「私…この姿は一体…?」
目の前に映る自分の姿に、私は息を呑んだ。純白のバルーンドレスに純白の膝上丈のレースアップブーツ。頭上には、ダイヤモンドと大粒の真珠が交互に配置されたティアラが輝いている。そして、右手にそっと握っていたのは真っ白な一輪の月下美人。もしかして、これが月姫の覚醒した姿だというのだろうか?信じられない気持ちで私は自分の姿をじっと見つめた。
「…チッ、覚醒なさいましたか…!」
舌打ちをして私を睨みつける麗夢は地面に落とした大鎌を拾い、警戒する様に構え始めた。先程の光の影響でまだ目が眩んでいるのか、その足取りはふらついている。しかし、その瞳には獲物を捉えんとする鋭い光が宿っており、油断は出来ない。
覚醒したはいいけど、これからどう戦えば良いのか…。私は心の中で焦りを隠せずにいた。その時、手に持っていた月下美人が眩い光を放ち始めると月白色のマイクへと姿を変えた。その変化に私は戸惑いを隠せない。手に伝わる、ひんやりとした金属の感触。ずっしりとした重み。
「(…よく分からないけど、やるしかない!)」
もしこれが月の姫として覚醒した証なら、これで麗夢と対等に戦える筈。
だが、まずは―…。
私は麗夢に背中を向け、気を失っている夜空君のそばにしゃがみ込み、そっと彼に触れる。
昔、私のお母さんは歌が好きだった。よく色々な歌を歌ってくれたけれど、私が怪我をしたり泣いている時でないと歌わない特別な歌があった。
それは、テレビやCDで聴いた事のない、何処か懐かしい旋律。ある日、私はお母さんに『この歌、何ていう歌なの?』と尋ねた事があった。すると、お母さんは少し考えてから『これは私が何となく作った歌なの。』と微笑んで答えた。その答えに、私少し拍子抜けしていたのを覚えている。今思うと、もしかしたらあの歌こそが代々受け継がれてきた月姫の歌だったのかもしれない。そして、私を優しく包み込む様なあの旋律には、言葉では言い表せない、不思議な癒やしの力が宿っていたのかもしれない。
私は両手でマイクを強く握りしめると、夜空君を想いながらお母さんが歌っていた歌を口ずさんだ。すると、星宮君の頭上からキラキラと黄金の光が降り注ぎ、彼の傷口を優しく包み込む。
それは、麗夢に負わされた傷をゆっくりと癒していく光だった。
「う…」
やがて完全に傷が塞がると夜空君の意識が戻り、ゆっくりと瞼を開く。身体はまだ動かせないらしく、仰向けのままだった。私は目に涙を溜めながら笑顔を向ける。
「羽闇ちゃん…?その姿は…。」
「夜空君、ここまで頑張ってくれてありがとう。後は私だけで頑張ってみるね。夜空君が命を懸けて守ってくれたんだもの…今度は私が守る番だよね。」
必ず夜空君の元に無事に戻ってくると心の中で誓い、私は再び麗夢へと立ち向かう。そのタイミングで麗夢は憎悪に満ちた目で私を睨みつけ、大鎌を構え直した。問題は、どうやって麗夢の攻撃を防ぐかだ…恐らく先程の歌は癒しの効力しかないと直感が告げていた。
代々伝わるとされる歌は、お母さんが歌っていた先程の一曲しか知らない。しかも、昨日月光家に迎えられたばかりの私がこんな状況でどうすればいいのか…?この状況を打破するには私が攻撃の力を込めた歌を作り上げ、それを歌って戦うしかないのかもしれない。すると、何処からともなく優しくも力強いメロディーが流れ始めた。まるで私を導く一条の光の様に心に響く。そしてメロディーだけでなく、頭の中に歌詞までもが鮮明に浮かんでくる。全く聴いた事のないメロディーだというのに、歌える確信があった。この歌なら、麗夢に立ち向かえる。そう感じた私はマイクを片手に構えた。
「私は貴方に同行なんてしないし、死ぬつもりもない!夜空君をあんなに酷く傷つけた事…絶対に後悔させてやるんだから…!覚悟しなさい!」
「はっ!覚醒したばかりで図に乗らないで頂けますでしょうか!?歌を歌わせなければ、貴方を始末するのは容易いですわ!」
麗夢は地面を強く蹴り上げ、空中から襲い掛かってきた。手にした鎌からは先程星宮君に放った漆黒の風が渦巻いており、その風は私に向かって一直線に迫ってくる。だが命中する寸前、私が歌い始めた瞬間に黒い風は跡形もなく消え去った。
「なっ…!?まだまだですわぁ!」
攻撃が消え去った光景に麗夢は信じられないといった表情を浮かべるが、鎌を構え直し、次々と攻撃を繰り出してくる。だが私が歌い続ける限り、その攻撃は届く事なく再び消え去っていく。攻撃が通じないと悟った麗夢は鎌を大きく振り上げ、私に向かって突進してくる。だが近づけば近づく程に彼女は苦しみ出し、頭を抱えて膝をついた。
「ぐっ…あぁ!頭がァ、痛い…!息苦しい…!」
苦悶の声を上げながら、麗夢は意識を手放していく。無事に歌い終える事が出来たのか、歌の力が徐々に薄れていく感じがした。メロディーも歌詞も朧げとなり、麗夢は完全に意識を失っている。
「ハァ…終わった…!?」
私は張り詰めていた糸が切れた様に全身から力が抜け、その場に座り込む。激しい消耗のせいか光が引く様にゆっくりと姿も元の姿へと戻っていき、静寂だけがその場に残っていた。
「羽闇様!」
私を呼ぶ声が聞こえ、後ろを振り返ると壱月と月光家の使いの者達が此方へと駆けつけてくるのが見えた。壱月は私の傍に駆け寄ると、静かに跪く。
「先程、星宮様からご連絡を頂いて…!お怪我はありませんか!?」
「私は大丈夫。只、少し疲れて力が入らないかな。それよりも夜空君が…」
彼の受けた傷は何とか治したけれど、覚醒したばかりの私の力ではまだ万全な状態ではない筈。
「僕なら大丈夫だよ。」
「夜空君…!」
すると、夜空君はよろめきながら此方へと駆け寄ってきた。傷は癒えたとはいえ、やはり未だ万全とはいえない様子だった。
「星宮様、遅くなり申し訳御座いません。ご無事で何よりです。」
壱月は夜空君に気付くと、深々と頭を下げた。その表情には安堵の色が濃く滲んでいる。
「ええ、何とか…。実はもう少しで死んじゃうところだったんですけど、羽闇ちゃんに助けて貰ったんです。羽闇ちゃん、ありがとう。」
夜空君は弱々しいながらも、いつもの優しい笑みを浮かべる。先程までの苦しみの痕跡はなかったが、その顔色はまだ青白く、消耗しきっているのが見て取れた。彼の言葉に胸が締め付けられる思いがした。どれ程の苦しみを乗り越えて彼は此処にいるのだろう。そう思うと、彼を助ける事が出来て本当に良かったと心の底から安堵の息が漏れた。
「私こそ…!最初に私を守ってくれたのは夜空君なんだし、お礼を言うのは私の方だよ。ありがとう。」
そう言うと、夜空君は私の目をじっと見つめた。その瞳は私の心の奥底を見透かす様に優しく、そして温かく輝いている。彼の優しさが、私の心にゆっくりと染み込んでいく。私は彼のその瞳から目を離せずにいたその時、壱月の声が私を現実に引き戻した。
「お二人共、お話は後程。そろそろ警察が駆けつけてくる様ですので、厄介な事になる前にすぐにこの場を離れた方が宜しいかと。」
彼は常に冷静に状況を的確に把握し、最善の判断を下す。そうだ、今は感傷に浸っている場合ではなかった。このまま此処にいると、後々面倒な事になるかもしれない。私達を襲撃してきた麗夢と彼女の部下である男二人は、戦闘の衝撃で意識を失ったままの状態。彼らは園内に爆弾を仕掛けた犯人でもある為、このまま警察に引き渡すのが最善だ。男二人が爆弾を投げ込む様子は多くの来園者が目撃しており、警察に通報した人もいるだろう。
全身から力が抜け落ちて動けないでいた私を壱月はその状態を察し、迷う事なく私を横抱きにする。その腕は驚く程力強く、それでいて優しかった。夜空君も月光家の者達に支えられながら、私達と共に沈黙の中を暫く歩く。
やがて黒塗りのリムジンが私達を待つ様に佇んでいるのが見え、私達はその車に乗り込むとエンジン音を静かに響かせながらその場を後にした。