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Wound ①

 不規則な振動音が耳を打った。それは地響きのようで、けれど微かすぎて幻のようにも思えた。緊張感が薄れることのない世界。ベッドに倒れ込むと、布団が背中を包み込む。天井の蛍光灯が穏やかに揺れながら私を照らしていた。そっと腕で顔を覆った。今日という一日が終わったはずなのに、外は晴れ渡っているような気がする。この窓のない部屋では、蛍光灯の柔らかなオレンジ色の光が髪に淡い影を落とし、肌に穏やかな輝きを与えている。

 ふと目を上げる。視線には机の上の小さなオルゴールに止まった。懐かしさに引き寄せられるように、手を伸ばす。


「まだ動くかな?」


 オルゴールに触れる指先が少し震える。手に取ると、木の冷たさと不揃いな造りが指に伝わってくる。その不器用さが、作った本人の真剣な表情を思い出させた。彼が初めて手作りしたこのオルゴール。蓋を開けると、小さな歯車が音を立てた。


「やっぱり」


 部屋に優しい旋律が響く。どこかぎこちないが、暖かい音色。


「これ、もっとちゃんと直せば……」


 その小さな調べが途切れる前に、そっと蓋を閉じた。壊れてしまうことを認めたくないから。


 目を閉じた。ただ静かに。ユトスのことが頭に浮かぶと、不安が胸をよぎる。きっと今日も無理をしているはずだ。ベッドから起き上がり、救急箱を手に取って彼の部屋へ向かった。

ノックもせずドアを開けると、彼は驚いたように私を見た。


「うわっ、びっくりした……ノックぐらいしろっての。団長かと思った」

「報告終わったよ」


 私が手に持つ救急箱を見て首をかしげている。とぼけても無駄なのに。


「……で、それ、なんで持ってんの?」

「何でって……もう、見ればわかるでしょ! ほら、やっぱりケガしてる!」


 私はユトスの額に目をやり、そこにある切り傷を見つける。


「早く手当てしないと」

「いやいや、これくらい平気」


 彼は切り傷を隠そうとしたが、すぐに救急箱を開けて手当て道具を取り出し、捕まえた。


「じゃあ今から傷口に塩塗る?」

「すみません、消毒お願いします」

「じっとしてて。すぐに治してあげるから」


 私の手が少し震えているのがわかる。でも、それは彼を心配する気持ちと、胸の奥で渦巻く特別な感情のせいだ。手当てをしている間、ユトスは手際の良さに感心した様子で私を見ていたが、どこか照れたようでもあった。


「これで大丈夫。無理しないでね」


 彼は微笑みながらおでこをこちらに突き出してくる。その子供っぽい仕草に、思わずくすっと笑ってしまった。私はそっと彼の傍に寄り添い、肩が触れる。彼の温もりが胸の奥を高鳴らせる。それをごまかすように、思い出を引き合いに出して口を開いた。


「そういえば、昔にも同じことあったよね。覚えてる?」


 ユトスは急に思い出したように笑った。


「ミイラ事件な。マリナに包帯で全身ぐるぐる巻きにされた奴。あの後、『無駄遣いしないで』って母さんにめっちゃ怒られた」

「そうだね」


 私は微笑みながら答える。その懐かしい記憶が二人の間に温かい雰囲気を作り出していた。


「あの時は下手くそだったよな」

「うん。それでさ、やり方を教えてくれたよね」


 過去の優しい思い出が浮かび上がる。あの和気あいあいとした時間がいつまでも続くような気がしていた。いい生活とは言えなかったけれど、過ごした時間は充実していた。


「今は手慣れたもんだよな」


 ユトスが肩をすくめながら言うので、少し呆れたように返す。


「君がいつもケガして帰るからです」

「男の勲章です」

「バカ」

「お前、いきなり何すんだよ!」


 ユトスがビクッと跳ね上がり、脇腹を押さえる。


「なにって、ちょっとツンツンしただけだけど?」

「ちょっとってレベルじゃねぇから! 変な声出るかと思ったわ!」


 ユトスはまだ脇腹を押さえながら、じろりと睨む。でも、その顔が少し赤いのは気のせいだろうか?


「へぇ、どんな声?」


 興味津々で聞くと、ユトスは一瞬固まり、次の瞬間、耳まで赤くして顔を背けた。


「言うわけねぇだろ、バカ!」

「ふーん、そんなに面白い声だったんだ?」


 ニヤニヤしながら、もう一度手を伸ばすと、ユトスはサッと後ろにのけぞる。


「やめろやめろ! 傷口開くって!」

「じゃあ大人しくしてなさい」


 私は満足げに腕を組み、ユトスは不満そうにため息をついた。その仕草に、思わず微笑みがこぼれる。けれど、彼の表情にはどこか嬉しそうな色も見え隠れしていた。


「なにその顔、変顔?」

「真顔だ真顔」


 二人の間に軽い笑いが広がり、空気が少しだけ柔らかくなる。すると、彼はそっと私の肩を引き寄せてきた。その動きに驚きつつも、私は抵抗せず身を任せる。

彼の温もりが伝わるたび、胸の奥が高鳴るのを感じる。けれど、それを隠すように、私は視線をそっと床に落とした。


「なにかあった?」


 私は首を横に振って答える。素直になれない。

ユトスはそれ以上何も聞かなかったが、そのまま私の肩を引き寄せた。


「そっか」


 彼の胸に顔を埋めた。静かな鼓動が聞こえてきた。

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