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第9話 遊園地

 伊月と陸斗は、バスの車窓からの眺めに目を輝かせていた。家族ではない、友人との遠出はちょっとした冒険にも似ていた。時速60kmで流れては消える景色を、伊月と陸斗は並んで目で追った。


(肩が・・・あったかい)


 伊月は、右肩に感じる陸斗の体温に頬を染めた。


「なぁ!」

「え、アッはい!」


 まるで自分の鼓動が伝わったかのようなタイミングで振り向いた陸斗との距離は、いつもより・・・とても近かった。


「伊月、制服じゃないと高校生みたいだな!」

「そうですか?」

「大人って感じがするわー」


 伊月は上質な黒い綿シャツに紺のデニムパンツを履き、確かに大人びて見えた。伊月が髪を掻き上げる仕草に、通り過ぎる女子高生たちが振り返っていた。


(ちぇっ)


 片や、陸斗は白いTシャツに黒いジーンズ、黒いキャップ。出掛ける際、遠藤美樹に『やっぱりあんた猿だわ』と指を指されて笑われた。どこか不満げな陸斗の横顔を見ているうちに、伊月の口から言葉がポロリと溢れていた。


「陸斗くんは、カッコいいと思いますよ?」


 伊月の脳裏に、窓から飛び降りた瞬間に見せた厳しい表情、風をはらんだ白いカッターシャツが浮かんでは消え、彼の胸を締め付けた。


「伊月〜、おまえだけだよ!そう言ってくれるのは!」


 陸斗は何気なく、その肩を抱いたが伊月の胸は激しく脈を打った。陸斗は肩を抱きながら、ふと伊月の目を見て、照れ臭そうに笑った。伊月は膝の上で握り拳を作り、掌には汗をかいた。


「うおっと」


 バスがカーブを曲がるたびに吊り革が左右に揺れ、伊月の心臓もそれに合わせて揺れた。低く唸るバスのエンジン、古びたシートが軋む音、遠くに響く女子高生の笑い声、騒めくバスの車内にまるで2人だけの空間が広がっているような錯覚を覚えた。


「あ、ごめん」

「大丈夫です」


 陸斗はグレーの瞳で伊月の顔を覗き込んだ。


「顔、赤いぞ?」

「えっ、そうですか?」


 陸斗の無神経なほどの明るさに、伊月はいつも心を奪われていた。彼の笑顔は、まるで無邪気な子どものようだった。いくつかの停留所を過ぎ、青信号と赤信号を繰り返したバスは2人を乗せ、ゆっくりとブレーキを踏んだ。バスが遊園地のバス停で止まると、遠くで観覧車がゆっくり回り、子供たちの笑い声が響いた。伊月は、色とりどりの風船が揺れる光景に、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


「ここですか」

「なに、おまえ来たことねぇの!?」

「幼稚園の頃、来たような気がします」


 遊園地の入り口でメリーゴーランドの音楽が響き、伊月の脳裏に、母親と手を繋いで歩いた幼い日の記憶が蘇った。ある日突然、母親は姿を消した。以来、父親は仕事優先で、伊月は寂しい幼少期を過ごした。その場所に、今、陸斗とこうして立っている。胸に熱く込み上げるものがあり、視界が滲むのを必死で堪えた。


「感動してたりする?」

「え」

「おまえ、泣きそうな顔してる」


 陸斗は言ったが、いつもの明るい声に一瞬の戸惑いが混じった。伊月の視線を避けるように、陸斗は遊園地の看板を見上げた。


「お、美味そう」


 伊月と陸斗の傍を通り過ぎる子どもたちは、キャラクターのポップコーンバケツに山盛りになったそれを笑顔で頬張っている。ポロポロと、アスファルトの道路にポップコーンが溢れた。すると、どこからか遊園地のスタッフが現れ、ホウキとちりとりで清掃し始めた。


「すごいですね、清掃委員会も驚きです」

「すげープロだな」

「はい」


 伊月と陸斗はポップコーンを買うために、腰丈までしかない小学生の後ろに並んだ。照れ臭さで思わず苦笑いしてしまった。陸斗は目を細めて遠くの看板を見た。


「塩味とキャラメル味がありますよ」

「塩とキャラメル・・・キャラメルだな!」


 伊月はポップコーンの甘い香りに、幼い頃の母との記憶をふと思い出した。でも、陸斗の笑顔を見ると、胸の奥の寂しさが少しだけ薄れる気がした。


「陸斗くんは、実は甘党ですね?」


 陸斗は気まずそうに視線を逸らし『悪ぃかよ』と襟足を掻いた。伊月は目を細めると優しく微笑み、その照れ臭そうな顔を見た。ポップコーンを手にした2人は、一息つける場所を探して歩いた。


「ここにしませんか?」

「日陰だしな!」


 伊月と陸斗は芝生に座ってポップコーンを頬張り始めたが、いざこうなるとなにを話して良いのか言葉に詰まった。色彩豊かな観覧車がゆっくりと時間を刻んで行く。


「アッ!」


 そこで伊月は遠藤美樹から手渡された籐のバスケットを思い出した。


「そうでした!サンドイッチを食べましょう!」

「お、おお。そうだな」


 伊月はぎこちない動きで蓋を開いたが、瞬間手を止め、もういちど蓋を閉めた。バスケットの蓋を開けると、遠藤美樹の走り書きしたメモが目に入った。『ちゃんと仲良くしろよ!』と書かれた文字に、伊月の頬がさらに熱くなった。


「なにしてんだよ、ほら、サンドイッチくれよ」

「ど・・うぞ」


 伊月は膝の上でバスケットの蓋を開けた。ポップコーンの甘い香りが漂い、遠くでジェットコースターの轟音と楽しげな悲鳴、子供たちの笑い声が響き合う中、芝生広場の片隅で、伸ばした2人の指先が触れた。伊月と陸斗はなにかに弾かれたように手を引っ込めていた。


「な、なんだよ」

「なんでもありません、びっくりして」


 2人の指が触れた瞬間、伊月の胸は激しく高鳴り、陸斗の指の温もりが頭から離れなかった。『なんでもありません、びっくりして』と口では言ったものの、彼の心は正直だった。


「俺もびっくりしたわ」


 陸斗は笑ったが、一瞬だけ伊月の顔をじっと見て、すぐにサンドイッチに視線を落とした。


「これ、ハムか」


 サンドイッチを頬張りながら、陸斗が『これ、めっちゃ美味いな!美樹、意外とやるじゃん』と笑うと、伊月は少し緊張がほぐれ、つられて小さく笑った。


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