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<6・Depression>

「お嬢様、元気ないですね……何かありました?」


 その日の夜。

 ベッドの上で大の字にねっころがっているフィオナの元を、キャンディが訪れた。彼女は礼儀正しいのでノックして入ってきてくれはするものの、フィオナがズボラな姿を平然と晒しているというだけである。ネグリジェ姿だろうが、なんなら全裸だろうが、キャンディ相手ならいいやと思っているフシがある。というか、他のメイドや執事相手でも似たような姿を晒しがちなので、一部の執事には“はしたないからやめてください”と苦言を呈されているわけだったが。


「キャンディ、もうお嬢様はやめてって言ったでしょ。……あー、わかるう?やっぱりわかっちゃう?」


 ごろごろごろ、とベッドの上を転がるフィオナ。


「お見合いしろって、そう言われちゃってさ。私は結婚なんてムリムリのムリって、そうずっと言い続けてたのに。今年の災害でたくさん人が死んだのを受けて、なんかこう、いろいろ心配になっちゃったみたいなのよ。御姉様が子供作ってくれるだけじゃ不安なんだってさー」

「それで、フィオナ様の方も結婚して跡継ぎを、と」

「その通り。……男と寝るなんて想像するだけでぞっとするってのにね。でも、お母さまは私の恋愛対象知らないから、仕方ないと言えば仕方ないんだけども」


 キャンディが告白してくれたその日に、フィオナは自分がレズビアンであることをカミングアウトしていた。となみに、キャンデイの方はレズビアンというよりバイセクシャルに近いというか、今までは特に自分の性的趣向に疑問を持ったことがなかったらしい。単に、恋愛なんてする余裕もない環境にいたために自覚する余地がなかったと言えばそれまでなのだろうが。

 それが、フィオナと接するうちに自分の気持ちを自覚して、クビになることを覚悟で想いを告げたのだと言ってくれた。普段は大人しいのに、いざという時は本当に勇敢で芯の強い女性である。だからこそ、フィオナも惹かれたわけであるが。


「お母様達が信仰するクリシアナ教では……恋愛は、男女でするものとして定められているそうなのよね」


 ぼふ、とフィオナは枕に顔を埋める。


「キャンディは聖書、読んだことある?あんた文字は読めるんでしょ?」

「ええ、まあ。……自分で読んだことはありませんが、奥様の付き合いで教会へ行ったことはあるので、大体どのような教えなのかは存じております。神様は子孫を繁栄させるため、性別がなかった人類に男女の性を与えたという話でしたね」

「そうそう。クリシアナ教における、世界の創世記ってやつね」


 遥か昔。この世界にただ闇しかなかった頃、クリシアナ教の主神である女神・クリシアナが舞い降りた。

 クリシアナ、の名前を持つ神は実は一人ではない。というのも、この時何もない世界に降臨した神は、先代のクリシアナ神からその名を受け継いだばかりの、見習いの神様のようなものであったからだという。神様という存在は、世界を作り上げて初めて一人前になれるのだそうだ。先代からクリシアナの名前を継いだ次世代のクリシアナ神は、神様になる最後の試練として世界の創造に着手したという。

 まず、闇の中に太陽が生まれ、太陽を周る星々が誕生した。その中の一つがこの惑星であり、当代のクリシアナ神はまず惑星全体を母なる海で覆いつくしたという。

 すべての生命は、海から誕生した。さらに海底火山の活動により陸地ができた。

 小さなプランクトンだった命は、魚になり、両生類になり、爬虫類になり、哺乳類になり――最終的には猿が進化して人類へと至ったという。

 原初の人類に、性別というものはなかった、と神話の上ではそうなっている。彼らは誰かと交わらず、単性生殖を繰り返し子供を一人で産み、増えていったという。しかし、自分ひとりで子供を埋める種は、他の遺伝子と交わることがないために進化に限界がある。また、彼らは他者と協力し、思いやる必要がなかった。ゆえに、性別がなかった頃の人類は争いが絶えず、類人猿とさほど変わらないような知能の発達しか望めなかったのだとか。

 ゆえに、神は彼らに性別を作った。彼らの半分を男に、半分を女にしたのだそうだ。

 神は男と女になった人類に告げた。


『男よ、女と交わり、子供を作りなさい。女よ、男と交わり子供を産みなさい。そうして新しい人類を作ることで、お前たちはより高い知能と技術を持った存在へ進化していくことができるのです』


 彼らは神様の言葉を従順に守り、男女で交わって子供を作るようになったという。その結果、人類は多くの争いをやめ、互いに愛することを学んだという。それが、現在の慈悲深く、平和を愛する人類の始まりになったのだそうだ。


「クリシアナ教では、男女で交わって子供を作り続けることは……神様の命令に殉じるってことになってる。だから、子供が絶対に作れない同性愛は非生産的であり、神様が作った性に歯向かう行いであるとして、禁忌であるとされているのよ」


 はあ、とフィオナはため息をつく。


「まったく、いつの時代のことなんだかね。今では医療技術も進んで、生まれつきの性的趣向にはいろいろあるっていうのもわかってきてるじゃないの。クリシアナ教の信者でない国の人達は、ちゃんとそれを理解して、同性愛者や両性愛者、はたまた無性愛者なんかの人権を守るような法律を作っているわ。うちの国くらいよ、そういう進化した医療なんかに歯向かって、時代錯誤な理念を掲げているのは」

「哺乳類の時点で、性別はあったっていうのももうわかってますしね。神様が性別を作る前は単性生殖だったっていうのは、あくまで神話の中だけの話ですし」

「そうそう。そして世の中には、男性でも女性でもない性別を持っている人もいるんだってこともわかってるわ。これだけの人間がこの世界では生きているんだもの、そりゃ一般的な男女以外の性や趣向を持っている人がいてもなんらおかしくないっていうのに」


 彼らからすれば、自分はどこまでも歪な存在なのだと知っている。

 フィオナは男性になりたいわけではない。自分の性自認はあくまで女であり、自分の肉体に違和感を持ったことは一度もないのだ。

 ただ、女性として考えるには性格がおおざっぱすぎるし、男性的な趣味を持っていることも少なくなく――そして何より、恋愛対象が女性に限定されている。自分が神様に背いた存在だというのなら、そんな自分を生んだ両親はどうなんだと思ってしまうのが本音だ。

 一時の病気だとか、思い込みだとか。そんなもので片付くならきっと、多くの同性愛者たちは苦労なんかしない。

 自分達は何か病にかかったり、お酒に酔っぱらってこんなことになっているわけではないのだ。ただ、真剣に愛する相手が同性だった、生まれつきそうだったというだけ。それなのに、見つかれば悪魔に憑かれているとみなされて酷い目に遭わされることもある。場合によっては殺されることも。――宗教だから仕方ないなんて、そう割り切ることなどできるはずもないのだ。


「お見合いをいくらしたって、男を好きになるなんて不可能なのよ、私は。子供も作らず、お友達のまま恋人のフリしてましょうっていうので限界。……というか、今はそれさえも本当は嫌なんだけど。どうして好きな人が他にいるのに、他の人と結婚なんかしなくちゃいけないんだか」

「ふぃ、フィオナ様……」

「ほら、癖になってる。様付けなしにしてってお願いしてるでしょ?」

「きゃっ」


 近づいてきたキャンディをぐいっと抱き寄せる。ついさっきお風呂に入ってきたばかりだからだろう、彼女の赤毛の髪からはふんわりとシャンプーの良い匂いがした。

 ごろん、と二人でベッドに転がる。キャンディはわかりやすく頬を染めていた。


「ずっと教えて欲しかったの、キャンディ。……私はね、貴女みたいに勇気なんてなかったわ。エメリーにだけはカミングアウトしたけど、それも彼の方から自分の秘密を打ち明けてくれたからだもの。……どうして、貴女は私に本当のことを教えてくれたの?」


 さっき本人が言った通り。キャンディはクリシアナ教の信者ではないだろうが、それでも母や父とともに教会へ付き添ったことは何度もある。教えも、大方理解していたはずだ。特に、同性愛が禁止ということはしつこいほど繰り返し教わることでもある。聖書の中にも、異性でのみ恋をせよ、的な文はいくらでも出てくるのだ。

 実際、キャンディは告白してきた後、クビになる覚悟だったと言っていた。同性愛がクリシアナ教でどうあつかわれているのか、わかっていなかったとは思えない。


「……私」


 やや視線を泳がせた後、キャンディは恥ずかしそうに眼を伏せた。


「私、ウソをつくのが嫌いだし、苦手なんです」

「ええ。知ってるわ」

「だから、隠していてもいつかバレてしまうだろうと思っていました。何より……大好きなお嬢様には、何でも本音を話しておきたかったんです。例え、それがお嬢様と一緒にいられなくなるような秘密であったとしても。結果的にそうなりませんでしたけど」


 だろうな、とフィオナは思う。もしフィオナが敬虔な信者であったなら。そうでなくても両親に、キャンディからの告白をバラしていたのなら。

 今頃キャンディもまた、教会に連れていかれて悪魔祓いを受けさせられていたかもしれない。少なくとも、この家のメイドをクビになることは免れられなかったことだろう。


「孤児院にいた時は、みんな自分が生きることに必死でした。私もそうです。自分が叱られないためにどうすればいいのか、殴られないためにどうしたらいいのか、毎日そればかり考えていました。何か失敗が起きた時は、自分が疑われないために誰かに疑いをすりつけるようなことさえした記憶があります。そんな自分が嫌いで、大嫌いで……自分自身のことさえ愛せないのに、誰かを愛せるわけがないと。こんな自分が、誰かに愛されることがないのは当然だと思っていました」


 でも、とキャンディはフィオナの胸に顔をうずめる。


「でも。……そんな私が、ここに来てからは……綺麗な服を貰えて、美味しいごはんと温かいベッドが用意されていて。その上、こんな私に、フィオナ様はいつも本当に優しくしてくださって。プレゼントもくれるし、暴漢から守ってくれるし、もう本当に、どうお礼を言っていいのかもわからなくて。……毎日、気づけば貴女のことばかり、考えるようになっていました。そして、貴女のことを考えれば考えるほど、優しい気持ちになれる自分に気付いたのです。ああ、これが恋だったのだと。理解してしまえば、偽ることなどできませんでした」

「キャンディ……」

「お嬢様。同性だとか、禁忌だとか関係ありません。私には、お嬢様しか……いえ、フィオナしかいないのです。どうか、これからもお傍に……」


 なんて、愛おしい存在であることか。フィオナは自分より一回り小さなその体を強く抱きしめていた。


「勿論よ。貴女がいるのに、他の男と結婚なんて誰がするものですか。私の心はいつだって貴女のためにあるのよ、キャンディ」


 このまま食べてしまいたい、そんな衝動にさえかられるのをぐっと我慢する。まだまだ早い。自分は十六で、彼女は十四。もう少し自制しなければ。


「キャンディ、貴女が十六歳になったら抱くわ。いいこと?」

「え?」

「本当は、今すぐ貴女をめちゃくちゃにしてしまいたいのを我慢してるの。あと二年、なんとか我慢するから……あんまり私を煽るんじゃないわよ。いいわね?」

「お、おじょうさ、ま」

「フィオナ、でしょ?」

「ふぃ、フィオナ……わ、私なんかでよけれ、ば」

「ふふっ」


 二人きり、キスを交わして抱きしめ合う夜が更けていく。

 この子を裏切ることだけは絶対にするものか。フィオナは心からそう誓ったのだった。




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