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Regiofol ②

 白い満月が沈みかけ、太陽が昇り始めている。今だけは、朝と夜が重なる時間。

冬が終わろうとする水音がどこからか聞こえてくる。空気が枝に溶け込んでいるのかいつもより温かく感じた。

そんな静寂を破るように枯れ葉が踏まれていく。

彼女は黙したまま見下げた。


「十七番目はここにいるのか……」


 彼が見上げた先には、凛として咲く花の如く姿がある。


「僕はあんなのどうなったっていいんだけどね」

「そうもいかんだろ」

「……姫様も物好きだねぇ」


 彼女は、耳の中をほじりだす。


「で、なんで服を着ている?」


 肩から少し落としたジャケット、ボーイッシュなパンツに帽子を合わせた彼女の姿。木漏れ日の下、揺れる帽子の影が彼女の視線を柔らかく覆う。


「かわいいでしょ」

「鱗で十分だろ」


 彼は、無頓着に返す。


「えー、やだやだ。乾燥するじゃん」

「着飾った所で見せる相手がいない」

「いるもん。姫様だってこの前褒めてくれたよ? 『かわいい』って」


 ぷくっと頬を膨らませた彼女は、ひとつため息をついてくるりと踵を返す。その仕草には、わずかな苛立ちと諦めが入り混じっていた。


「下等生物の産物なんぞ、捨ててしまえ」

「やーだ。僕は人らしく生きたいの」


 彼女は、何を考えているのだろうか。それは彼には分からない。


「変われるなら、代わりたいもん」

「くだらん」


 彼は鼻ですかすと、彼女の背中を追う。彼女は悪戯っぽく笑う。


「それじゃー、寝坊助くんを起こしにいこうか」


 空に投げたベレー帽が枝に引っかかり、柔らかくくしゃりと形を崩した。風吹く森の中、土に還る。



 画面には崩落事故現場が静かに映し出される。その中心部に、不気味に刻まれた巨大な足跡がズームインされる。光があたるたびに、細かな亀裂と土のめり込みが際立つ。


リポーターの声が低く、重々しく響く。


「現場はまさに異様と言える光景です。この足跡、専門家によれば従来の生物学では説明不可能だとのことです。そして現場周辺では、不明な遠吠えが複数回記録されています」


 画面の奥、微かに映るのは、闇の中に蠢く影のようなもの。短い間隔で画面が乱れる。


 ロゴシア北区。

かすかな薄明が広がり始めた頃、そこに浮かび上がったものは巨大な足跡。調査隊の隊員たちは困惑の色を隠せないまま、現場を見つめていた。


「これが生物のものだとしたら、いったいどのような姿をしているのか?」


 その足跡を見守る隊員たちの間に、不思議な緊張感が漂っていた。真実はどこにあるのか?それとも、人知の及ばぬ世界からの何かが現れたのだろうか。

テロップが静かに流れた。


――未確認生物の可能性、調査進行中――


「ルイスさん……これどう思います?」

「デマだろどうせ」

「未確認生命体のこと、調査隊は真面目に対応してますよ」


 ルイスは半笑いで、椅子に深くもたれかかった。画面には巨大な足跡が映し出されている。薄暗い霧の中、その形状だけが際立って不気味な存在感を放っていた。


「真面目な対応ねぇ。どうせ娯楽ニュースだろうが」

本気マジですよ。現場に行った後輩が遠吠え聞いたって!」

「オオカミ男かなんかか? デカい犬だろ」


 ルイスは爪切りを取り出し、カチカチと爪を整えながら、どうでもよさそうに答えた。対する彼は視線を上げ、苛立ちを隠しきれず声を張る。


「そんな簡単に否定しないでくださいよ!」


 ルイスは一瞬だけ目を上げてため息をつく。画面の中、調査隊員が足跡を囲む様子を映し出している。その背後では、何かが影のように蠢いているのがちらりと見えた。


「……お前な、信じろって言うならもっとマシな根拠持ってこい」

「根拠なんてこれ見てれば十分じゃないですか!」


 画面越しに遠く響く低い咆哮が届く。隊員たちは身を硬くし、周囲を警戒している。それを見たルイスは少し椅子に寄りかかり直したが、皮肉な笑みを浮かべて応じた。


「はいはい。どうせこの後カメラが偶然倒れたとか言って、都合よく映像途切れるんだろ。お約束だよ」


 ドサッとカメラが暗転する。


「……ほらな?」

「なんだよ、それ」


 彼は肩をすくめながらも、画面から目を離せなかった。その姿を見たルイスは再び爪切りに集中しながら、不敵な笑いを漏らしている。


 塔の上では、隊員たちが雑談をしていた。風が吹き抜け、遠くの空が霞んで見える中、梯子の軋む音が鋭く響いた。


「お、きたか?」

「うぃー……」とだるそうな返事が返る。顔を上げると、ユトスが重い足取りで上がってくるのが見えた。


「眠そうだな、ユトス。昨晩もお楽しみだったのか?」

「ああ」

「え……先輩、部屋に連れ込んでるんすか?」


 一瞬の沈黙。だがその後、ルイスのけたたましい笑い声が響き渡る。


「コイツにそんな甲斐性ねぇよ!」

「……クラフトしてただけだ」


 ユトスはぼそっと言いながら、錆びついた蛇口をひねる。勢いよく出てきた水が、氷を含んでボトボトと落ちていく。

水が太い線を描き始めるまで数秒。その流れに手を差し出し、顔を水たまりに沈めると、ユトスの目が少しだけ冴えたように見えた。


「そろそろだな、遠征……どうすんだ?」


 ルイスはタオルを差し出しながらがぽつりと尋ねた。


「どうするって?」

「南と北、どっちに行くか決めたんか?」

「決めてねぇよ」

「早くしろよ」


 そう言いながら、意味深な笑みを浮かべた。くどいほど軽い口調だが、その視線にはわずかな探りの色が混じっている。


「なんだよ……」

「窮屈な生活と、おさらばだな」


 彼は肩にポンっと腕をかけてくる。


「あ?」

「いやー、こんな所じゃプライバシーも何もないだろ?」

「まぁ、ないな」

「だから、この遠征帰りにカップルが誕生するっていうジンクスがあるんだよ」


 ユトスは肩をすくめながら、「……興味ない」と短く返した。


「男の勲章は傷と女の数だぜ」


 力説した彼に、ユトスは冷ややかな視線を向ける。


「お前みたいなろくでなしにはなりたかねぇよ」


 と、静かに切り返すと、ルイスが再びケラケラ笑い始めたことで、薄い緊張感は霧散した。





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