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第一話

 無事にライブを終えて、お見送りまでしてきた後で。控室に置いていたペットボトルの蓋を開け、一気に飲み干した。

「お疲れさま」

 ノックと共にマネージャーが現れる。裏に車を回したので、準備が出来たらいつでも降りてこいとの事だ。

「ありがとうございます」

「今日も大盛況だったわねぇ」

「そうですね。皆が楽しんでくれて良かった」

「次のライブもその次の分も完売だそうよ」

「そうなんですか? 頑張らなきゃ」

 笑顔で告げると、マネージャーは笑顔で頷いてくれた。そして、先に降りているわねと告げて控室を後にする。

 明日も朝早くから撮影が入っているので、早めに撤収した方が良いだろう。送ってもらえるとは言え、家に着くのは日付が変わるくらいになるだろうし。

 着ている衣装を脱いでハンガーに掛ける。鏡の前に置いていた荷物を纏めて、鞄に入れながら……ふうっと一つ溜め息をついた。ふっと浮かんだ……いや、浮かんでしまった、とある感情を消し去るために。

(……今の私は、アイドルなんだから)

 アイドルになるために、小学校の頃から歌やダンスを習って、中学生になったらオーディションを受け始めた。一次審査で落とされる事も多くて落ち込む事もあったけれど、それでも諦めたくなかったから頑張って、努力して……十四歳になった時に受けたオーディションで、今の事務所のアイドル研修生になる事が出来た。そこからボイトレやダンスレッスンをひたすら受け、先輩アイドル方のバックダンサーやアンダーを経て、無事にデビューする事が決まった。

 事務所併設の小さな劇場だったのだけれども、初めて一人でステージに立って、ファンの前で歌って踊ったあの日の事は今でも覚えている。皆が私を見て、私の歌を聞いて、掛け声や合いの手を入れてくれながら、一緒に盛り上がった。得も言われぬ達成感と充足感を抱きながら、浴びた喝采は病みつきになりそうだった。

 私が歌う事でファンが喜んでくれて、その声援と応援が私の事を元気づけてくれる。そんなファンに応えたいと願って、私はまた歌を歌う。アイドルとファンとは、互いに応援し応援される関係なのだ。

 だからこそ、アイドルはファンに対して分け隔てない愛情を返さないといけない。あの時の彼女みたいに、自分のファン達には平等に接しないといけない。私を――アイドル「AIKA」を好きだと言ってくれるファンに、上下も左右も優劣もないのだ。

(だから、これはAIKAが抱いてはいけない感情)

 今日はどこにいるのだろうと思って、客席を見回して。見つけた貴方を見た瞬間、今日も来てくれたと湧き上がった感情。

 他ならぬその人がいてくれて嬉しいという、アイドルにあるまじき感情。


  ***


 その人の存在を認識したのは、デビューして三か月ほど経った頃だった。

(あの人、いつも同じ場所にいるなぁ)

 ステージにいる私から見て一番左の一番前。そこが、その人の定位置だった。周りの人達よりも背が高くて、鍛えているのか体格も良かったから目に付いたのだ。両手にサイリウムを持って、掛け声を出したり合いの手を入れたりしてくれるところは、他の人達と同じだったけれど。

 やがて、ありがたい事に私は順調に売れていった。人気になる毎に忙しくなり、それまでよりも沢山の収録や撮影に応じて、合間を縫ってボイトレやダンスレッスンをして。その関係で毎週開催出来ていたライブが隔週になり、それまでの劇場では明らかなキャパ不足になったので更に大きい劇場に変更された。その関係か彼の位置は定位置でなくなったけれど、それでも必ずどこかにいた。

(……また、いない)

 ライブでは必ず見つけられた彼だったけれど、その後のお見送りや握手会では一度も見掛ける事が無かった。いや、それは正確な言い方ではないかもしれない……お見送りでは既に帰路につく背中しか見れなくて、握手会では列に並ばず入口に立っていたのだ。劇場販売のCDやグッズは買ってくれていたから、並ぶ権利はあった筈なのに。けれども、彼は一度もその権利を行使してくれなかった。

「ファンにも色んなタイプがいるからね。そのファンは、アイドル本人との交流までは望まないタイプなのかも」

 どうしてだろうと気になって、それとなくマネージャーに質問した事がある。その時の彼女の返答は、そんな感じの内容だった。ライブやCDにお金を使ってグッズはあまり買わないとか、その逆とか。ファンにも色々なタイプがいるらしい。

(確かに、それはそうだ)

 個々が自由に使える時間やお金の量は違うだろうし、それぞれの価値観の違いもあるだろう。だから、その人らしい推し方で応援してもらえれば、それでいいか……その時は、確かにそう思った筈なのに。

(……一回くらいは)

 握手会に来てくれないかな。一回くらいは話してみたい。こんにちはって挨拶をして握手して、ライブに来てくれるお礼を言って、また宜しくって彼に直接伝えられたらなって。いつしか、事ある毎にそう思うようになっていた。

 しょっちゅう来てくれる他のファンには直接伝えられているから、彼にだけ伝えてないのは不公平だもの。最初は、そういう平等の意識から来た思いなのだ、プロとして頑張っていきたいからこそ、そう思ったのだと思っていたのだけれども。

 今思えば……きっとその時には既に、彼の事を特別視してしまっていたのだ。

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