「奥様、奥様?お目覚めになりましたか?」
佳夢は重たい瞼をこじ開けた。
もうすっかり明るくなっている。こんなに長く眠っていたなんて、もう翌日だったんだ……そう思った。
「よかった、とにかくご無事で」ベッドの傍らで、執事の長谷川忠雄が安堵の息をついた。「こっそり一番効く止血剤を使い、傷の手当も。幸い、傷は悪化していません」
佳夢が首をかしげた。「長谷川さん、これが理にバレたら……」
「内密に行いました。古川社長にはおわかりにならないでしょう」長谷川は答えた。
「奥様、こちらを」
長谷川忠雄は慎重にポケットからティッシュの塊を取り出した。
一枚一枚丁寧に開くと、その中心に古川佳夢の切断された二本の指が収まっていた。
「奥様、お指は捨てずに保管しておりました」長谷川忠雄が言った。
「至急病院へ持っていき、医師に見せてください。繋げられるかもしれません……何度も拭いて、清潔にしておきました!」
佳夢はぼうっと切断面を見つめ、目が涙で霞んだ。
長谷川は元々理の腹心で、忠実な部下だった。
佳夢が嫁いで以来、彼女は彼に対して常に礼儀正しく、主人としての威圧的な態度を見せたことがなかった。
ある時、長谷川の娘が交通事故に遭い、緊急で多額のお金が必要になった。佳夢は無駄口一つ叩かず、自分の金を渡したのだ。
長谷川はその恩を忘れなかった。
「足の指が切れても、繋げられるんだ…」佳夢は呟いた。
「心が死んだら、また生き返ることはあるのかな?」
「奥様、今一番大事なのは病院へ行くことです!」長谷川は切迫した口調で言った。
長谷川の焦りの表情を見て、佳夢は首を振った。「もう遅いの」
「いいえ、奥様、間に合います。丁寧に保管してきましたから…」
「六時間以上経つと、繋がらないの」佳夢は言った。
「これからずっと、私は二本の足指が欠けたまま生きるのね」
佳夢はもがきながら起き上がり、足に巻かれた包帯をゆっくり解き、じっとその傷口を見つめた。
これは古川理が自らの手で切り落とした傷だった。
彼は彼女の全ての想いもろとも断ち切ってしまった。
本当にもう、彼を愛してはいけない、どんな期待も持ってはいけない…
あの頃の熱い少年なんてもういない。今の彼は冷血で非情な古川理。
彼女を死に追いやり、じわじわと苦しめたいと願う古川理だった。
長谷川の涙が一気に溢れ出した。「奥様、これはどうすれば…」
「大丈夫」佳夢の表情は平静だった。
「靴を履けば、誰にも見えないから」
ただ、これからはあの可愛いサンダルも、スリッパも履けなくなる。
一生、足先を靴の奥深くに隠し、決して人には見せられない。
佳夢は再び包帯を巻き、切断された指を受け取った。
「長谷川さん、何か食べるものはある?お腹が空いたの」
「はい!あります!すぐに厨房に用意させます!」
「ええ」彼女は応えた。「理は?」
「古川社長は…雲音さんと買い物にお出かけです」
佳夢は無表情でうなずいた。「そう」
彼女に何ができただろう?それでも生き続けなければ。
まだ死ねない。啓人には母親が必要なのだから。
化粧台の前に座ると、佳夢は長らく使っていない化粧箱を開けた…
彼女もかつて美人と言われ、きれいなの顔立ちに、水のように澄んだ瞳、小さくて高い鼻、桃色がかった唇。
もし古川理に出会わなければ、佳夢の美貌と才能をもって、見合った家柄で心から愛し合う男性と結婚するのは造作もないことだった。
女の人生で、人を愛し間違え、嫁ぎ先を間違えることが、最も大きな苦しみだ。
空気の中に、まだ結婚式の神父の声がこだましているようだった。
「貧しくとも富めるとも、病めるとも健やかなるとも、汝の手を取り、共に白髪の生えるまで添い遂げることを誓うか」
あの時の誓いの言葉は、今聞けば最も皮肉な嘲笑にしか思えない。
理の冷たい笑い声が、再び彼女の耳元で響いた。