「
父にそう言われ、鈴姫は初めて自分が涙を流していることに気が付いた。
「気に病むことはない。今のは余興だ。あの天守に人はいない。まあこの後は覚悟してもらわなければならないが……。ともかく、何がそんなに悲しい?」
何が悲しいか――その理由ははっきりしていた。それを聞いてからずっと、悲しかった。
鈴姫は涙と共に声を絞り出した。
「穂積が……穂積が、お母様を殺した、って……。それをずっと、隠してたんやって……」
それが端緒となり、鈴姫はさらに涙をこぼれさせた。拭っても拭っても滝のように流れ出る涙をどうすることもできず、嗚咽交じりに言う。
「なんでそんな……! うちのことは嫌いでも、お母様のことは大事にしてたんやって……そう思っとったのに……! ずっとうちに隠して……それで、うちの為やとか色々言うて……! そんなん、そんなことするなんて……ひどすぎる……!」
父は黙って鈴姫の
「鈴姫、なあ鈴姫、聞きなよ……」
耳元で囁かれた声に、鈴姫は驚いて振り向いた。
父はそれまでとは打って変わって、いたずらがバレた子供のような顔をしていた。
「実は……それ、嘘なんだ。蓮太郎は、冬姫を殺してないんだよ」
…………
……え?
咄嗟に理解できず呆けていると、父は髭に縁どられた口元に曖昧な笑みを浮かべて、
「……俺、冬姫が死んだ日、急いで駆け付けたんだ……その時、あいつは……」
辺りを憚るような声で語り始めた。
―――― ◇ ――――
「そうか……可哀そうになあ、
陽光の差し込む御殿の一室。
「何があったのかは分かったよ。でもやっぱり、お前にこの子は預けられないな」
と、大名持は縁側に目を向けた。そこには汚れた機乗服姿の蓮太郎が平伏していた。
蓮太郎は肩を震わせ、板敷きを見つめながら言った。
「育てるなどとは申しませぬ……! ただどうか、お側に仕えさせて頂きたく! もう二度と、あのようなことが起こらぬように……! その子を……いえ、ご……ご息女を、お護りし奉りたく存じます……!」
大名持は無感動に蓮太郎を見下ろし、
「冬姫も言ってたそうじゃないか。自分がこうなったのは、お前が近づきすぎたせいだって。ここらで一度、本来あるべき姿に戻った方がいいと思うよ。この子は
蓮太郎は額を縁側に擦り付けて泣訴した。
「ではせめて、日に一度……! いえ、数日に一度だけでも、拝謁の場を設けて頂けませぬでしょうか‼ それ以外の日は決して、決してご息女に近づきませぬゆえ、何卒、何卒……‼」
大名持は困った顔で笑い、
「そうだな……それじゃあ、ひと月に一度だけ、会うことを許そう。俺もすぐ国を出なきゃいけないから……そうだな、きぬにでも託すか。いいかい、ひと月に一度だ。分かってくれるね……大事な大事な、俺の娘の為なんだ」
ぐずりが頂点に達し、赤ん坊は泣きだしてしまった。
大名持は両腕を揺らし、
「おおよしよし、泣くんじゃない泣くんじゃないよ。お前の欲しいものは、この父が何でも与えてあげるからね……」
縁側に平伏して震えている蓮太郎を残し、大名持は襖を開けた。
スーツ姿の男が、そこに立っていた。
大名持は軽く俯き、
「……言う通りにしたよ。
と言って鈴姫を抱いたままその脇を通り過ぎた。
スーツ姿の男は、角縁眼鏡の奥の目で、泣きじゃくる赤ん坊をずっと追っていた。
―――― ◇ ――――
「お母様が……自分で、〈
「ああ、そう聞いた。嘘じゃないと思うよ。あいつは……そういう嘘は、吐かないから」
鈴姫は混乱の極みにあった。鈍痛にかき回される頭の中から、疑問を一つ引っ張りだす。
「でも……昨夜、私が訊いたら、穂積は『はい』って……」
父は眉を八の字にして笑った。
「あっははは……そりゃ、鈴姫があんな訊き方したら、あいつは頷くしかないだろうなぁ……それが狙いだったし……」
鈴姫は父の、
「あの、お父様……? お父様は、どうしてそんな、ひどい嘘を……?」
大名持は困ったように笑っている。ふと、どこからともなく誰かの怒鳴り声が微かに聞こえてきた。大名持は肩を震わせ、耳元に手を当てながら言った。
「あ、ああ……分かってる、今やるよ……」
その耳に、ワイヤレスイヤホンが刺さっているのがちらりと見えた。大名持は咳払いし、
「蓮太郎の話なんかどうだっていいんだ……そんなことより鈴姫、これを見てみろ」
と言って操作盤に手を伸ばした。そこにはカメラが設置され、その下に液晶モニターがある。大名持はモニターを操作してSNSのタイムラインを表示させた。
「俺の言葉が、みんなを動かしたんだ」
『大名持様愛してる‼』『まずは大坂か。ざまあみろ薄汚いあきんど共』『某幕閣を目撃。どなたか天誅を』『代官襲撃につき加勢求む。妻と娘、乱暴狼藉し放題』『近くに異人館あるけど火つけとけばいいのかな』『とりあえず近所の妖し人くせぇから斬るわ』
「いやっ……‼ ああぁ……‼」
激烈に頭が痛み、鈴姫は両手で顔を覆う。
ところが大名持は得意満面に、
「見ろ、すごいだろう? 俺の行動をみんなが見て、俺の言葉をみんなが聞いてくれてる。十六年前とは全然違う。みんなが俺を受け入れてくれて、他の人にまで伝えてくれてる。これでお金まで入ってくるんだぞ。すごい仕組みだろう?」
鈴姫は思わず立ち上がった。ふらつきながら狭い操縦室で後ずさり、目の前の男から出来る限り離れた。
「あな、たは……! どうして、こんなことを……⁉ 人の、命を、危険にさらして……! どうして、こんなことをしているんですか……⁉」
「どうしてって……」
大名持貴彦は、子供のようにきょとんとして言った。
「みんなが、喜ぶからだよ」
鈴姫は二の句が継げずに立ちすくんだ。
すると大名持は手を伸ばし、
「危ないよ。こっちへ来な」
鈴姫の腕を掴んだ。
瞬間、耐えがたい激痛が頭蓋を揺るがし、鈴姫は為す術なく大名持の膝に座らされる。
「うっ……‼ ああああぁぁぁぁ……‼」
「そろそろお前の初お披露目だ。みんなきっと、お前を気にいるぞ」
何を言っているのか分からない。気が狂いそうなほど頭が痛み、それがどんどん増してゆく。ついには苦しみに混じって別の感情が――強い怒りが込み上げてきた。
痛い、痛い! 痛い痛い痛い痛い‼
痛い言うとるやろが‼ なんでうちだけがこんな苦しまなあかんねん‼
もう、みんなしね――――死んでまえ‼