鈴姫の十五年で一番最初の記憶は、ゲームをして遊んでいる記憶だった。朝起きて、ご飯を食べて、あとは陽が落ちるまでゲームをしていた。それが良くないことだという認識はなかった。母は亡くなり、父は遠い国にいて、陣屋の中でも外でも誰も声をかけてはくれず、唯一話をしてくれる巫女のななは年が離れすぎているし、やることといえばゲームしかなかった。
いや、他にも話をする人がいた。一か月に一度、なぜか贈り物を持って訪ねてくる、変な男の人だった。話をすると言ってもその人はずっと頭を下げたままだし、言っていることも何だかよく分からないしで、鈴姫はその間もずっと携帯ゲームをして過ごしていた。
確か六歳くらいの頃のことだった。「拝謁」の日に、その人がやって来た。その時の贈り物は、時代遅れの着せ替え人形だった。鈴姫は全く興味を示さず、座布団に腹這いになってゲームをしていた。
「……主上におかれましては、いかがお過ごしでいらっしゃいましたでしょうか。何か、身体に変調などはございませんでしたか。……ご飯は、ちゃんとお召し上がりになっていらっしゃいますか」
その人はいつものようにぶつぶつとよく分からないことを言っていた。鈴姫はゲームに夢中だった。あとちょっとという所でいつも同じ敵にやられ、鬱憤が募っていた。
「この……! くそったれ‼ こいつ……‼ あーもうきらいや‼ きらいきらい‼」
「……主上、どうか綺麗なお言葉をお使いになられませ……」
その人の言うことなどまるで耳に入らず、鈴姫はイライラが頂点に達して叫んだ。
「あっ……‼ あーもう‼ くそ‼ くそっ‼ 死ね‼ こいつ‼ 死ねやボケェ‼」
その途端、それまで一度も声を荒げたことのなかったその人が、大声で叫んだ。
「し……主上っ‼ なりませぬ‼ そのようなことを言っては‼」
鈴姫はびっくりしてゲーム機を取り落とした。その人は自分でも驚いているような顔で、鈴姫の顔をしっかり見て叫んだ。
「そのような……そのような言葉は決して‼ 決して口になさっては……‼」
そこでハッと気づいたように口を閉じ、慌てて頭を下げた。
しかしもう遅かった。鈴姫は突然怒鳴られたことに驚き、怖がって大いに泣いた。
それでもなお、その人は頭を下げつつ必死に頼んだ。
「お願い申し上げます……‼ 今後、そのような言葉を決して口に出さぬとお約束してください……‼ それだけは、その言葉だけは決して言わないと、どうかお約束を……‼」
鈴姫は泣き続けた。
やっと、部屋の隅でぼうっとしていた老女のきぬが目を覚ました。
「何ぞ……! あら姫様! どないしはりましたんや!」
きぬはおろおろと鈴姫を抱き上げ、縁側で平伏しているその人を睨んだ。
「あんたやな! ほんまにもう、
きぬはそう言って、鈴姫を抱いて部屋を出て行った。
その人は、見えなくなるまでずっと縁側に這いつくばり、頭を下げ続けていた。
一か月後、またその人は来た。
「……先月の折、無礼な振る舞いを致しましたこと、真に、真に申し訳ありませぬ……」
と言われたが、当の鈴姫はそんなことはとっくに忘れており、その日も携帯ゲームに勤しんでいた。ただその人に言われたことで何となく嫌な記憶がよみがえり、ぷいと顔を背けていた。
「……本日の
その人は三方を差し出した。いつもと違う、という言葉にひかれて鈴姫はちらりと目を向けた。そこには、数冊の絵本が乗っていた。
「『やさしいかみさまのおはなし』と、『いちからまなぶ日本のかみがみのれきし』など……」
鈴姫はたちまち興味を失い、ゲームに戻った。
しかし、
「それと……これを」
その人は絵本の下から、紙の束のようなものを出した。
「お母君の……写真でござりまする」
「……え?」
鈴姫は今度こそ興味を惹かれ、ゲームから目を離して身を乗り出した。
その人は、畳の上に写真の束を差し出し、深く頭を下げた。
「どうぞ……ご覧くださりませ」
鈴姫はゲーム機を置いて恐る恐る近づき、さっと写真をひったくって座布団に戻った。
一番上は、笑顔の女性の写真だった。鈴姫も知っている
めくる。まためくる。どの写真でも、女性は笑顔だった。知らない人達に囲まれ、感謝するように頭を下げられ、いつも笑顔で写っていた。
「お母君は……お優しい方でございました」
震える声で、その人が言った。
「いつも……誰に対しても、お優しく……
その人は、肩を震わせ、鼻をすすり上げた。
「いつも、笑って……いつも、お優しく……。お怒りになられたり……人を傷つけるような言葉を仰られたことなど、一度も……! 一度たりとも、ございませんでした……‼」
音が鳴った。その人が額を床に叩き付けた音だった。
「主上……‼ 私は、主上が何をされようと、無事にお育ちになるだけで嬉しゅうござります……‼ ただどうか、どうか一つだけ、お願いを申し上げとうござりまする……‼」
その人は、泣いていた。泣きながら、鈴姫に頭を下げていた。
「どうか……どうか、お優しくなられませ……‼ 倫理や道徳のお話ではなく、周りの人間の為……何よりご自身の為に……‼ 世には穢れが溢れております……人の悪意という穢れが……! その穢れから御身を守る為、そして穢れを振り撒かぬ為に……! ご自身の将来を創る為……明日を迎える為、そして今日を生き延びる為に……‼ 主上はお優しくなられなくてはなりませぬ……‼ そういう世に、なってしまっているのでございます……」
鈴姫は、その人の震える頭をぽかんと眺めながら、言った。
「なんで……そんなに泣くん?」
びくん、と全身が震えた。そういえば、その人に声を掛けたのはこれが初めてだった。
その人は何かを言おうとした。だがその前に時計が鳴り、きぬが目を覚まして縁側を睨んだ。
「まだおったんかいな。ほら時間やで。さっさと去んでや」
きぬは言いながら脇を蹴り上げた。
その人はよろけつつ立ち上がり、鈴姫の顔を見ないようにしながら縁側を去り、鈴姫の視界から消えた。
鈴姫は写真に目を戻した。笑顔の女性の写真を、何枚も、何枚もめくって眺めているうちに、自然と笑顔になっていた。
―――― ◇ ――――
「私、は……」
鈴姫は口を開いた。頭は未だ千切れそうに痛い。けれど怒りはもう欠片も無かった。痛みを堪え、全身全霊を振り絞り、液晶モニターの上にあるカメラに向かって微笑んだ。
「……私は、人が好きです」