嫌な予感は的中した。
街角で、痩せっぽっちの少女が男達に手を掴まれ、荷物を奪われそうになっているではないか。
「は、離してください!お買い物を頼まれてるんです、私のお金じゃないんです!」
キャンディは華奢な体で精一杯抵抗している。周りには浮浪者らしき男が三人。怖くないはずがないというのに、必死でお使いのためのお金や品が入ったバッグを守ろうとしていた。なんていじらしいのだろう。
「頼まれてるってことは、それは貴族の金なんだろ?だったら俺らの敵だなぁ!」
男達はそんなキャンディの様子を見て、ゲラゲラと楽しそうに笑っている。自分たちが優位だと疑っていない様子だ。
「俺等さぁ、金に困ってるんだよ。この通り、今日着るもの食べるものにも困ってるくれーなんだ。貴族ってのは、金なんかいくらでも持ってるんだろ?お前も貴族じゃねーなら俺らの苦労に想像くらいつくだろ?可哀想なビンボー人を助けると思ってさあ、金を分けてくれてもいいじゃねえか。ほら、ノンブレスなんとかってやつ、貴族はその富で弱者を助ける義務があるんだろ、な?」
何言ってんだこいつ、と。隠れて隙を伺いながらフィオナは思った。
確かに、貴族はその富を使って貧しい弱者に奉仕するのが義務であるとは言われている。だが、ここで言う弱者とは断じて、痩せっぽっちの少女を無理やり襲って金を強奪しようとするような輩のことではない。
ましてや、奴らは三人がかり。いい年した大人が恥ずかしいとは思わないのか。
「……私は」
そんな男達に。怯えつつも、キャンディはキッと睨みつけて言ったのだった。
「わ、私は……今の雇い主の方々に恩があります。特に、こんな薄汚れた可愛くもない私に親切にしてくださるお嬢様には……!そのお嬢様を裏切るような真似、私にできるはずがありません!」
「なんだと?」
「貴族の方々には確かに、貧しい方々を助ける義務があるのかもしれません。でも、き、貴族の方にだって、誰を助けるのか選ぶ権利はあります。貧しくても人を傷つけない生き方を選んでいる人と、生きるためなら暴力も厭わない人。お嬢様ならきっと、前者をお助けになるはずです!!」
「こんの、ナマイキなこと言いやがって、このクソアマ!!」
ああ、なんて、と。フィオナはひそかに感動に打ち震えていた。
なんて、素敵な子なんだろう。人への恩を忘れない。そして、自分自身の守るべき芯をちゃんと持っている。
――私の目に、狂いはなかった!
フィオナは力強く地面を蹴った。
――貴女のような素晴らしい子に出会えたことを、私は誇りに思う!
「ぐえっ!」
キャンディに向かって拳を振り上げた男が、潰れた蛙のような声を上げて崩れ落ちた。フィオナの蹴りが、男の股間を直撃したのである。しかも、自分達貴族の令嬢が履く伝統的な靴は、硬くて先端がなかなかに尖っている。袋を抉られるように蹴られた方は、たまったものではなかったに違いない。
「あがががが、がががががっ」
「て、てめえ!何すんだ!?」
泡をふいて悶絶している仲間を見て、慌てて振り返る二人の男達。ふん、とフィオナは鼻を鳴らして言った。
「何すんだ、はこっちの台詞よ。うちの可愛いメイドのキャンディに何するつもりなわけ?人の心の貧しさには、庶民も貴族も関係ないって本当なのね」
今時の貴族の令嬢は、馬術や護身術で体を鍛えるのも嗜みとされている。ましてや、フィオナは座学から逃げて実技ばっかり熱心にやっていた女だ。そんじょそこらのお嬢様とは比較にならないほどのスキルを持っているという自覚があった。
「そろそろ憲兵が来る頃だけど、どうする?なんなら、あんたら二人もそこの男と同じようにタマ潰されてみる?」
フィオナは鋭い視線を男達に向けて、言い放つ。
「わかったらさっさと失せろクズが。ぶっ殺されてえか」
「ひっ!」
気迫に押されたのか、状況を理解したのか。男達は、倒れた仲間を引きずって去っていった。いつの間にやら周囲にギャラリーが出来ている。強盗を僅かなやり取りでフィオナが撃退したとわかるやいなや、周囲から思わず拍手のようなものが湧き上がっていたのだった。
「お、お嬢様!ご、ごめんなさい、助けて頂いて……!」
「何を謝ることがあるの、キャンディ」
フィオナはキャンディの体を頭からつま先までしっかり観察する。どこも怪我はないようでほっとした。この近隣はそこまで治安が悪くないし、昼時だからと油断していたのだ。自分の失態だ。
それこそ、場合によっては――女子供ならば、死ぬより酷い目に合わされることもあるのである。人身売買に臓器売買の売人も彷徨いていると聞くし、性犯罪はどれほど取り締まってもなくならないものなのだから。
「貴女が無事で、本当に良かった。一人で行かせて、私こそごめんなさいね」
「いえ、いえ!いいんです、そんな……!むしろ、私こそ、あの」
ここでやっと、キャンディは自分が言うべき言葉が謝罪ではないと気がついたようだった。彼女は目に涙を浮かべて、絞り出すような声で告げたのである。
「ほ、本当に……ありがとうございます。うう、こ、怖かった……!」
今更恐怖が蘇ってきたらしい。フィオナは彼女にハグをしつつ、頭を撫でて暫く宥めることに専念したのだ。
この事件が、全てではない。
しかしきっかけになったことは間違いないことなのだろう。これから暫く後、フィオナはなんとキャンディの方から想いを告げられることになるのだから。
同時期に、エメリーからも、恋心が実ったという報告を受けることになる。
例え表立ってどうこうできる仲でなくても関係ない。自分達は確かに、心と心で結ばれている。それ以上に、幸せなことなどない。
そう、幸せだったのだ、自分達は。――逃れ得ぬ、伯爵家の娘と息子、その宿命を思い出すまでは。
***
「やっぱりね、早いほうがいいと思うのよ」
またその話題か。フィオナはげんなりとして、テーブルに突っ伏した。
母に応接室に呼び出された時点で嫌な予感はしていたのだが、まさに案の定である。
このところ、彼女はことあるごとにフィオナに同じ話をする。つまり、お見合いをしてほしい、ということを。
「お母様、私は何度も言いましたよね?」
突っ伏した体制のまま、フィオナは告げる。その件で話は散々しただろうと示す意味で。
「私は、海外に行って世界中を見て回るような仕事がしたいのです。結婚して子供を作ったらそんなの無理じゃないですか。私には向いてません。無理です無理。他人のために時間を使える自信もなければ、キッチンを再び爆発させない自信もない。そんな女、嫁にほしい男なんているわけないじゃないですか」
「確かにキッチンを爆発させるのはよしてほしいけど」
「でしょう?お姉様も結婚して子供をたくさん作ると約束して下さっている。跡継ぎ問題は何も気にしなくていいじゃないですか」
「わかっているわ。でもね、私は安心したいの」
母の声は、どこまでも真剣そのものだった。
「今年は国中で災害が相次いだわ。我が家の執事やメイドからも怪我人死人が出て、追加で人を雇うことになったほどよ。人間は、いつ死んでしまうかわからないもの。私も貴女もお姉さんもその家族も……いつまでも仲良く元気に、なんていかないかもしれないわ。言いたいことはわかるでしょう?」
「…………」
なんとなく、想像はついた。フィオナは渋々顔を上げる。
つまり母は、仮に姉が結婚して無事に子供を産んだところで安心できないと考えているわけだ。それこそ大災害で、一家まるごと壊滅するような状況もありうる。だから保険もかねて、妹であるフィオナにも結婚して子供を作っておいてほしいと。
「……お母様の危惧はわかります。でも、私は母親には向いていませんわ」
彼女の不安を払拭したい気持ちはフィオナにもあるのだ。それくらいには母に感謝しているし、愛情も感じているのだから。
しかし、だからといって「じゃあ結婚します」なんて言えるはずもないのである。自分はレズビアン。男性相手に、恋愛感情も性欲も湧かない、それが自分だ。異性と一緒にベッドに入るなんて考えられないし、子供を産むなんて想像するだけで寒気がする。そして、相手にも失礼なことではないか。一切愛情がないばかりか、嫌悪感をもって接せられるなど不憫以外の何物でもない。フィオナが逆の立場だったら耐えられる自信がない。
「それに、血を繋ぐことだけが、想いを受け継ぐことではありません。大切なのは家の信念や技術を繋いでいくこと。それさえ成し遂げられるなら、私は養子でもなんら問題ないと考えますが」
「貴女は神様を信じていないからそんなことが言えるのよ。私達が信じる主は、血を繋ぐことは魂を繋ぐことだと仰せだわ。ましてや高貴なファイス家に、その血が一適も混じらない養子を迎え入れるなんてあってはならないことよ。冗談でもよして頂戴」
「お母様……」
クリシアナの神様の教えが絡むと、母は一転して頑なになる。どんな情よりも大切にするべきは神の教えだと信じているのだ。日常に深く根ざした宗教とはそういうものなのであろうが。
「お願い、フィオナ。お母様の気持ちをわかって。この通りよ」
母は縋るようにフィオナの手を握ると、何度も何度も頭を下げてきたのだった。
「お見合いをして頂戴。きっと、きっとフィオナに相応しい男性がどこかにいるはず。私が必ず、その方を見つけてあげるから、ね?」
相応しい男性。そんなものはいないというのに。フィオナは唇を噛みしめるしかなかった。
本当のことを言ってしまえたら、どれほど楽になれるだろうと思いながら。