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第22話【月姫の覚悟】


廊下を歩いているうちに、私は今まで見たことのない扉の前に立っていた。重厚な木で作られた扉は、 何やら只ならぬ雰囲気を醸し出している。


「此処が特訓ルームの入り口です。」


壱月は静かにそう告げると、扉に手をかけた。

ギィィ…

重たい扉がゆっくりと開いたと同時に中から冷たい空気が流れてくる。その扉の奥には石造りの階段が続いていた。私は壱月に促され、階段を下りていく。地下へと続く階段は薄暗く、空気も冷たく不気味さを感じる。階段を下りきると、また一つ装飾が施された白い扉があった。


「ご到着致しました、此方です。」


壱月はそう告げるとその扉を開ける。私はその部屋の中へと足を踏み入れた。すると、想像を絶する広大な空間が広がっていた。部屋は全体的に真っ白―純白だ。高い天井はまるで地下神殿の様で、磨き上げられた床は冷たく光っている。そして壁一面には見た事もない様な奇妙な装置や道具が並んでおり、此等は一体何に使われるのか全く想像がつかない。


「凄く綺麗なところ…!まるで神話の世界に入り込んだみたい。」


「此処は月光家の代々伝わる特訓ルームで御座います。これから暫くの間、羽闇様には此方である特訓を受けて頂きます。」


壱月は、静かに威厳のある声色でそう言った。


「此処で…!?まさか、これから始まる特訓って想像を絶する程過酷なものなんじゃ…?」


「…勿論過酷な特訓となっております。何せこれから羽闇様には、月姫様としての想像を絶する特訓を受けて頂きますので。」


私は不安を隠せない声で壱月に尋ねると、壱月は冷酷な笑みを浮かべながら私にゆっくりと近づいてくる。


「え、特訓って…月姫としての特訓だったの…!?」


「…一体何の特訓と勘違いされていたのですか?」


「て、てっきり只の花嫁修業かと…。だって…月姫の力は前にちょっと使えたみたいだからもう問題ないのかなって…」


私は、しどろもどろになりながら答えた。まさかこんなにも月姫としての本格的な特訓が待っているなんて、思ってもみなかった。壱月は私の言葉に呆れてしまったのか軽く溜め息をついた。


「ハァ…月の力はそんなに簡単に身につくものでは御座いません。それに、一度覚醒されたからといってそれで終わりではないのです。あの力だけではなく体力も必要不可欠ですよ。現に、羽闇様は力を使った影響で暫くお身体を動かす事が出来ませんでしたよね?」


「そうだけど…あれって初めて使った力に疲れちゃっただけじゃないの?ほら、日に日に覚醒していけば自然に身体がついていけるように…なーんて事は…アハハ。」


「…今のままではその様な日は永遠に訪れる事はないでしょうね。羽闇様が動けなくなったのは、力の使いすぎ…という要因も確かに御座います。しかしそれだけではなく、より深刻な問題は『羽闇様の身体が、月姫様の力に耐えられなくなっていた』という点で御座います。」


「力に耐えられなかった…?」


「月姫様の力は、想像を絶する程に強大なエネルギーなのです。月姫様にふさわしい羽闇様でさえあの状態…並大抵の人間であれば、心身ともに大きな負担を強いられるでしょう。ましてや、月姫様としてその力を自在に操るとなると更に過酷な鍛錬が必要となります。はっきりと申し上げますが、羽闇様はまだ月姫様としての力を完全に覚醒されておりません…あの時の覚醒は恐らく二割程度でしょうか。その為、力に身体が適応出来ておらず、無理に力を使った事で体に大きな負荷が掛かってしまったのです。」


あ、あれで二割だったんだ…。あの時は、夜空君の事で頭がいっぱいで自分の身体の事なんて考える余裕はなかった。そして、壱月は私の心を深く抉る様な衝撃的な事実を口にした。


「今はまだ問題はないでしょう…しかしそれは時間の問題。もしあのような状態が数回でも続けば、羽闇様の身体は月の力に耐えられなくなり…やがてしてしまうでしょう。」


「それって、またあの時みたいになったら私は死ぬかもしれないって事…?」


「…あくまで想定ですが。」


壱月は冷静な口調で言ってはいるが、奥には深い憂慮の色が宿っている様に感じる。崩壊…?死ぬかもしれない…?そんな…。想像もしていなかった事態に、私は動揺を隠せないでいた。


「ご安心下さい、羽闇様。そうさせない為に私共がいるのですよ。」


壱月は、再び静かに言葉を紡いだ。その言葉は、私に一条の光を差し示してくれる様だった。


「だからこそ私はこの特訓が必要だと考えたのです。先程も言いました通り、想像を絶する特訓となるでしょう。しかしこの特訓を乗り越えいけば、羽闇様は死に至る事は御座いません。」


「それって厳しくて辛い特訓になるって事だよね…?大体その特訓ってどんな事をするの?」


「そうですね…段階は踏まなければなりませんが、まず第一段階としては『力の制御及びその力を最大限に引き出して頂く特訓』…といったところでしょうか。」


「そんな…星宮君の時ですらあんなだったんだよ?自信ないよ…私が完全覚醒なんて夢のまた夢だよ。」


二割の覚醒であの状態だったのだ、いくら特訓をしたところで私には出来っこないとしか思えなかった。

死の恐怖と自分の力不足に対する絶望が私を打ちのめしていた。すると、壱月が私の手を優しく包み込んだ。顔を上げると、彼は目を細めて私を見つめている…その表情はまるで私を励ますように優しさに満ち溢れていた。こんな壱月は初めて見たかもしれない。


「…特訓を受けたくないのであれば無理強いは致しません。ですが、私はきっと羽闇様が月姫様として完全覚醒されると信じております…貴女は特別な素質をお持ちですから。その証拠として以前に力を少しだけ使われた時、星宮君を救う事が出来ました。あれは紛れもなく羽闇様の優しさや強い意志の力でしょう。月の力は心が清く、強い意志を持つ者にこそ真価を発揮するのです。」


壱月の言葉は、私の胸に深く響いた様な気がした。

しかし、私はまだ迷っている。不安も恐怖だって消えていない。特訓を受けようが受けまいが、どちらにしろ月姫に選ばれた以上この先不安や恐怖は増していくだけの運命だろう。

だったら―。


「…私、頑張ってみようかな。」


私は、震える声でそう言った。


「今はまだ全然だけど。立派な月姫になる為に、皆を守る為にも月の力を上手く使いこなせる様に強くなりたい。特訓…受けさせて下さい。」


「…素晴らしいです、羽闇様。私達は全力で羽闇様をサポート致します。」


壱月は私の言葉に満足した様子で、ゆっくりと私の前に跪くとうっすらだが優しく微笑み掛けた。私は、強くて優しい立派な月姫になる。そして、夜空君だけじゃない。大切な人達を、皆を守っていきたい。そう決意した時、私の心に微かな光が灯った。

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