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第2話 自称たびびと、迷子ではないらしい



 女の子だ。

 砂ぼこりで少し薄汚れたワンビース姿の女の子が、俺のズボンの裾をチョンと摘まんで立っている。


「もしかして迷子か?」


 でもそれにしては、えらく砂埃を被っている。

 肩より少し長い緋色の髪もボサボサだ。

 家なき子と表現したほうが、いささか正しいように見える。


 しかしそれにしては、栄養状態は良さそうだ。

 ガリガリではないし、俺を見上げてきている目も、何故か期待に満ちている。


 家なき子特有の険が、彼女からは感じられない。

 彼女の隣で同じようにこちらを見上げてきている羊は羊で、別の意味でちょっと様子がおかしい。


 まず羊毛の嵩が大きいせいで、一瞬「何だこの大きな毛玉は」と思ってしまった。

 この子が羊だと分かったのは、蹄の付いた小さな四本足と、羊特有のクルンと丸くカーブした角が、辛うじて毛玉から覗いていたからだ。


 角を起点によく見れば、やっと埋没スレスレのつぶらな目がこちらを見上げてきている事に気がついた。

 女の子とは対照的に、汚れ知らずの純白といった感じの羊毛をしているのも、疑問だ。

 何だかちょっとこう、つい触りたくなってしまうような、清潔さとモフモフさを感じずにはいられない。



 ……おそらく布袋で両手が埋まっていなければ、実際に触っていただろう。

 思わず目がその羊毛に吸い寄せられていたが、ギリギリのところで我に返る。



 今はそんな事を考えている場合ではない。

 もうすぐ日が暮れてしまう。


 冒険者がいるところに魔物の脅威ありとはよく言うが、幸いにもこの辺はそれ程危険ではない。

 この辺で奴らが住んでいるのは、遠くにちんまりと見えている森の中だ。


 冒険者たちが日々の依頼で討伐している事もあって、魔物が下りてくるという話は滅多に聞かない。

 こんな街壁の外であっても、持ち歩き式の『魔物除けの魔道具』がただのお守りになるくらいには、ここは危険というものに縁のない土地である。


 しかし、魔物の危険がほぼない事と、子どもが暗くなるこんな時間に一人で街の外をウロウロしているのとは、また話が別だ。


 こんな暗くなる時間まで子どもが家に帰ってこないのでは、流石に親も心配するだろう。

 晩飯を急ぐ身ではあるが、それは迷子の子どもを見てみぬふりするような真似をする理由にはならない。


 親のところまで、この子たちを送り届けてから家に帰ろう。

 ちょうどそう思ったところで、先ほどの俺の呟きを聞いていたのだろう。

 女の子が小首を傾げながら口を開く。


「エレン、まいごじゃないよ?」

「めぇ」


 女の子に合わせて、羊も相槌を打つように鳴く。


 じゃあ近くに保護者がいるのだろうか。

 そう思って辺りを見回してみるが、それらしき人影……どころか、そもそも人の姿が見えない。


 当たり前か。

 俺自身、帰宅が遅くなっている自覚はある。

 この辺で仕事をしていた人たちは、もうほとんど街に帰っている時間なのだ。


「家はどの辺?」


 腰を落とし、女の子に視線を合わせながら問う。


 聞きながら、「もし分からないと言われたら、とりあえずギルドまで連れて行こう」と考える。


 あそこは人の出入りが多いし、ここはそれほど大きな街でもない。

 直接この子の親と知り合いでなかったとしても、おそらく知り合いの知り合いくらいは情報網の端っこのほうに引っかかるのではないかと思う。


 しかし、返ってきた答えは予想外のものだった。


「エレン、お家ない」

「え、ない?」


 分からないではなく、ない?


「じゃあ、一体どこから来たんだ?」

「あっち」


 そっちは街とは反対方向だ。

 ひたすらの田園風景しかない。

 向こうの方にはちんまりと、魔物の住む森が見えるが……。


「流石に一人と一匹で通るには、物騒な森だ。魔物もいれば、開拓もされていない」


 道があるとして、精々獣道程度。

 獣が通るからできた道な訳だから、使えばそれだけ脅威に出会う率は上がる。

 まさかそんなところから来た筈が――。


「エレン、メェ君とあの森通ってきたの」


 そんな馬鹿な。

 流石に非力な子どもが入れば、生きては出られないような場所だぞ。


「前のお家はおばあちゃんがお空のお星さまになって、やちん? が払えなくて、なくなっちゃったの。だからね、エレンとメェ君今、『たびびと』なんだよ! 友だち『いっせんまんにん』作るの!」


 なんか、かなり高いハードルの目標を掲げているようだけど、とりあえずそれは一旦横に置いて。



 家賃が払えなくなり、家がなくなる。

 その言葉で想像したのは、家主から一人追い出された光景だ。


 一人になってしまった子どもを家から追い出すなんて、流石に可哀想すぎるだろ。

 そう思ったが、一方で、「家を貸すことで収入を得ているような家庭では、支払い能力のなくなった住人を追い出すのも日常茶飯事だ」という話も聞いた事がある。



 俺は元々貴族の出で、成人する前に王城で職に就いた。

 解雇されてもその時に貯めていた給料で、今でもそれほど生活には困っていないからあまり感じることはないが、平民たちの暮らしには、それ程余裕がある訳ではない。


 身寄りのなくなった他人の子より、自分の家族を養う方が優先。

 それは世界中の平民たちの常識だと聞く。

 こうして子どもが追い出される状況も、きっと世の中にはたくさんあるのだろう。


 聞いたところによると「そういう場合、普通は誰の手も入っていないあばら家を探して住み着けばいいだけ」というのが一般常識のようだったが、まだ子どもの彼女がそれを知らなくても不思議ではない。


 実際に森を抜けられた理由はよく分からないが、この子が近くの空き家を探すことなく森に進路を向けようと思った事自体には、ある意味「なるほど」と納得できる。



 でも、だからってこんな子どもが羊一匹と一緒に旅人っていうのはなぁ……。

 今回無事だったのは、単に運がよかったからだ。

 普通は無事ではいられない。

 本人を見るに「楽しかったよ!」と言いたげだが、あまりにも危険すぎる。


 とはいえ、俺に戦闘力はない。

 ついていくのは無理だから、冒険者に同行を依頼するか、旅をここで終わりにさせるか。

 どちらにしても、今日のところはとりあえず、この子をこの町に引き止める事ができればいいんだが――不意に革袋の中のトマトが、コロンと外に飛び出した。


 落ちる。

 そうなれば、少なからず潰れる。


 丸々潰れる事はなくとも、食べられる場所がそれだけ減る。

 せっかく貰った美味しい食材が、一つ粗末になってしま――パシッ。


 布袋で両手が塞がっていた俺の代わりに、小さな両手が赤い実をキャッチした。


 おそらく反射的に動いたのだろう。

 自分でも驚いたような顔をした女の子が、両手に収まった無傷の実を前にホッと安堵に顔になる。

 その時だ。


 グゥーーーーーッ。


「……」

「……」

「めぇ?」


 突然鳴った大きな音を聞いた羊が、女の子の顔を覗き込む。

 その様がどうにも「お腹減ったの?」とでも言わんばかりで。


「……えっと、とりあえずトマト食べる?」


 思わずちょっと笑ってしまった。




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