松田清子が車から降りた途端、小さい子供が彼女を呼んだ。

「あれ？おばさん、ここに住んでるの？」

振り返ると、スーパーで会ったあの女の子が、こちらへ走ってくるのが見えた。清子は叫んだ。

「走っちゃダメ、転ぶよ！」

すると案の定、少女は転んでしまった。

清子は慌てて駆け寄り、少女を抱き上げた。服の埃をはたき落としながら、怪我がないか確認する。擦り傷を見つけると、清子は少女を抱えたまま家へ向かい、振り返って老婦人に言った。

「怪我をしてるので、手当てをさせてください」

老婦人も後を追った。その瞬間、驚愕の声が響いた。

「ママ！」

清子が振り向くと、田中健一に連れられて戻ってきた田中圭介が、少し離れた場所から怒りを込めて彼女を見つめていた。圭介は駆け寄り、手を伸ばして莉々子を引きずり降ろそうとする。

莉々子は恐怖に震え、身を縮めた。圭介は遮るものなく叫んだ。

「僕のママだ！誰がママに抱かれるって許したんだ！」

莉々子を引き剥がせないと見るや、圭介は彼女の柔らかな肌を力いっぱいつねった。莉々子は痛さに泣き出した。

莉々子の祖母が駆け寄り、清子の腕から孫娘を受け取る。つねられた跡を見て、胸が締め付けられる思いだった。祖母は圭介が清子の息子だと知っていた。不満そうな表情を浮かべたが、何も言わない。

清子は圭介の手首を掴むと、その手を強く叩いた。

「田中圭介、莉々子に謝りなさい」

「謝らない」

生まれてこのかた、どんなことがあっても清子は圭介を一度も叩いたことがなかった。優しく接し、間違えれば道理を説いてきた。なのに今日は他の子を抱き、その子のために自分を叩いた。圭介は心が引き裂かれるほど悔しく、謝るつもりなど毛頭なかった。

「理由も聞かずに人をつねるなんて、ママはそう教えた？謝りなさい」

「うあ――！」

健一の姿を見つけると、圭介は飛びついて抱きつき、悔しさのあまり泣きじゃくった。

清子は莉々子と祖母に深々と頭を下げた。

「申し訳ありません。息子の教育が行き届かなくて。さあ、莉々子ちゃんに薬を塗らせてください」

老婦人は清子に良い印象を持っており、彼女の人柄も信じていた。だが家に入ることにためらいが見えた。

清子はその心中を察して言った。

「大丈夫です。もう二度と手を出したりしませんから」

莉々子をリビングのソファに寝かせ、清子は救急箱を探しに出た。

この家は相変わらずだった。彼女の私物は何も片付けられていない。離婚手続きが完了していないのか？それとも田中正夫の体調を気にして知らせていないのか？圭介は清子が他の子に優しくする様子を見て、胸が張り裂けそうだった。

莉々子の手当てが終わると、清子は老婦人に彼女を返した。

「本当に申し訳ありませんでした。でもこれで大丈夫です」

「いえ、大したことではありません。では失礼します」

老婦人は一刻も早く立ち去りたい様子だった。

清子はもうこの家の者ではない。食事に留める資格もなく、うなずいて二人を見送った。

玄関先で清子は不審に思い尋ねた。

「莉々子ちゃんは圭介と同じ年齢ですよね？今日は始業式では？」

老婦人はため息をついた。

「この前病気して、まだ完全に回復してなくて。数日遅れで行かせようと思ってるんです」

清子は合点がいったようにうなずく。二人の姿が見えなくなるまで、じっと立ち尽くしていた。

リビングに戻ると、圭介がまた泣いていた。清子は無表情で彼を呼び寄せた。圭介は父親を探したが、健一はすでに自室に戻っている。

「圭介、どうしてそんなことするの？小さい頃から言ってるでしょ、男の子は女の子に手をあげちゃいけないって」

「でもママ…」

半月ぶりの再会。ママがもう自分を愛していないような気がしてならなかった。確かにママがいない間は、あれこれ干渉されなくて自由だった。でも他の子を抱いている姿を見ると、自分が嫌われた気がした。

「莉々子ちゃんは走って転んで怪我したの。だから抱き上げただけ。何度も言ったよね？まず事情を確かめてから行動しなさいって」

圭介は少し冷静になり、うつむいた。

「ママ、僕、悪かった」

「次に莉々子ちゃんに会ったら、自分から謝るんだよ」

圭介はうなずいた。

自分の息子に、清子は本気で怒り続けられなかった。そっと頭を撫でながら言う。

「そうだ、おばあさまからのプレゼントがあるの。持ってくるね」

車から贈り物を取り出し、圭介に渡す。

圭介は明らかに嫌そうな顔をしたが、清子の前では言った。

「おばあさまに電話して、ありがとうって言うよ」

「うん」

清子の口調は淡々としていた。

渡辺悦子が次々とプレゼントを贈ってからというもの、実家の松田家や祖母からの贈り物でさえ、圭介は無意識に嫌悪感を示すようになっていた。芸能人の悦子は最新玩具をいち早く手に入れ、圭介を常に流行の最先端に立たせた。その結果、彼は少し前に流行った玩具を見下すようになっていた。それでも祖母の気持ちは大切にしなければならない。清子はそう思い、持ってきたのだった。

清子が台所へ向かうと、圭介が叫んだ。

「ママ、どこ行くの？」

「ママの料理が食べたいって言ったでしょ？作ってあげる」

圭介はもちろん食べたかった。大きくうなずいた。

佐藤さんは清子の帰宅に心底安堵していた。

「奥様、お帰りなさいませ。ずいぶんお出かけでしたね」

清子は理解していた。離婚の件は使用人に知らせることではない。佐藤が知らないのも当然だ。彼女はただ微笑み、何も答えなかった。佐藤は困惑した表情を浮かべた。

清子は圭介に脂っこい料理を出すことは滅多になかった。成長期だからこそ、漢方医を信奉する彼女は野菜や雑穀など消化のいい食事を心がけていた。手早く料理を終えても圭介が現れないので、部屋へ呼びに行った。

ドアをノックしようとした瞬間、中から圭介と悦子の会話が聞こえた。

「悦子、ママってさ、いつも他の子の味方ばっかりするんだよ。僕が頑張ってることなんて全然気にしてくれない。悦子みたいに僕の気持ちをわかってくれて、味方になってくれる人じゃないんだ」

八歳にもなれば、多くのことを理解し、自分の感情を表現できるようになる。

悦子の声が優しく響く。

「立場が違うのよ。彼女はあなたのママなんだから、当然あなたのことを考えているわ」

「違うよ！本当に僕のことを考えてたら、叩いたり叱ったりしない。前に外で遊んだ時も同じことあったけど、悦子は僕の味方してくれた」

「あなたが悔しい思いをするの、私には耐えられないもの。でも彼女のことも少しは理解してあげて。自分の子どもを大切に思わないママなんていないわ」

「うちのママは違う！もうママのことなんか考えたくない！もうイヤ！イヤ！」

「はいはい、もう言わないで。そろそろ食事の時間よ。冷めないうちに行きなさい」

「悦子さん、今度ピザ食べに連れてって！ピザ食べたい！」

「何でも好きなもの食べさせてあげる。さあ、ママのところへ行ってね」

「わかった」

そして圭介は付け加えた。

「帰らせなきゃよかった」

「そんなこと言っちゃダメ。ママだもの」

「あと、おばあさまからもらったプレゼントさ。パパが『プレゼントをもらったら礼儀正しくお礼を言いなさい』って言わなかったら、本当に捨てたかったんだ。ママがいなくなったら、そのおもちゃゴミ箱に捨てるよ。それって先々月悦子さんが持ってきたやつだしさ。何もわかってないんだよ、ほんとつまんない」