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第40話 人々の神


鈴姫すずひめ……鈴姫、どうして泣いている?」


 父にそう言われ、鈴姫は初めて自分が涙を流していることに気が付いた。


「気に病むことはない。今のは余興だ。あの天守に人はいない。まあこの後は覚悟してもらわなければならないが……。ともかく、何がそんなに悲しい?」


 何が悲しいか――その理由ははっきりしていた。それを聞いてからずっと、悲しかった。


 鈴姫は涙と共に声を絞り出した。

「穂積が……穂積が、お母様を殺した、って……。それをずっと、隠してたんやって……」


 それが端緒となり、鈴姫はさらに涙をこぼれさせた。拭っても拭っても滝のように流れ出る涙をどうすることもできず、嗚咽交じりに言う。


「なんでそんな……! うちのことは嫌いでも、お母様のことは大事にしてたんやって……そう思っとったのに……! ずっとうちに隠して……それで、うちの為やとか色々言うて……! そんなん、そんなことするなんて……ひどすぎる……!」


 父は黙って鈴姫の歔欷きょきを聞いていた。ふと、背後でごそごそと動く気配がした後、

「鈴姫、なあ鈴姫、聞きなよ……」


 耳元で囁かれた声に、鈴姫は驚いて振り向いた。


 父はそれまでとは打って変わって、いたずらがバレた子供のような顔をしていた。


「実は……それ、嘘なんだ。蓮太郎は、冬姫を殺してないんだよ」


 …………


 ……え?


 咄嗟に理解できず呆けていると、父は髭に縁どられた口元に曖昧な笑みを浮かべて、

「……俺、冬姫が死んだ日、急いで駆け付けたんだ……その時、あいつは……」

 辺りを憚るような声で語り始めた。


 ―――― ◇ ――――


「そうか……可哀そうになあ、冬姫ふゆひめ……」


 陽光の差し込む御殿の一室。烏帽子直垂えぼしひたたれ姿の大名持おおなもちはむずかる赤ん坊を抱きながら言った。


「何があったのかは分かったよ。でもやっぱり、お前にこの子は預けられないな」


 と、大名持は縁側に目を向けた。そこには汚れた機乗服姿の蓮太郎が平伏していた。


 蓮太郎は肩を震わせ、板敷きを見つめながら言った。


「育てるなどとは申しませぬ……! ただどうか、お側に仕えさせて頂きたく! もう二度と、あのようなことが起こらぬように……! その子を……いえ、ご……ご息女を、お護りし奉りたく存じます……!」


 大名持は無感動に蓮太郎を見下ろし、

「冬姫も言ってたそうじゃないか。自分がこうなったのは、お前が近づきすぎたせいだって。ここらで一度、本来あるべき姿に戻った方がいいと思うよ。この子は今人神いまひとがみとして生き、お前は犬神人いぬじにんとして穢れを祓うべきだ。……この子の見えない所でね」


 蓮太郎は額を縁側に擦り付けて泣訴した。


「ではせめて、日に一度……! いえ、数日に一度だけでも、拝謁の場を設けて頂けませぬでしょうか‼ それ以外の日は決して、決してご息女に近づきませぬゆえ、何卒、何卒……‼」


 大名持は困った顔で笑い、

「そうだな……それじゃあ、ひと月に一度だけ、会うことを許そう。俺もすぐ国を出なきゃいけないから……そうだな、きぬにでも託すか。いいかい、ひと月に一度だ。分かってくれるね……大事な大事な、俺の娘の為なんだ」


 ぐずりが頂点に達し、赤ん坊は泣きだしてしまった。


 大名持は両腕を揺らし、

「おおよしよし、泣くんじゃない泣くんじゃないよ。お前の欲しいものは、この父が何でも与えてあげるからね……」


 縁側に平伏して震えている蓮太郎を残し、大名持は襖を開けた。


 スーツ姿の男が、そこに立っていた。


 大名持は軽く俯き、

「……言う通りにしたよ。肖高すえたか

 と言って鈴姫を抱いたままその脇を通り過ぎた。


 スーツ姿の男は、角縁眼鏡の奥の目で、泣きじゃくる赤ん坊をずっと追っていた。


 ―――― ◇ ――――


「お母様が……自分で、〈秋水しゅうすい〉を操って……?」


「ああ、そう聞いた。嘘じゃないと思うよ。あいつは……そういう嘘は、吐かないから」


 鈴姫は混乱の極みにあった。鈍痛にかき回される頭の中から、疑問を一つ引っ張りだす。


「でも……昨夜、私が訊いたら、穂積は『はい』って……」


 父は眉を八の字にして笑った。

「あっははは……そりゃ、鈴姫があんな訊き方したら、あいつは頷くしかないだろうなぁ……それが狙いだったし……」


 鈴姫は父の、大名持おおなもち貴彦たかひこの顔を見上げ、その膝の上で身を引かせた。


「あの、お父様……? お父様は、どうしてそんな、ひどい嘘を……?」


 大名持は困ったように笑っている。ふと、どこからともなく誰かの怒鳴り声が微かに聞こえてきた。大名持は肩を震わせ、耳元に手を当てながら言った。


「あ、ああ……分かってる、今やるよ……」


 その耳に、ワイヤレスイヤホンが刺さっているのがちらりと見えた。大名持は咳払いし、

「蓮太郎の話なんかどうだっていいんだ……そんなことより鈴姫、これを見てみろ」


 と言って操作盤に手を伸ばした。そこにはカメラが設置され、その下に液晶モニターがある。大名持はモニターを操作してSNSのタイムラインを表示させた。


「俺の言葉が、みんなを動かしたんだ」


『大名持様愛してる‼』『まずは大坂か。ざまあみろ薄汚いあきんど共』『某幕閣を目撃。どなたか天誅を』『代官襲撃につき加勢求む。妻と娘、乱暴狼藉し放題』『近くに異人館あるけど火つけとけばいいのかな』『とりあえず近所の妖し人くせぇから斬るわ』


「いやっ……‼ ああぁ……‼」

 激烈に頭が痛み、鈴姫は両手で顔を覆う。


 ところが大名持は得意満面に、

「見ろ、すごいだろう? 俺の行動をみんなが見て、俺の言葉をみんなが聞いてくれてる。十六年前とは全然違う。みんなが俺を受け入れてくれて、他の人にまで伝えてくれてる。これでお金まで入ってくるんだぞ。すごい仕組みだろう?」


 鈴姫は思わず立ち上がった。ふらつきながら狭い操縦室で後ずさり、目の前の男から出来る限り離れた。


「あな、たは……! どうして、こんなことを……⁉ 人の、命を、危険にさらして……! どうして、こんなことをしているんですか……⁉」


「どうしてって……」


 大名持貴彦は、子供のようにきょとんとして言った。


「みんなが、喜ぶからだよ」


 鈴姫は二の句が継げずに立ちすくんだ。


 すると大名持は手を伸ばし、

「危ないよ。こっちへ来な」


 鈴姫の腕を掴んだ。


 瞬間、耐えがたい激痛が頭蓋を揺るがし、鈴姫は為す術なく大名持の膝に座らされる。


「うっ……‼ ああああぁぁぁぁ……‼」


「そろそろお前の初お披露目だ。みんなきっと、お前を気にいるぞ」


 何を言っているのか分からない。気が狂いそうなほど頭が痛み、それがどんどん増してゆく。ついには苦しみに混じって別の感情が――強い怒りが込み上げてきた。


 痛い、痛い! 痛い痛い痛い痛い‼ 


 痛い言うとるやろが‼ なんでうちだけがこんな苦しまなあかんねん‼


 もう、みんなしね――――死んでまえ‼


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