金属製の梁の上で、赤く光る四対の眼がきらりと瞬いた。視界の隅でそれを捉えた瞬間、周囲の空気が一変した。緊張感が一気に高まり、戦闘の気配が漂い始める。
「上だ――!」
ユトスの声が響く。猿型のヴァジュタスが鋭く吠え、二体が天井から飛び降りた。正面と背後から、一斉に襲いかかるような動きだった。
「囲む気か……!」
アランが咄嗟に姿勢を低くし、背後に回り込んだ個体に向けてプラフル弾を撃ち込む。しかしヴァジュタスは鉄骨の隙間をするりと抜け、すぐに宙返りの要領で回避。そのまま天井へと戻り、梁を滑るように移動していく。
「動きが速い……こいつら、猿型ってレベルじゃねぇな」
E.Sが低く唸り、ユトスの指示に即座に反応する。
「E.S、上を狙え! こっちは下を押さえる!」
『了解。優先ターゲット切り替え。――補足完了、発射!』
放たれたプラズカの光条が天井を這うヴァジュタスの一体を撃ち抜こうとする。しかし、個体は梁の間から滑り落ちるように地面へ舞い降り、照準から巧妙に外れた。
「避けた……!? いや、こいつら連携してる……!」
鉄骨が軋み、埃が舞う。別の個体が梁を蹴って急降下。ユトス目掛けて一直線に突っ込んできた。毛皮の下で盛り上がる不気味な筋肉。その突進は、まさに質量と速度の暴力だった。
「来い、E.S――!」
だが、その軌道すら見切っていたかのように、ヴァジュタスは寸前で梁を蹴り、軌道を逸らして跳躍。天井へ再び逃れた。
「避けた……!? どうなってんだ……!」
その瞬間、別の個体が背後から襲いかかる。先の動きは陽動だった――!
「ユトス、下がって!」
メリックが割って入り、腕部のプラズカを展開。電撃弾が閃光とともに炸裂し、猿型の一体が痙攣しながら床に叩きつけられる。だが、怯まない。すぐに立ち上がり、梁へと跳び戻る。まるで獲物を試すかのように、こちらの反応を観察しているようだった。
「やっかいな連中ね……完全に、こっちの動き読まれてる」
メリックが歯を食いしばる。
「ただの獣じゃねぇ……こいつら、統率されてやがる!」
アランが吐き捨てた。
そのとき――梁の上で、一体が咆哮を上げた。すると、他の個体たちも呼応し、左右へ分散。天井から、足場から、四方八方から一斉に飛びかかってくる!
「全方向から来るぞッ!」
ユトスの叫びと同時に、仲間たちは即座に背中を合わせて円陣を組んだ。
「E.S、最大出力で展開!」
エネルギーが放出され、E.Sが一斉に両断。断末魔すら残さず、猿型は床に激突し、血煙と破片を撒き散らす。背後で、別のヴァジュタスがユトスへ迫る――。だが、アランの弾丸が膝を撃ち抜き、猿型は悲鳴を上げながら地面に叩きつけられる。
「空中戦なんて聞いてねぇぞ……!」
アランは毒づきながらも、次の弾を装填していた。
「高さで支配してくるタイプか……なら、こっちも上を獲る!」
メリックがエレクトロネットを展開し、天井梁へ向けて射出。放電する罠が形成され、飛び込んできた猿型が絡まり絶叫する。
「よし、今だ!」
ユトスが跳び、壁を駆け、梁に飛び乗る。飛来する猿型に、逆手で鋭く斬り上げ――そのまま一刀両断。
「――っ!」
斬撃が決まると同時、ヴァジュタスの体は重力に従い、音を立てて地面に落ちた。その衝撃で周囲の瓦礫が跳ね上がり、廃工場内の静寂を切り裂く。
ユトスは息を切らし、剣を下ろす。心臓が激しく鼓動している。まだ、終わりではないと感じていた。
「もう……まだ、何かあるのか?」
アランが気を抜く間もなく、メリックが鋭く振り返った。その先には――
「……?」
反応があるわけではない。ただ、廃工場内は依然として不穏な静けさに包まれていた。
「いない……か?……やけに静かだ」
その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、工場の奥から物音が響いた。
「――!」
その音は、まるで何かが迫ってくるような、不気味な音。地鳴りのように、廃墟の空間全体が振動する。背後の巨大な鉄扉が軋む音を立て、ゆっくりと開き始めた。何かが目覚めたかのような、不穏な気配が空気を満たす。
「……なんだ?」
全員の視線が扉の向こうに向けられる。聞こえてきたのは足音。規則正しく響くその音が静寂を引き裂いた。瓦礫の向こうから現れたのは、黒服を纏った男女だった。彼らは冷たい視線でこちらを見据えながら、慎重な足取りで近づいてくる。
「なんだよ。おどかすなよ。人じゃねぇか」
「こんなところに人が……レギオフォルかな?」
「……見ない顔だな」
アランが肩をすくめながらぼやいた。工具を片手に握り締めたまま、その姿勢にはわずかな緊張が残っている。しかし、その言葉が響いた瞬間、上空で旋回していたE.Sが鋭い口調で割り込んだ。
『何いってんだ。あれは――』
黒服の男が手を軽く振る。空気が一瞬歪んだ気がした。
その動きと共に放たれた衝撃波がE.Sを襲い、青白いエネルギー剣が消え、機体がわずかに電源が切れる。
『っぶねー意識とんだ。俺様をこんな雑に扱うんじゃないぞ!』
ユトスは冷静に武器構えて、視線を黒服の男女に固定した。
「あいつらはなんだって?」
『すまん……さっきの衝撃でデータ解析がイカれちまった。』
E.Sの生意気な調子もどこか慎重さを感じさせる言葉に変わった。
黒服の女性が前に出ると、冷淡な口調でユトスに問いかける 。
背後にある光源が逆光になっていて、表情が見えない。
「あなたがユトス・マクシムスね」
その言葉と同時に、重力に押し潰される感覚がする。心の奥底から沸々と恐れと疑問が噴き出してくるようで、手が震える。敵意でも殺気でもない、もっと別の何かだ。
黒服の女性の背後に立つ大柄な男が一歩前に進み出た。その動きは重々しく、周囲の瓦礫を踏みしめる音が響き渡る。
「お前を連れていく」
その言葉にユトスの眉がわずかにひそむ。彼の視線は鋭く動き、状況を見極めるために相手の態度や装備を観察した。見たことない服装。武器はこれといってない。
「理由を言え」
「知る必要があるのか?」
その一瞬の間を利用するようにアランが苛立ちを露わにし、声を上げた。
「仕掛けてきておいて、はいそうですかとついていくバカがいるか!」
「邪魔だ」
アランが前に詰め寄ろうとした瞬間、男が手を軽く振る。次の瞬間、放たれた衝撃波が彼を吹き飛ばされる。
「アランっ!」
背後にいたメリックが咄嗟に彼を受け止めるが、二人は壁に激突して崩れ落ちた。
「用がない奴は引っ込んでいろ」
黒服の女はその様子を興味を示さす真っ直ぐ歩みよってくる。
「私たちはインダストリー」
その言葉が静かに廃墟内に響き渡る。ユトスは一瞬だけ視線を動かしながら、冷静に問い返した。
「インダストリー?」
女は肩を軽くすくめ、どこか計算されたような冷笑を浮かべる。
「あなたには二つの選択肢があります」
その言葉は冷静だった。だが、抑揚のない声の裏には、明確な殺意と――拒絶を許さぬ意志が滲んでいる。
「私たちと来るか……ここで死ぬか」
その言葉には、依然として殺意がなかった。
感情の起伏もない、まるで録音された音声のように機械的だ。
――なぜ、自分だけを選ぶ?
疑問が脳裏をよぎるが、そこに思考を囚わせる余裕はなかった。
傷つき、意識のないメリックとアラン。戦闘に巻き込めば、命はない。
ユトスは唇をきつく噛み、焦げついた空気を肺に流し込む。
目の前に立つ女は、明らかに敵だった。
異様な気配。肌が逆立つような寒気。人間ではない、という確信があった。いや、確信ではない。記憶だ。
あのときと同じだ。母が、ヴァジュタスへと変貌していったあの瞬間。虚ろな目。内側から塗り替えられていくような気配。ユトスの心臓が強く跳ねる。呼吸が浅くなる。喉の奥が苦しい。でも、引けない。
迷いは、ある。怖さも、ある。
それでも鼓動が跳ね上がる。背筋を走るのは、恐怖ではなく、火のような怒り。仲間をこんな目に遭わせた相手に、背を向けるつもりはなかった。
ユトスはE.Sのコアに指を当て、命じた。
「二人を連れて、逃げろ」
『あいつら相手にするつもりか?』
当然だ、そう言いかけて、ユトスは言葉を飲み込む。強がりは、もう意味がない。
「俺が足止めする。今はそれしかない」
そして、ユトスは一歩、前へ踏み出した。女は再び問いを突きつける。
「どっちがいい?」