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第3話 兄との対峙



 反逆、とは言ったけど、それは私の目的に相手が立ちはだかった時の話。

 最初からすべてをひっくり返そうだとか、あまつさえ積極的に復讐しようだとか、復讐のために生きようなどとは思っていない。


 そんな事をするくらいなら、子どもたちとの時間を少しでも多く持った方が、どれだけ有意義か。

 そう考えればそちらにわざわざ労力を割く意味はない。



 そんな私が今ロディスを後宮に残し、身重の体で一人城内を歩いているのには、もちろん相応の理由がある。



 ここフリーデン王国には、最高権威の王族の下に三つの公爵家が存在する。


 軍事面で国を支える、武力のダンドール公爵家。

 代々宰相を輩出している、国の頭脳・スイズ公爵家。

 そして諸外国との交渉や社交の窓口として王族を助ける、外交のエインフェリア公爵家。


 私はスイズ公爵家の出で、陛下との結婚は政略だ。

 宰相の家との結びつきを強固にすることで、国内地盤を盤石なものにする。

 そういう意図があっての婚姻だったが、貴族にとって政略での結婚は身近で一般的なものだ。


 私が王族に籍を移した現在、スイズ公爵家には、祖父母と父と母、それから一人兄が在籍しているが、祖父母も両親も兄も皆、政略結婚を成している。


 始まりこそ政略でも、婚姻を結べば互いに歩み寄り支え合って、温かい家庭を作る家もある。

 しかし我が家はそうではなく、皆家族には無頓着で、仲は完全に冷え切っていた。


 父は宰相職で忙しく、母は中々王城から帰ってこない父の傍ら、公爵夫人に必要な社交に勤しんでいた。

 どちらも、公人としては立場に応じて最低限の役割を果たしていたと思う。


 しかし親として、夫や妻としての役割を果たしていたのかというと、世継ぎを作ったという事以上の事は殆どしてもらった覚えがない。


 たしかに金銭的に不自由なく、身分相応の教育を受ける機会を貰いはした。

 しかしそれだけだ。


 両親から「愛されている」と実感した事はなく、私より数年分多くそんな両親に触れていた兄も、私が物心ついた頃には既に両親からの愛どころか、兄妹の愛すら求めていなかった。



 両親も兄も、私が「『スイズ公爵家』の名に恥じないような立ち居振る舞いができる人間かどうか」にしかおそらく興味はない。

 だから時戻り前も、結局最初から最後まで、私や私の子どもたちに手を差し伸べてくれた事は一度もなかった。


 ただひたすらに、無関心。

 私が公爵家に利を齎す存在であったなら、少しは気に留めたかもしれないけど、実際にそんな事はなかった。


 他者から愛される事を願いながら、その実ただただ保身に走った私は、王妃という生家に十分利を齎せる地位にいたにも拘わらず、能動的に動く事はなかった。


 王家に籍を移している事からも、おそらく「スイズ公爵家とは最早関係のない人間」だと見做されていたのだろう。

 私の体たらくに嫌な顔をしない代わりに、視界にすら入れていなかったように思う。



 しかし、今の私は事情が違う。

 時戻り前のこの時のように、『家族の愛』というものに憧れ、餓えてはいない。


 真実の『家族』に気が付いた今、彼らはもう私の中で「愛されるために顔色を窺い、まずは嫌われない事を目指す対象」などではなくなった。

 守りたいものを守るために「血の繋がりという伝手を辿って、必要な取引をする対象」に成り変わった。

 だから。



 目の前の扉をノックすると、中から「入れ」という短い言葉が返ってきた。


 宰相補佐室。

 後宮とは別の塔にある場内の書類仕事関係の部署が集まる棟の一室に、護衛を一人伴い入室する。


「お前が私を訪ねてくるなんて、珍しい事もあるものだな」


 入室の気配を感じ取って尚、彼――私の兄・ルティードは、執務机から顔を上げすらしない。


「お時間をいただき、ありがとうございます」

「それ程長い時間は取れないぞ」


 素っ気ない声でそう言われるが、もちろんそれで十分だ。


 むしろ先触れという名の様子伺いをしたのが、昨日。

 それで今日のこの面会にこぎつけたのだ。

 早く時間を作ってくれて、感謝すらしている。


 たとえ彼が私との会話を「取るに足りない」と、「仕事の手を休める必要もない用事など、早々に終わらせてしまった方が面倒臭くない」と思っていたとしても。



 それに、時間がない事は私にとっても、ある種の追い風になり得る。


「分かっております。故に、単刀直入な物言いをさせていただきたいのですが」


 私は今回、世間話をしに来た訳でもなければ、様子伺いをしに来た訳でもない。

 だから長い時間を取れないという彼の言を理由に、貴族的な会談の前置きや表面上の家族との語らいがすべて省けるのなら、私としても楽ができる。


「構わない」


 返ってきたのは、案の定短い肯定だった。


 彼の手元では依然として、書類にサラサラとペンが走っている。

 応接用に併設されたソファー席すら、建前として勧められるような事はない。


 それは彼自身だけではなく、彼の傍でただ黙々と働く他の文官たちも同じだった。



 ――私に対する兄の態度のただ倣っているだけか、それともこれが彼らの私に対する評価なのか。

 どちらなのかは、測りかねる。

 しかし私は今少なくとも、気を使うべき客だとは思われていない。

 だから誰もこちらを見ない。


 おそらく彼らは私の事など、気にも留めていないのだろう。


 もしかしたら私がここで話す事も、耳の右側から入って、そのまま左に抜けていくだけかもしれない。

 脳で処理される事もなければ、記憶に残る事もないのかもしれない。

 しかし。


「単刀直入な話をするためには、周りの者たちが邪魔ですわ」


 書類を捲る音、静かな足音、ペンを紙に走らせる音。

 それらだけが支配していた室内に、私の声はとてもよく通った。


「……何?」

「ですから、『貴族の体裁や貴族特有の面倒な回りくどい言い回しを外し、忖度なく単刀直入に語るに、周りの者は邪魔だ』と言ったのです」


 やっとこちらをまともに見た兄は、不機嫌さをまったく隠していなかった。


 僅かに震える手を、ギュッと握る。


 時戻りの前は、兄が怖かった。

 ……正しく言うのなら、兄に嫌われるのが怖かった。


 だからこれまで、兄に口答えをした事はなかった。

 食い下がるような事も、もちろんなかった。



 今だって怖いのは変わらない。

 時戻り前にした経験と思いで恐れも消えてくれたと思っていたものの、実際にはそんな事はなかった。


 もう兄と『家族』になりたいなどとは思っていない。

 嫌われる事自体を怖いとも思っていない。

 しかし体に染みついた『兄=恐怖』という刷り込みのような感覚は、そう簡単に最初からなかったかのように消滅はしてくれないらしい。



 しかし、それでも。

 そう思う。


 だってこれは必要な事だ。

 子どもたちを守るために、これからしなければならない事がある。

 この場はそのための布石なのだから。




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