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第3話 物騒になってしまった羊のメェ君



 キャッチしたトマトをそのままやると、彼女はすぐに齧りついた。

 真っ赤な果肉に小さな歯型が付く。

 モグモグと咀嚼した彼女は嬉しそうに、「うんまー!」と言いながら目を輝かせる。


 隣で羊が「めぇ」と鳴いた。

 何を思って鳴いたのかは知らないが、彼女は「彼も欲しいのだ」と思ったようだ。


 自分の食べかけをあげようとしていたので、俺は布袋からもう一つ取り出した。


 動物には食べられない野菜が幾つかあるが、トマトは大丈夫。

 うちにいる数匹の居候たちはトマトを食べてもピンピンしているし、問題ない。

 だから俺は彼にも、トマトをあげた。



 つまりこれは、完全なる善意だ。

 悪意なんて、塵ほどもない。


 だからあんな事になるとは、まったく思いもしていなかったのだ。

 誓って他意なんてなかったのである。





 現在、歩いて街に帰宅中。

 互いに自己紹介をし、女の子がエレン、羊がメェ君という名前なのを知った俺は、ちょうど街を囲む壁の門番のところまでたどりついたのだが……。


「スレイ、今日はゆっくりだったんだな――って、血濡れの魔物?!」


 白い羊毛の口元だけが真っ赤に染まっているメェ君を見て、顔見知りの門番が恐れ慄いた。



 彼が驚くのも無理はない。


 たしか、ブラッディシープという名の、羊の見た目をした魔物がいるのだ。

 その魔物の羊毛は真っ黒だが、生き物の血を栄養源としている。

 生き物の血で口元を赤く濡らした、黒い羊の魔物。

 それが、人間も食べると言われているブラッディーシープの姿である。


 毛の色こそその魔物の特徴とは違えど、毛が厭に純白なせいで、口元を染めている赤がなまじ鮮やかに目立つ。

 そんな羊が町の門までやってきたのだ。


 初めてこの惨状に気が付いた時、俺でさえちょっとギョッとしたのである。

 町の治安を守るという大切な仕事に就く彼が、これを見逃すのはきっと逆に難しい。


 しかし違うのだ。

 この羊の口元の赤は、血ではない。


「いや、ただの羊だよ。トマトを食べるのにちょっとばかし失敗した、な」

「たしかに目は赤くないが、これは……」


 俺も考えが甘かった。

 まさかメェ君が、こんなにもトマトを食べるのが下手だとは、思いもよらかなったのだ。


 そのせいで今、両手に抱えた布袋を見せるようにして持ち上げた俺に、中身を見た門番が困惑顔を向ける羽目になってしまっていると思えば、もう申し訳なさしかない。



 エレンとメェ君は、周りの空気など気にする様子もなく、すぐ隣で和やかに「さっきのトマト、おいしかったねぇ!」「めぇ!」という、会話めいたやり取りをしている。


 気が抜けるようなこの一人と一匹の様子は、普通ならむしろほのぼのとした気持ちで見ていられるものだ。

 実際にすべてを知っている俺はそれに近い感情を彼女たちに向けているのだが、門番の彼は、そうもいかない。


 門番としての責任感からと、どう見ても血濡れにしか見えないメェ君の見た目の酷さのせいで、こんな和やかなやり取りにさえ疑惑を向けなければならない彼が少し不憫だ。


「随分な顔見知りだし、ないとは思うが……スレイさんや彼女、この生物が街に被害を与える存在か、念のため確認させてほしい」

「もちろんどうぞ」

「すまないな」

「謝らないでください。それが貴方達の仕事でしょう?」


 暗に「分かっている」と伝えれば、彼は少し表情を和らげた。

 そして懐から棒状の物――スキル『魔道具師』が作った”判定機”を取り出す。


 魔道具師のスキル持ちは、人知を超えた特定の効果を持つ品物を作ることができる。

 これは、これから悪意や害意のある事をしようとしている人間かどうかを、判定する事ができるもの。


 どういう判断基準なのかは、不明。

 スキル研究家として調べたこともあったが、精々『判定対象者の心持ちを読むものなのではないか』という仮説が立てられたくらい。

 明確な事は、結局分からずじまいだった。


 しかしその精度は折り紙付き。

 特に街の治安に関わる門番が採用する判定機の作り手は、厳選される。

 能力の高い魔道具師が作った物だからこそ、これまでずっと町の治安は守られてきた。


 そんな実績のある品で行う審判だ。

 もちろん信頼性はある。


「この二人と一匹の脅威を判定!」


 彼の言葉に呼応するように、短いステッキの上に付けられている小さな石が小さく光った。


 光の色は、青。

 青は“脅威なし”の色だ。


「……ふぅ、よかった。通っていいぞ。今日もお疲れさん、スレイ」


 安堵の表情と共に、彼は俺を労ってくれた。

 俺は「お互いね」と言葉を返して、エレンとメェ君を連れて町の中に足を踏み入れたのだった。




「このままギルドに今日の依頼達成報告と、ついでにエレンの事を相談しに行こうかと思ってたけど、さっきのを見た感じだと、やっぱり先に家に帰って汚れを落としてきた方がいいだろうな」


 町中を歩きながら、俺はそう呟く。


 今の時間、冒険者ギルドはちょうど混雑時間帯だ。

 魔物の討伐、護衛、薬草採集。

 そういった仕事を終えて帰ってきた冒険者たちが、もし今のメェ君を見たら。


 門番が槍を向けてこなかったのは、無抵抗な俺たちに対する優しさと、門に掛けられている強い防御結界への信頼があったからだ。

 そういったものがない上に、血の気の多い仕事を終えてきた直後の彼らなら、何の前触れも躊躇なくいきなり剣で切りかかってきてもおかしくはない。


「なぁエレン。ギルドに行く前に、俺の家で体の汚れを落として飯食いたいなと思うんだけど」


 トマトをあげたら喜んでついてきたので、ここまで連れてきたものの、目的地を変更するのである。

 何の断りもなく連れて行くのは、彼女の意思を無視しているようでなんか嫌だ。

 そう思いエレンに「いいか?」と聞けば、彼女はいい笑顔で「いいよ!」と答えてくれる。


 むしろ興味津々といった感じで。


「ねぇねぇ、スレイのお家って、すごい?」

「すごい? うーん、何をもって『すごい』と思うかにもよるけど……」


 記憶の中から自宅の様子を引きずり出して、少し考えてみる。

 別に、すごくはない。

 普通の家だ。

 だが、まぁ。


「一人暮らしにしては、土地だけは無駄に広いかな」


 そう言うと期待値でも上がったのか、エレンは「おぉーっ!」と声を上げる。


「スレイのお家は、追いだされない?」

「そうだな。土地ごと家を買い取っているから、家賃の心配はしなくていい」

「そっか!」


 子どもがそんな質問をしてくるなんて、よほど自分が追い出されたことが心の傷になっているのかと一瞬思ったが、「追い出されないよ」と答えた俺に、エレンは思いの外軽い口調で「追い出されないなんて、すごいねーメェ君」「めぇ!」なんていうやり取りをメェ君としている。

 それほど心配はなさそうだ。


「……なぁエレン、エレンはここまで一人と一匹で森を通ってきて、大変じゃなかったか?」

「たいへん?」

「ちゃんと寝れたかとか、腹減ってなかったかとか」

「んー……」


 俺の問いに、エレンは少し考えるそぶりを見せてから、こちらを見上げてニパッと笑う。


「メェ君は食べれる実をおしえてくれるし、モフモフはよくねれるんだよ! 水のばしょも知っててね、こわい動物さんの『けはい』? もわかるの!」


 もしかしたら彼女は、今を「メェ君を自慢できる絶好の機会だ」と思ったのかもしれない。

 得意げにそう言い胸を張る。


 そんな彼女に、メェ君も「めぇぇーっ」と、さも恥ずかしがっているかのように鳴いた。



 それに、もし今のエレンの話を全て信じるとすれば、メェ君はあまりにも有能すぎる。

 その時何を求めているのかを正しく察知して、エレンに奉仕している。


 まるでメイドか執事のような振る舞いだ。

 普通は動物が人に対して、そこまで有能かつ献身ではあり得ない。


 その上、この、まるでこちらの話している事が全部理解できているかのように鳴く様子は……。


「もしかして、メェ君は君が召喚した子だったりする?」


 本来ならあり得ない事が、唯一あり得る状況。

 それを俺は知っていた。


 ――スキル『召喚師』。

 これによって呼び出された生き物は、召喚者と心のパスで繋がる。


 お互いに意思疎通ができる。

 これならまるで会話をしているかのような二人のやり取りにも、エレンに正しく奉仕できたメェ君の謎も解ける。




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