剥いて、唸っている犬を、檻の外から観察する。
すると、唸りながらも犬は何か混乱した様子を見せた。
もしかしたら、犬は人族を見るのが初めてなのかもしれない。
犬は俺の氷檻を壊すほど強い魔力を持っていた。
にもかかわらず、足は遅かった。
「お前、ただの瘴気病の犬じゃないな?」
『だいじょうぶ?』
「大丈夫だよ」
戦闘が終わったと判断したモラクスが声をかけてきたので返事をする。
俺は怪我もしていないし大丈夫という意味だったのだが、
「も~」
モラクスは駆けてくると、俺に体を押しつける。
外に出ても大丈夫だと返事をしたと思ったらしい。
「モラクス、まだ危ないから……小屋の中に……」
俺がモラクスを撫でていると、いつの間にか犬から殺気が消えていた。
「……がう」
犬は大人しく伏せをして俺とモラクスを見ている。
『このこ、せいじゅうだよ』
「……ん? 聖獣なのに瘴気病にかかる、つまり魔獣になることがあるのか?」
『なる』
古文書には聖獣は瘴気病にならないと書いてあった。
瘴気病の研究も発展途上ってことだろう。
『びょうきになったりけがしたりしてよわるとなるときもあるって、ままがいってた』
モラクスの母牛がそう言っていたのならば、そうなのだろう。
「……聖獣か」
聖獣犬だから、同じ聖獣であるモラクスが俺に懐いているのを見て殺気を消したのだろう。
「お前が瘴気病が進行し魔獣になるまで、俺は危害は加えない。だから安心しろ」
「……がう」
聖獣だから犬は俺の言葉がわかるようだ。
「檻を解除するが、逃げるなよ?」
「がぁぅ」
俺が檻を解除しても、犬は大人しく伏せをしたまま逃げなかった。
「うん、良い子だ。断言はできない。だがお前のことは治せるかもしれない」
「がう!?」
犬の目が輝いたように見えた。