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第13話 酔いの果ての自白

どうやら奈緒が風間に深く感情移入していないことに安堵しつつも、執事は同時に旦那様を不憫に思った。

奈緒は彼が黙り込んだままなのを見て、問いかけた。

「……答えづらいこと、でしたか?」

執事は首を振り、この別荘でかつて起こった出来事を語り始めた。

奈緒は聞くほどに言葉を失っていった。

柔らかな照明すら、冷めた彼女の表情を和らげることはできなかった。

共感力の薄い自分でも、執事の短い言葉の中に、前妻の深い苦しみを感じ取っていた。

第三者の視点からこの物語を眺めれば眺めるほど、風間俊介はより酷く見えた。


彼女は手元の赤ワインを一気に飲み干した。

渋みが舌を覆い、甘みをかき消す——顔をしかめるほどに。

「……だから、彼女は自分を悲しませる家を去ったんですね?」

奈緒の言葉に、執事は“去った”という表現を“亡くなった”と受け取ったのか、重々しくうなずいた。

奈緒はしばらく沈黙し、もう一杯ワインを口に含んだあと、自分をその感傷から引き離し、執事の話に含まれていた情報を整理し始めた。

だが、その大半は夫婦の愛憎劇であり、任務にはあまり関係なかった。

唯一有効そうな情報は——前妻が植物の栽培や庭造りを愛していたということ。

別荘の西側にある、バラやアジサイが咲き誇っていた温室は、すべて彼女が手がけたものだった。奈緒も誤ってそこに入ったことがある。

だが今では、枯れた枝と落ちた花びらばかり。命を失った空間だった。世話されてない植物は命を落とす。

家中の観葉植物も例外ではなく、最も乾燥に強いはずのサボテンすら枯れ果てていた。

朝倉が生きていた頃、恐らく風間俊介の生活は完璧に整えられていた——

奈緒は、あの日更衣室の鏡に映った風間の表情を思い出す。

なるほど、自分が彼にあんなふうに見つめられていたのは、きっと前妻の仕草に似ていたのだ。その思いに至った奈緒は、執事にいくつかお願いをした。

不思議そうにしながらも、老執事は快く了承してくれた。


――風間は今夜は帰ってこないだろう。

高橋邸に泊まるか、黒川の元に行っているか。明日はやることが山積みだったため、奈緒は早めに床に就いた。

——だが深夜、ドアの開く音に目が覚めた。

目覚めた瞬間、奈緒の手はベッドサイドに隠した武器へと伸びていた。

月明かりの中、息を殺して扉を見つめる。

そして、西服姿の男が見えたとき、ようやくその手を離し、照明をつけた。足元がふらつく風間の体を、彼女は支えた。

強い酒の匂いにむせかえる。

目は虚ろで、意識もはっきりしていない。誰が自分を支えているのか、見ようとしても焦点が合わない。

まるで霧の中にいるようだった。奈緒は彼を何度か呼びかけたが、反応がないため、彼を浴室のバスタブへと連れて行った。

シャワーをひねり、冷水を頭から浴びせた。冷水の刺激で、風間は少しずつ意識を取り戻し、ようやく奈緒の顔が見えた。

彼女が「温かいお湯に変えましょうか」と声をかけようとした矢先——

彼の大きな手が、彼女の手首を掴んだ。


次の瞬間、引き寄せられ、世界が反転した。

飛び散る水しぶき。白い寝巻が濡れる。

奈緒は彼の膝に倒れ込み、腰も腕もがっちりと拘束されていた。距離が近すぎて、息が詰まる。

逃れようとしたが、風間の視線が鋭く、捕えられているようで身動きが取れなかった。目が合った——奈緒の警戒心が、彼の目にありありと映っていた。

その視線を見たくなかったのか、風間はそっと奈緒の目を覆った。

視界が闇に閉ざされる。奈緒は激しく身をよじり、無意識に手にしたシャワーを武器にしようとした——

その瞬間、首筋にぬくもりが落ちた。彼の鼻先が鎖骨をかすめた。

熱い。身体が震えた。


ようやく風間は目隠しをやめた。手がシャワーのスイッチに触れ、お湯が勢いよく流れ出す。

二人の体を、容赦なく濡らした。奈緒は慌ててスイッチを切ろうとし、その瞬間、肩に水より熱い液体が落ちてきた。

——それが何か、彼女はすぐに悟った。

水音の中、微かに彼の呟きが聞こえた。

「初音……戻ってきてくれたんだな……」

その声は小さかったが、奈緒の耳にははっきりと届いた。

深い感情が言葉に込められていて、彼女の胸を熱くした。

——もしかしたら、自分が思っていたほど、風間の気持ちは軽くなかったのかもしれない。

シャワーを止め、奈緒は彼の横顔を見つめて、静かに言った。

「……想いは、本人に伝えないと意味がないわ。私に言っても無駄。私は、朝倉じゃない」

彼がそれを聞いていたのかはわからない。

ただ、彼の腕の力が、さらに強くなったように感じた。


翌朝——

風間は浴槽で目を覚ました。

二日酔いで頭が痛い。なぜバスタブで寝ていたのかも、なぜ服が半分濡れているのかも、記憶にない。何か夢を見ていた気がするが、思い出せない。

ただ、不思議と心は満たされていた。浴室を出ると、主寝室の枯れかけたサボテンが、なぜか元気を取り戻していた。

息をのむ。

部屋を出ると、家中のグリーンが生き生きと生い茂っていた。

使用人たちは、別荘のものに勝手に手を加えることはない。それをしたのは——きっと、彼女だ。


彼は足早に階下へ向かい、キッチンで奈緒を見つけた。

エプロン姿の彼女が、鍋の中のジャムを丁寧にかき混ぜている姿に、思わず立ち尽くした。

風間の足音は独特で、奈緒はその気配をすぐに察知していた。

でも彼女は何も言わず、彼の反応を待っていた。

……しかし、いつまで経っても彼は何も言わない。

仕方なく彼女は顔を上げ、微笑んだ。

「……何立ち尽くしてるの? 味見してよ。私のジャム、あなたの口に合うかどうか」

テーブルには、すでにいくつかの瓶が並んでいた。甘く香ばしい香りが漂う。

風間は一つずつ味見をした。懐かしい、よく知る味。


「家の植物、見たんだけど、全部枯れてたわ。もう手遅れだったから、全部新しくしたの」

「家」という言葉が、俊介の胸に染み渡った。

彼女は、この場所を“家”として扱っているのだ。

「デザイナーも呼んであるわ。あなたの服、サイズ合ってないでしょう?

そろそろオーダーした方がいい」

彼女はコンロの火を止め、続けた。

「サイズ測ってもらったら、一緒に外出しましょう」

ジャム作りを手際よく進める彼女の姿に、俊介は、まるで過去に戻ったかのような錯覚を覚えた。

言われていないのに、自然と奈緒から鍋を受け取り、瓶へジャムを移す。


その様子を見上げた奈緒に、風間が穏やかな口調で尋ねた。

「どこに行くつもり?」

奈緒の脳裏には、執事の言葉がよぎっていた。

風間がまだ起業できていなかった頃、彼はよくこんな家事をしていたのだと。

「……高橋邸よ」

彼女は風間俊介の沈んだ黒い瞳をまっすぐ見つめ、さらりと説明した。

「そこの庭園、なかなかよくできてるって聞いたの。ちょっと勉強しに行こうと思って」


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