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第15話 パンツを探せ

「……忘れてないよな? 前に同じ質問されたとき、彼女がどう答えたか」

俊介は思い出した。あの日も、初音は白いワンピース姿で、まったく同じ質問を受けていた。

そのとき、彼女はこう答えたのだ。

「高橋さんが払えるなら、喜んで」

じゃあ今はどうだ? 同じ答えを口にするのか?

俊介が戸惑っているのを見て、啓泰はさらに満足そうに笑った。

「で、君の答えは?」


奈緒は彼の問いから、かつて前妻も同じ扱いを受けたのだと察した。

そして風間俊介は、その時と同じように彼女を守らず、答えを促す側にまわっている。

——昨日の浴室でのやさしさにほだされかけたけど……

今の風間の態度が、再び彼女の心を冷やした。

奈緒は風間の手を振り払った。

彼は止めようとはしなかったが、その目はまるで毒蛇のように、奈緒をねっとりと見つめ続けていた。

だが、奈緒の瞳にうっすら浮かんだ涙を見た瞬間、その視線がほんの少し和らいだ。

「……あんたたち、私のこと何だと思ってるの?」

奈緒は声を張り上げた。

「こんな辱め、楽しい? 女をモノみたいに取り合うなんて、何が面白いの?」

啓泰の口元から笑みが消えた。彼は、この展開をまったく予想していなかったのだ。

奈緒の三連発の問いに、場の主導権は彼女に移った。

怒りで体を震わせながらも、立ち去ろうとする。

俊介は慌てて彼女を追おうとしたが、奈緒は彼の手を強く振り払った。

「触らないで。……ついて来ないで」

そのまま踵を返して歩き出す。


が、啓泰が冷たく言い放つ。

「出口、そっちじゃないよ」

もちろん、奈緒は間違えてなどいない。

さきほどの怒りと叫びのうち、心からのものはほんのわずか——

あとはすべて、演技だった。怒って見せることで、この家の中を回り、情報を得ようとしたのだ。

感情をコントロールした絶妙な演技。唯一の誤算は、俊介が思ったより早く追いかけてきたこと。

彼は奈緒の腕を取って弁解した。

「誤解だ。さっきのは、君が思ってるようなことじゃない」

奈緒は不満げに小さく息をつく。これではまた調査計画が台無しだ。また別の機会を見つけるしかない。

「……なんで、彼があんなことをする? しかも、あなたまでなんで黙認するの?」

言いながら、指を持ち上げた。

紅茶にやけどされた赤く腫れた指先が、啓泰の行為を物語っていた。

「……前も、あんなふうにしてたの?」

俊介は丁寧に、傷ついた指先をそっと包み込むように握り、低く呟いた。

「……ごめん。もう二度と、させない」

彼の優しさにも、奈緒の心はもう動かない。

口先だけの謝罪など、何の価値もない。

それに——彼女は“前妻・朝倉初音”ではない。任務が終われば、ふたりに未来はない。

今日の出来事が決定打だ。ここから先は、もう終わりにすべきだろう。

奈緒は主寝室の方にちらりと視線をやり、再び小さく息を吐く。

(……探察はまた別の日にしよう)


一方その頃、高橋啓泰は、今日の出来事をそのまま黒川に話していた。

彼女は怒りに任せて部屋を歩き回り、落ち着かない。

そんな彼女をよそに、啓泰はにやにやと笑いながら言った。

「……あの女、なかなかやるよ。

たったの三つの言葉で、俺らを黙らせた。前の女より手強いかもな」

その口ぶりに、黒川は彼が奈緒に興味を持ち始めていると察し、ある提案をする。

「……面白いと思うなら、あの子を落としてみなさいよ」

「へえ? 俊介と取り合いしろって?」

「……光栄じゃないの」

黒川真奈はグラスに注がれた強い酒を飲み干し、嫉妬の炎を抑え込んだ。

「……興味があるなら、取りに行けば? あの子は朝倉じゃない。

あなたが言ってたでしょ。彼女、選択に迷ってたって。

なら、あなたを選ぶかもしれない」

黒川は甘い言葉で啓泰を煽る。

「俊介なんかより、あなたの方がずっと魅力的よ」

「……口がうまいね」

啓泰は笑みを浮かべながらも、その目には本音が混じっていた。

「……確かに。面白いやつだよ、あの女」


翌日、奈緒のもとに高橋邸から招待状が届いた。

送り主はもちろん、高橋啓泰。雑に書かれた筆跡は、彼の性格をそのまま表していたが、内容ははっきりと、彼女を再び高橋邸へ招待するものだった。

——まさに、渡りに船。

奈緒は迷うことなく受け入れた。

執事に相談すると、地下の車庫から車を選んで使っていいと許可をもらう。

高橋誠はまだ出張中で、恐らく機密書類も持って行っている。

だから、今回の目的もあくまで邸内の再調査だが、ついでに高橋誠の帰宅時間も探りたい。


――高橋宅

前回のピリピリした空気とは一転、啓泰はずいぶん穏やかだった。

「昨日は悪かった。……君がある人に似てたもので、

つい、彼女と同じく冗談好きだと勘違いしてしまって」

昨日のあれが“冗談”とは、これこそご冗談を。

奈緒は冷めた笑みを浮かべた。

「……あなたの“冗談”って、世間とはズレてますね」

その嫌味を、啓泰は笑って受け流す。

「まぁ、俺は普通じゃないからな」

奈緒は思わず失笑する。

(資料には“厳格な父親”って書いてあったのに……どうしてこの人が息子なんだろう)


啓泰は謝罪の品として、柑橘系の香水を用意していた。

爽やかな香りで、奈緒の好みにも合っていた。

「君を見ると、これを思い出すんだよ。見た目は甘そうなのに、香りはほろ苦い」

彼はゆったりとした姿勢のまま、奈緒のことをじっと見つめ、隠そうともせず興味を示していた。

話題が広がり、自然と邸内のインテリアや内装の話になっていく。

奈緒はそこへ巧みに誘導し、啓泰は気をよくして案内を申し出る。

奈緒は彼に連れられて、高橋誠の寝室と書斎を見せてもらうが、どこにも金庫やそれに準ずるものの痕跡は見当たらなかった。何かが引っかかるまま、啓泰の部屋へと足を踏み入れる。

そして衣装棚の前でバランスを崩し、手をついた拍子に、棚の一部が“空洞”であることに気づく。

「……どうしたの?」

啓泰に声をかけられ、奈緒はすぐに手を引っ込めてごまかす。

「いえ、ちょっと……よろけただけです」

わざとらしく衣装棚を指で叩いて、材質を確かめるふりをする。

空洞だったのは、さっき触れたその一点だけ。——もしかして、ここに金庫が?

啓泰が怪訝そうに尋ねる。

「……その棚、何か気になる?」

奈緒はとっさに笑顔を作る。

「素材が素敵だなって思って。丈夫だし、どこでオーダーしたんですか?」

啓泰は納得したようにうなずく。

「そんなこと聞いて、俊介の家にも欲しくなった?

……まだ付き合い浅いのに、もう家具に口出せる立場か?」


奈緒は答えず、彼もそれ以上追及しなかった。

「……俺はインテリアのこと、詳しくないからさ。管家に聞けばわかると思う」

そのとき、窓の外に一台の車が入ってきた。

それを見た啓泰は不敵に笑い、奈緒に言った。

「……ちょっと待ってて」

彼が部屋を離れた隙に、奈緒はすぐに棚の中を探り始める。

もしや開閉スイッチがあるのではと、注意深く触れていく。

そして棚を開けると——整然と並んだパンツが、目に飛び込んできた。

(……スイッチ、パンツの下かも?)

そう思った彼女が手を伸ばした瞬間——

「……ガチャ」

部屋の扉が開く。

奈緒は慌てて棚を閉めて振り返る。

「ど、どうしてあなたが……」

入ってきたのは、啓泰ではなかった。

風間俊介だった。

なぜか、彼の登場に気まずさを覚えた奈緒は、思わず言葉を詰まらせた——。


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