「私、は……」
鈴姫は口を開いた。頭は未だ千切れそうに痛い。けれど怒りはもう欠片も無かった。痛みを堪え、全身全霊を振り絞り、液晶モニターの上にあるカメラに向かって微笑んだ。
「……私は、人が好きです」
―――― ◇ ――――
蓮太郎は顔を上げた。モニターに、鈴姫の笑顔が映っている。
レバーを操作し、右のペダルを踏みこむ。〈
『ちょ……‼ 蹴った⁉ なんで⁉ いってーんですけど‼』
〈人斬り〉の女が喚き、
『穂積さん⁉ どうして距離を取るの……⁉』
華凛が動揺して言った。
だが蓮太郎はスイッチを押して外部スピーカーを入れ、
「謹聴っ!!!!!!!!!!」
風雨を吹き飛ばさんばかりの大音量で叫び、二人を黙らせた。
―――― ◇ ―――
「この数日間で……私は、色んな人に会って、色んな人の話を聞きました……多くの人が困ってて、苦しんでて……それを何とかしたいって思いました……。誰もが自分の志を遂げられるような、そんな世にしたいって思いました……笑われるかもしれないけど……でも、本気です……私は、人が好きだから……」
頭が痛い。痛い痛い痛い……でも、負けたくない。
「世の中には、色んな悪意があることも知ってます。解決できない争いがあることも、暴力で誰かを支配しようとする人々がいるってことも、知ってます……それでも……だからこそ、私は、人に優しくありたいです……!」
カメラに向かって微笑み続ける。コメント欄もSNSも、ちゃんと目に入っている。その中に蠢く悪意の言葉も。……けれど、もう心を穢れさせはしない。
「倫理とか、道徳とかの話じゃなくて……それが、私の周りの人の為……私自身の為でもあるんです……悲しいですけど……今はもう、きっとそういう世の中なんです……少しでも多くの優しさがないと、誰かの悪意を防げない……! 優しさを持っていないと、誰かに悪意を振り撒いてしまう……! 将来を創る為……明日を迎える為、そして今日を生き延びる為に……! 自分が生き延びる為に、人に優しくしなきゃいけない……! きっともう、誰もがそうしなきゃいけない世の中に、なってしまっているんです……!」
目の端から涙が流れた。痛みのせいなのか、悲しみのせいなのか、それとも心に灯った温かさが、穢れを洗い流したからなのか。
「どんなに苦しくっても……! どんなに周りが、優しくなくても……! 私は、人を好きでい続けたいです……! 人に優しくありたいです……!」
涙を流しながら、鈴姫は笑った。カメラに向けて、輝くような笑顔で言った。
「ずっと昔……優しい人が、私にそれを教えてくれましたから……」
―――― ◇ ――――
「
ななは
「あの子……!」
―――― ◇ ――――
「鈴姫様……!」
華凛は声を詰まらせた。ヘッドマウントディスプレイの隅に映る鈴姫の姿が、涙で滲む。
画面の中の
『……あ、あっははは! 練習はこのぐらいにしとこう……あー、それじゃあみんな、またな』
大名持が手を伸ばして操作し、配信は唐突に終了した。
『華凛っ‼』
突然耳元で鳴った蓮太郎の大声に、華凛は飛び上がりそうになる。
「わっ! 何⁉」
蓮太郎は今までになく高揚した声で、
『主上を――――助ける‼ 必ずお救い申し上げ……絶対に、無事連れて帰るぞ‼』
「は⁉ いや分かってるわよ‼ 最初からそのつもりで来たんでしょ‼」
蓮太郎は一拍置き、湿った声で、噛み締めるように言った。
『……ああ、そうだった……! そのつもり、だった……‼』
「穂積さん……⁉ な、泣いてる……⁉」
―――― ◇ ――――
『……っはああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~………おもんなっ‼』
前方から長い溜息と悪態。〈
『何このクソ配信。萎え散らかすんですけど。あのメスガキ、ほんとクソの役にも立たないっすね。頭お花畑どころか腐った砂糖でも詰まってんじゃないですか?』
ビキッ……と、蓮太郎のこめかみに青筋が浮かんだ。
「華凛……」
低い声で呼ぶと、華凛も負けず劣らずにどすの利いた声で、
『分かってる……あのドグサレ女、絶対ぶっ倒す……‼』
蓮太郎は座席に深く腰掛け、無線の向こうへ語り掛けた。
「いいか、もう俺に合わせなくていい。俺があんたの動きに合わせる。今剣を握ってるのは機械じゃなく、丹治華凛だ。剣を振るのは
『……はい‼』
力強い返事が届いた。
蓮太郎は目前の凶刃を見据え、アクセルペダルを静かに踏みこむ。
「よし……行くぞ」
―――― ◇ ――――
太刀が槍に触れようかという寸前、相手がぴくりと動き、片鎌が向かって右に傾く。ならば、避けるべきは左――違う、フェイク‼ 突如降ってきた勘に従い、華凛は右に身体を傾けつつ太刀を左に払う。金属の摩擦音。槍は跳ねのけられた。そのまま柄に沿って太刀を滑らせ、〈人斬り〉の懐へ。
『もう騙されませんけど。あなた異人のおねーさんじゃなくてオンボロ乗りの
〈人斬り〉は左手を佩刀の柄に掛ける。だがそこで、蓮太郎が機体を猛進させた。〈依姫〉の右肩が激突し、敵がよろめく。槍を持った右腕が無防備に浮いた――
「――っヤアアアアアアアアアアアアアアっ‼」
気合と共に華凛は模擬刀を振り抜いた。手応えは当然ないが、〈人斬り〉の右腕が槍と一緒に両断した光景が、確かに映る。
『……てんめ』
〈人斬り〉は激昂し、左腕の太刀で打ち掛かってきた。〈依姫〉は防ぎ、いなし、避ける――上半身はもちろん下半身も、まるで華凛の意を読み取っているかのように自在に動く。
『底辺身分が……‼ 大人しく斬られろっての‼ お前を撮れ高にしてやるって言ってんですけど‼ クソの役にも立たないお前の命、私が使ってやるって言ってんですけど‼』
「江藤さん‼ 外部スピーカーオン‼」
「えぇっ⁉ 承知……⁉」
江藤は面食らいながらも端末を操作した。
華凛は模擬刀を振りながら叫ぶ。
「上の口からクソ撒き散らすのもいい加減にしなさい‼」
〈人斬り〉の動きが一瞬止まる。華凛は猛攻を加えながらさらにまくし立てる。
「クソの役にも立ってないのはあんたよ‼ 自分の欲求の為だけに人を殺して‼ 悪意を振り撒いて‼ そのことに気付きもしないで、鈴姫様の――人の志まで潰そうとして‼」
敵の太刀筋が乱れた。右脇腹が空いてる! と思った瞬間、〈依姫〉が脚をさばき、身体を沈めながら〈人斬り〉の右側へ。切断された右腕の下、内部構造の露出した脇腹が眼前に。
「その汚いクソの穴を閉じてろ‼ こんの――露悪イキり女あぁ‼」
左下から右上へ逆袈裟。右側を確実に深く斬り裂いた。〈人斬り〉は斬り口から火花とオイルを迸らせながらよろけ、やがて片膝をつき、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。
身体を弛緩させ、息を荒げる華凛の耳に、蓮太郎の声が届く。
『……あんただいぶ口が悪いな』
「え、結構抑えたつもりなんだけど……。ごめん、鈴姫様の前では言わないようにするわ……」
『ああ、そうしてくれ』
〈依姫〉は踵を返し、大坂城塞追手門に向けて走り出した。