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<8・Villain>

『おーほっほっほ!ざまあないですわね!』

『きゃああああああああああああああああああああああ!』


 頭の上から盛大に降ってきた水を被って、少女が悲鳴を上げた。それを見て、わたくしはいかにも悪役と言わんばかりの笑い声をあげてみせる。

 ミザリーにはちょっとばかり気の毒だが、彼女が最近こっそり裏で仕事をさぼってお菓子を食べていたことは知っているのだ。顎とかお腹のあたりがぽっちゃりしてきたことに、わたくしが気が付かないはずがないのである。いい薬だ、と思ってここは我慢してもらうことにしよう。


『いやあああああ、ナニコレ、汚い、うう……』


 ミザリーは庭で、ぐすぐすと鼻を鳴らしている。わたくしが屋敷の三階から降らせた水は、さっき別のメイドが置いて言ったバケツに入っていたものだ。汚い雑巾と、雑巾を絞った水が入っていた。当然、汚れを掃除したものなのでかなりばっちい。埃も土も油汚れもたっぷり入った汚水を浴びるなんて、想像するだけでもぞっとすることである。ミザリーはその金色の髪からメイド服のスカートまでぐっしょり濡れてしまっていた。

 あの様子。多分、靴とパンツもダメになったことだろう。


『お嬢様、なんで、なんでこんなことを……?』

『決まっているじゃない、罰よ、罰』

『罰?』

『貴女が仕事をサボってお菓子を食べていたこと、わたくしが知らないとでも思って?そういう悪い子は、水でも被って反省しなさいな。言っておきますけど、今日は貴女はランプ掃除と屋敷全てのトイレ掃除もやってもらうからそのつもりで。他のメイドが仕事を終えても、貴女はそれが終わるまで休憩してはダメよ』

『そ、そんなぁ……』


 自分でも、かなり無茶なことを言っているのはわかっている。屋敷全てのランプとトイレ。通常、メイドが数人がかりでやる仕事を、一人で今から始めるのである。間違いなく、夜遅くまでかかることだろう。

 いい気味だ、とわたくしは鼻を鳴らす。今まで甘やかしてみて見ぬふりをしてあげていた自分に感謝してほしいところだ。今日からは、気を引き締めて仕事をしてもらいたい。そもそも、彼女たちは仕事をする代わりにこの屋敷での衣食住を保証されているのである。いつまでもナメ腐られていたら、伯爵家の名が泣くというものだ。


――さて、明日からのスケジュールも考えないとね。


 今日はひたすら、ミザリーをいびる日にすると決める。明日は、禁止されている煙草にこっそり手を出していたローゼ、明後日はこっそり恋仲になって、昼間から倉庫でえっちなことをしていたメイドのマリーと執事のジェシー。それ以降も、ローテーションで気に食わない行為をする召使たちに天罰を下していってやることにしよう。

 こういうことを続けていけば、自分が召使をいびる悪女であることも噂になるはずだ。なんなら、わたくし自ら執事を通してジャックの家の方に話を流してしまってもいい。 

 こんな性悪女なんか、侯爵家に嫁入りするのにふさわしくない。彼らがそう思ってくれれば万々歳だ。とにかく、わたくしは自らの評判を下げに下げなければいけないのである。ジャックの方から、婚約破棄を言い出してくれるまで。彼がとことん、自分のことを嫌いになってくれるまで。


――そうよ、誰が結婚なんかするものですか。


 結婚して、愛想を振りまくばかりの籠の鳥になるなんて性に合わない。ジャックは確かにイケメンだし性格も悪くはないが、だからといって彼に尽くすだけの人生を送りたいとは到底思えないのだ。自分には夢がある。いつか女性起業家として自らの会社を作り、海外に出るという夢が。結婚なんかしたら、その夢はまぼろしと消えてしまう。

 大体、子供だって産みたくはない。好きな相手ではないからとか、そういう問題ではないのだ。

 妊娠すると悪阻が酷すぎて日常生活を送るのに支障も出るとか。

 出産は、人生最大最悪の苦しみだとか。

 子育てときたら、毎晩のように泣き喚く赤ん坊の世話にあけくれて、それこそ自分の睡眠時間さえろくに確保できない、だとか。

 もうとにかく、嫌な話しか聞かないのである。大体、子供を産んだら確実に母性が芽生えるだなんて誰が言ったのか。自分以外の人間のために時間を使える自信もなく、子供を愛せるようになる保証もない。はっきり言って、わたくしの子供として生まれてきてしまった人間が気の毒であるほどだろう。


――とにかく!わたくしは家のために結婚なんて死んでもごめんなんだから!


 自分にできる悪行を、他にもリスト化しておこうと決める。

 婚約破棄してもらうためならば、どれほど他人に嫌われようと些細な問題であるのだから。




 ***




「な、なかなか強烈なお嬢様ですね、この主人公さん……」

「でしょ?」


 ファイス家、フィオナの部屋にて。

 エメリーの家から借りてきたラノベ、『何がなんでも婚約破棄をしてほしいので、ヒロインをいじめる悪役令嬢を演じてみます!~嫌われ聖女の冒険譚~』を、フィオナはキャンディに見せていた。

 現在刊行されている五巻分を借りて読破したところである。キャンディも速読なので、とりあえず一巻の半分程度まで読み終わったところであるらしかった。


「この主人公の行動に、何もかも共感できるわけではないんだけどね。いくら多少なりの咎があるとしても、自分の目的のためだけにメイドや執事に無理難題を言って虐めるなんて論外だもの。できれば同じ方法は使いたくないわ」


 この悪役令嬢を演じようという主人公、ジュリアナに対して同調できないのはその点である。いろいろとメイドたちのミスやサボりを上げ連ねてはいるが、誰も彼もこれほどまでの嫌がらせを受けるいわれのない者達ばかり。汚水を頭からぶっかけたり、トイレに突き落としたり、眠る暇もないほどの仕事量を押し付けたり、食事を丸一日抜きにするというのは流石にやりすぎというものである。

 ただ、理念としてはわからなくはない。

 こんな女なんかと誰が結婚できるか!と相手に思わせることができれば、向こうから結婚を断ってくれるはず。嫌われる悪役令嬢とやらのレッテルをうまく自分に貼ることができれば、二人目、三人目といったお見合い相手が現れることもきっとなくなるだろう。

 ちなみにこの話をしたところ、エメリーにはかなりしょっぱい顔をしてこう言われた。


『いや、無理だろ。お前の大根役者ぶりで、悪役令嬢なんか演じられるとは思えないんだが』


 まったく失礼極まりない。

 そりゃあ、自分はお芝居の経験なんてろくにないけれども。


「言いたいことはわかりましたけれど、フィオナ様。メイドや執事を実際にいじめるわけではないというのなら、どのようにして悪役令嬢になるおつもりなんです?」


 キャンディも困ったように首を傾げる。


「いくらお見合いのお誘いがなくなるようにする、とはいえ。この家の名前にまで傷がつくほどの悪評を立てるわけには参りませんし。ましてや、犯罪行為なんてものは論外でしょう?」

「そこなのよ。だから、キャンディや、他のメイドや執事のみんなに協力してもらおうと思って」

「協力?」

「ええ。私がみんなを虐めてるフリをするから、みんなは私に虐められてるフリをするってのはどう?お互い理解した上で演技をするなら、誰も傷つかなくて済むじゃない。まあ、演技だとしても、キャンディたちの上に水をぶっかけるなんて私はごめんなんですけど」

「うーん……」


 かなりの名案だ、と思ったのだが。キャンディも、何やら難しい顔をしている。そして暫く考えた後、自分が持っている『何がなんでも婚約破棄をしてほしいので、ヒロインをいじめる悪役令嬢を演じてみます!~嫌われ聖女の冒険譚~』のページを開いて、フィオナに見せてきたのだった。


「あの、お嬢様。試しにここの……ジュリアナの台詞、読んでみていただけます?ジュリアナになりきったつもりで」

「え?いいけど……」


 ジュリアナは性格こそ違えど、自分と同じ伯爵令嬢だ。彼女の演技をするなんて、自分には訳ないことである。

 そう、思っていたのだが。


「“貴女が仕事をサボって……お菓子を食べていたこと、わたくしが知らないとでも思って?そ、そういう悪い子は、水でも被って反省しなさいなー。……えっと、言っておきますけど、今日は貴女はランプ掃除と屋敷全てのトイレ掃除もやってもらうからそのつもり、で?ほ、他のメイドが仕事を終えても、貴女はそれが終わるまで休憩してはダメよー”……こ、こう?」


 一生懸命、心を込めて悪役令嬢になりきったつもりだった。しかし、台詞を読み終わったところで顔を上げてみれば、キャンディは何やらこの本を貸してくれた時のエメリーとそっくりな顔をしているではないか。

 もしやこれは、やらかしたというやつか。


「……お嬢様」


 キャンディはにっこりと笑って言った。


「演技の練習、しましょう」

「え」

「今のお嬢様の演技だと、子供のお遊戯会の方がマシなレベルです」

「え」

「むしろ、奥様や旦那様に熱でも出たのか、何かおかしな病でも貰ってきたのかと心配されるレベルです」

「え」

「読んでいるだけというより、なんかこう、演技しようとしているのがから回ってお顔が大変気持ち悪いことになっています。その上で、声が上ずっていて大変気持ち悪いです。こう、なんともいえぬ気持ち悪さがあります」

「ねえ何で三回も気持ち悪いって言ったの?ねえなんで?」


 この子、元々はこういう性格かいな。酷評に酷評を重ねられたフィオナは、その場で沈没することになったのだった。いや、自分でも演技が上手い方だとは思っていなかったが、まさかここまで言われることになろうとは。

 どうやら暫くは、上手に悪役令嬢を演じられるよう練習するしかないらしい。


――うう、私って実は、結構ポンコツなのかしら。


 ああこんなことをしている間に、母が大きなお見合い話を持ってこなければいいのだが。


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