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第6話 火葬場での騒動

「奥さまが……」

黒川は秘書が自分を呼んだのだと思って振り向いた。

「何がそんなに慌てているの?」

だが秘書は彼女に目もくれず、こう告げた。

「執事からの伝言です。――初音奥様が病気で亡くなりました。今、火葬場にいます!」

俊介はがたんと立ち上がった。

黒川はその勢いで数歩よろめき、少しみっともない姿になった。

「……あの女、執事をも丸め込んで、こんな茶番を演じるなんて。」

目の奥に宿る怨念を隠し、俊介の腕にすがって、怒りを秘書にぶつける。

「くだらないことを言わないで!」

「俊介、毎日一緒に過ごしていたのに、彼女が重病だったなんて一度も感じたことないわ。突然死ぬなんて、おかしいと思わない?」

ぽろぽろと涙を流して見せながら訴える。

「きっと私たちの結婚を妨害したくて、そんな嘘をついてるのよ!」

彼が黙っているのを見て、焦りがにじむ。

「ねえ、まさか信じてないよね? まさか火葬場なんて行くつもりじゃ……?」

風間の顔色はどんどん曇っていった。

「金も受け取らず、あいつが本当に死ぬはずない。俺が騙されるとでも思ってるのか。」

「車を用意しろ。そいつがどこまでやる気か、見せてもらおうじゃないか。」


黒川は止めようとしたが、彼の足取りは速く、追いつけないまま車が遠ざかっていった。

初音の訃報を聞いてからこの瞬間まで、彼は一度も黒川を見なかった。

彼の目には、最初から朝倉初音しか映っていなかった。

嫉妬と憎悪に理性を失い、黒川は頭からヴェールを引きちぎって床に叩きつけ、ヒールで何度も踏みつける。

純白のヴェールに舞い落ちた埃と汚れ――それは、これから始まる二人の結婚生活に落ちた「朝倉初音」という名の影だった。


夜の火葬場は静寂に包まれていた。

風間俊介が駆け込んだ瞬間、木に留まっていた鳥たちが驚いて飛び立った。

執事は彼の姿を見て、いっそう悲しみの色を深めた。

「社長、やっと来てくださいましたな……」

一歩横に退いて言った。

「もう少し遅ければ、骨壺に収めるところでした。」

俊介はその視線をたどって室内を見る。焼かれたばかりの遺骨がまだ形を保ったまま置かれていた。

隣の小卓には黄色の骨壺。

職員が声をかけてくる。

「朝倉初音様のご家族の方ですね? こちらでご遺骨の整理をお願いします。」

小さな木槌を渡し、丁寧に使い方を説明する。

だが俊介は一切耳を貸さず、ただ遺骨の山をじっと見つめていた。

つい昨日まで、生き生きと動いていた彼女が……こんな灰になったなんて、信じられるはずがない。

これは罠だ。きっと嘘だ。

彼は怒りに任せて鉄の台をひっくり返し、遺骨が床一面に撒き散った。

骨のかけらが足元まで転がり、踏み砕かれた。

あまりに突然の行動に、職員たちは呆気に取られ、止める暇もなかった。

「あなた……」

職員は言葉を失い、ただ一言だけ漏らした。

「死んだ人にどれほど恨みがあったとしても、これは……」

「どうせ死んでなんかない。あいつがそう簡単に死ぬわけがないんだ!」

俊介は吐き捨てるように言った。


執事はひざをつき、彼の足元から骨のかけらをそっと拾い上げる。

骨が飛び散らないよう、まるで花を扱うかのように慎重に。

「奥さまが亡くなる前に……あなたに動画を残しておられました。」

短い動画だった。血の混じる咳、白い病衣を染める血痕、その目に浮かぶ苦痛――すべてが偽りとは思えない。

風間は吐血する場面を繰り返し見た。どこかに演技の痕跡があるはずだと探したが、見つからなかった。

それでも、信じようとしなかった。

「演技がうまいな。芸能界にでも行けばよかったのに。」

スマホを骨壺の隣に投げた。

骨の中には燃え残りの固形物もあった。

最も上にあった三角形の骨片――その一端には丸い小さな穴。

彼は一瞥し、また視線を逸らした。

テーブルにもたれて不機嫌そうに言い放つ。

「朝倉初音、十秒以内に出てこなければ、あの宅邸は二度と手に入らないと思え。」

執事は涙をこらえて答えた。

「奥さまは、宅邸など望んでいませんでした。」

執事は初音が虚栄心とは無縁であることを知っていた。それでも、俊介が勝手に「彼女は金に目が眩んでいる」と思い込んでいた。

それを否定しようとしたが、その言葉は口に出る前に遮られた。

「黙れ。」

俊介は腕時計に目を落とした。

「あと八分だ。」

秒針が無慈悲に回り、時の流れを刻んでいた。

そして七分目。扉が勢いよく開かれた。

俊介は思わず笑った。やっぱりあいつの嘘だったなと。

目を上げて嘲笑の言葉を吐こうとしたその瞬間――入ってきたのは、狼狽した様子の秘書だった。

その背後には、誰もいなかった。


分針が動き、十分が経過した。

朝倉初音は、現れなかった。

俊介は静かに踵を返し、帰ろうとした。

すると秘書が立ちはだかるように言った。

「風間社長、新たな情報が入りました。あの……先日の誘拐事件についてです。」

彼の表情が引き締まる。秘書は真実を告げた。

「実は……社長を助けたのは黒川さんではなく、初音奥様でした。」

「何を言っている。」

俊介が一歩前にして、彼の影が秘書に落ち、冷たい気配がその場を支配した。

秘書は怯えながら、逃れられぬまま言葉を絞り出す。

「……奥様は、爆発に巻き込まれて昏睡状態に陥りました。目覚めた直後、すぐに屋敷へ戻ったのです。」

俊介の脳裏に、薄着で現れた彼女の姿がよぎる。手には包帯、足元は不安定だった。

思い返せば、あの時すでに異変があった。

無理に冷たく装っていた表情――それが、病による青白さだったのだとしたら。

心臓が軋むように痛んだ。

「……社長が黒川さんを家に連れて帰った日の夜、実は暗殺者が待ち伏せていました。奥様が社長をかばって、銃弾を受けたんです。」

「――銃弾?」

俊介は、咄嗟にさっきの骨片を思い出した。

あの三角形の骨。その一端に空いた、丸い穴。

彼は骨壷を抱きかかえ、遺骨を解剖台の上にそっと広げた。

骨片が当たる音が鳴り、灰が舞う。

だが彼は避けなかった。灰がスーツに降り積もる。


職員は呆れたように怒鳴る。

「あんた何やってんだよ! 家族なのに何でそんな……」

俊介はゆっくりと顔を上げた。その目は何かに取り憑かれたような光を宿していた。

「この骨を――組み立ててくれ。」

「……は?」

職員は絶句する。

「バラバラの骨を、どうしろっていうのですか。」

「肩の骨を探せ。」

秘書がそのやりとりを聞きながら、察しがついた。

社長が探しているのは――弾痕のある骨だった。

やがて、職員がそっとあの三角の骨片を拾い上げる。

丸い穴の開いた部分を見て、小さく唸った。

「これは……たしかに弾が通った跡だな……」

俊介は、その骨片に手を伸ばそうとする――だが、指先が震え、どうしても掴めない。

その骨を手に取ってしまったら、彼女は本当に「戻ってこない」のだ。

執事は苦しげな面持ちで言った。

「……確認できたなら、奥さまを、安らかに眠らせてあげてください。」


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