「いい加減にして!何度同じことを言ったらわかるのよ!!」
背筋をピンと伸ばし、胸をそらし、とにかく相手を見下ろすように。
それでいて、とにかく目の前の人物を威圧するような大きな声を出すことをフィオナは心がける。母が気付いてすっとんでくるくらいには。
「私の小物入れには触らないでって言ったじゃない。あんたみたいなトロい人間が下手な真似して、ぶっ壊れでもしたらどうしてくれんのよ、ええ!?ぶちかますわよ!?」
「ご、ごめんなさいフィオナお嬢様、ごめんなさい!」
「謝って済むなら警察も憲兵もいらねーっつーのよわかる!?」
でもって、多少乱暴な言葉も使う。ついでに、相手の生命を脅かしかねないような具体例も出す。
「そんなに私をイライラさせるってなら、屋根の上からバンジージャンプさせるわよ?でもってねえ、今にも紐が切れそうなほっそーい奴を使ってあげる。いつ地面に墜落して死ぬか、考えるだけでわくわくするわよね?それとも、檻の中に閉じ込めて、庭の池に落として沈められた方がいい?どろどろの沼で薄汚れながら溺れて死んでいくなんてぞっとしないわよね?その上から、さらにゴミ箱をひっくり返してあげましょうか?」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい!……お嬢様、檻なんて持ってましたっけ?」
「ぺ、ペット用の檻とかならそのへんに売ってると思うんだけど、人間が入るかどうかは知らないわ。あんた最近、鍛えすぎて筋肉みっちみちになってきてるし……」
その、威圧されているはずの人物、キャンディから上目遣いでつっこみが入る。最後の方の会話は、小声でひそひそと交わされていた。いまいち緊張感がない。
そもそも、さっきからフィオナが口にしている脅し文句は、完全に漫画やラノベの知識を総動員したものだったりする。そういう作品に出てくる不良生徒なんかが、拷問や脅しで使っていたのがこういう内容だったのだ。実際に沼にキャンディを沈めるだのバンジージャンプをするだのというのは想像もしたくない話ではあるが、なんとか口にするだけならば耐えられるようになってきた。
いや、本当はこういう話をするだけでも心が痛いのだが。キャンディが段々「お芝居みたいでちょっと楽しいかもしれません」なんてノリノリになってきたので、まあ良しとすることにしよう。
そのキャンディに『子供のお遊戯会以下の気持ち悪い演技』なんて酷評されてから数か月。すっかり外はユキザクラの花が見ごろを迎える季節になっていた。四月の終わりから五月まで咲くこの花は、春の訪れを教えてくれるものとしてこの国でも人気が高い。多くの貴族が庭に植え、街路樹としても採用されている。自分達が今いるファイス家の廊下、ここの窓からも見事な桃色の花が見えていた。
まあ、少々虫が多くて、手入れが大変という問題があるのだが。
「え、えーと……」
母がすっとんでくるまで、とりあえず演技を続けなければ。次に言うべき台詞は、とフィオナは頭を回す。目の前で拳を握ったキャンディが、頑張ってフィオナ様!と応援してくれるのが大変いじらしい。
「と、とにかく!あんたが掃除するとねえ、私の部屋に置いてあるものの配置がいろいろ変わったりして不便だし、か、勝手にベッドの下に隠しておいた本を本棚に移動されるとか結構困るわけよ、わかる!?」
「お嬢様、自分で言いながら落ち込まないでください。そろそろ薄くてキラキラした本の隠し場所はもう少し考えた方がいいです」
「あああああああああととととととととにかくううううう!えっとえっとえっと、こ、こういうことを続けるなら、仕事量もうーんと増やしちゃうんですからね!そうね、や、屋敷中のトイレ掃除と風呂掃除をぜーんぶ一人でやってもらおうかしら。あ、あと、紅茶の買い出しだけど自費でやってもらうわよ、お金なんか出してあげませんからねっ!」
ダメだ、いまいち迫力がない。声を張り上げることでどうにか脅してるっぽく見せようとはしているものの、結局思いつくのはどこかで見たようなセリフばかりである。
大体、キャンディもどんどん家事スキルが上達しているので、それこそトイレ掃除くらいなら一人で全部さくっと終わらせてしまいそうな気もしている。知る人間が知れば、まったく脅しになっていない。それと、紅茶の買い出し云々は、先日キャンディが自分に紅茶を買ってきてプレゼントしてくれたことから思いついた言葉であったりする。ようは、こっちもまったく脅しになっていないのだった。
我ながら、頭が回らなくていけない。あるいは語彙と発想が貧困だとも言う。
「ちょっと、フィオナ何してるの!?」
しかし、どうやらこんな大根演技でも、母を騙すには十分だったようだ。彼女はびっくりしたように階段を下りてきた。
「使用人の皆さんとは仲良くしなさいと言ってたじゃない……というか、あんなに仲良くしてたように見えたのに、いきなり怒鳴るなんて何事?喧嘩でもしたの?」
「け、喧嘩じゃないですわお母様!ま、マジでムカついたから教えてやっただけで!」
が、今までのフィオナの行動が足を引っ張る。メイドや執事たちとの距離感がめっちゃくちゃ近かったこと、なんなら一緒に鬼ごっこやカードゲームまでしていたところまで見られているのだ。そりゃ、いきなりこんな現場を見せられても、急に喧嘩したようにしか見えないのだろう。
悪役令嬢への道は、前途多難である。
そもそも、こんな可愛いコ(強調)をいじめたくなるお嬢様の心理がまったくフィオナに理解できないのも問題であったのだが。
***
とりあえず、母の強い勧めでまずは一人、お見合いを受けるなんてことになってしまった。心の底から気が進まないが、こうなった以上本格的に嫌われるように努力をしなければなるまい。何の罪もないお見合い相手には非常に気の毒であるのだが。
――お見合いで嫌われるためには……お見合いでタブーとされている行為をかたっぱしからしていくしかないわっ!
そのお見合い相手は、子爵家の若い少年だった。フィオナより一つ年下の次男坊である。金髪の、くりくりとした髪が実に可愛らしい。フィオナを見て、恥ずかしそうに眼を伏せてもじもじしていた。
きっと、女性とまともに話したこともないような、純粋無垢な人物なのだろう。嫌な思いをさせるのは心苦しいが、これも目的のため。貴方に相応しい女性は他にいるからね、なんてことを思いつつ、フィオナはわざと椅子に大股開きで座った。
「こ、こんにちはフィオナ様。ボールドウィンといいます。きょ、今日はよろしくお願いします」
「あ、そう。それで?」
「え」
「それで、あんたは何ができるの?貴方がこの家に婿入りすることで、うちには何のメリットがあるのかしら?」
髪の毛も意図的に崩してきたし、露骨に不機嫌な声も出した。お見合いの禁じ手その一、服装や身だしなみに清潔感がなく、品がない言動。その二、威圧感があり、まるで品定めをするような言動。今のでダブルパンチを決められたと思うのだが、どうだろうか。
「ちょ、ちょっとフィオナ、やめなさい」
母はといえば、隣であからさまにおろおろしている。先方の奥様が、早々にこめかみに青筋を立てたことに気付いたというのもあるだろうが。
「私、男性の好みにはものすごおおおおおおくうるさいのよ」
さっさとブチキレてくれ、とフィオナは心の底から思う。身分としてはこっちの方が上だが、相手も貴族だしこのお見合いを断る権利はある。お互いに次男次女、特に切羽詰まったお見合いでもないから尚更に。
「この家に来るからにはそうね、とにかく経済的に成功している家でなければいけないかなと思うわけ。だってファイス家よ?この家が千年単位で続いている名家だって知らないわけじゃないでしょう?この家に釣り合うような凄い家じゃないと、結婚するだけの意味がないと思うのよ。ああ、それから武術に優れているのも条件なんだけど、貴方そういう方面は得意なのかしら?いかにも草食系っぽい雰囲気でとっても心配だわ。やせっぽっちで、運動も得意ではなさそうだし?」
「そ、それは、その……」
「もっと言うとね、私はとっても面食いなの。この私の顔に釣り合うくらい綺麗な顔をした男じゃないと嫌なのよね。だって、ベッドで萎えるじゃない。結婚したら最終的には子供を作らなきゃいけなくなるわけでしょ?ベッドで双方その気になりません、なんて相手じゃまったく無意味っていうか?ああ、もちろん体の相性も大事よねー。あんた、そっちには自信あるんでしょうね?ああ言っておきますけど、自分がリードできるだなんて思い上がらないことね。私、男に乗っかられる趣味はないの。ベッドの上でも私生活でもね」
「え、えっと、えっと……そ、それは」
「ええ、どうなの?ちょっと、何涙目になってるわけ?男のくせに弱っちいわね、しゃんとしなさいよ!」
「う、ううううううううううううううう……」
ああ、罪悪感マックス。ついに、目の前の年下の少年は嗚咽を漏らし始めてしまった。そりゃ、こんなマシンガンで怒鳴り続けられて、怖くない人間などいるはずもない。
おまけにその内容がなかなかに酷い。自分でも、よくもまあこんな下ネタが出てくるものだと思うほどだ。実際、フィオナも薄くてキラキラした本と学校の保健体育くらいの知識しかない。当然、体験したことがあるわけでもないのに(そもそも生涯男と寝るつもりはないし、愛するキャンディとだってまだ一線は超えないように我慢しているのだから)。
「ちょっと、フィオナお嬢様!?」
ついに、ボールドウィンの母親がぷっつんした。フィオナからすれば遅すぎるくらいである。ばばーん、と机をたたいて立ち上がる女性。できればこの子が泣く前に助けてあげてほしかった、と心の底から思うフィオナである。
「い、いくらそちらのご身分が上とはいえ……そのような明け透けな物言い、伯爵家のご令嬢として恥ずかしくありませんの!?そもそも、人を侮辱するような物言い、いくらなんでもひどすぎますわ!」
「あら、私は本当のことを申し上げただけですのに。だって、結婚してからお互いに好みにあわなくてうまくいきませんでした、じゃすみませんでしょ?結婚する前にすりあわせておいた方が、傷が浅くて済むじゃありませんか。だから、そちらのためを思って正直なことを申しただけですのに」
「だからってねえ!」
「ふぃ、フィオナ……相手の方に謝って、早く!」
隣で母が真っ青になっているが知ったことではない。ここで機嫌を直されたら、嫌々悪人を演じた意味がなくなってしまう。
「何で私が謝らなきゃいけないんですの、お母様?何も間違ったことなど言ってないというのに」
そのあと、ボールドウィンの母が金切り声でいろいろとわめきたてていたはずだが、あまりよく覚えていない。というか、向こうがフィオナの十倍は早口でよく聞き取れなくなったともいう。ヒステリーを起こす女は怖い。まあ、そうさせたのは自分なので大変申し訳なくはあるが。
そんなわけで、一回目のお見合いは向こうから丁重に、それはもう丁重にお断りされるこちになったのだった。
――うう、ごめんね、ボールドウィンくん……!
こんなこと、できれば続けたくはない。
あの親子が、“悪役令嬢”なフィオナの噂を周囲に流しまくってくれればいいのだが。