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第二話

(……これで三回目)

 恐れていた事態がやってきてしまった。とうとう、ライブですら彼を見掛けなくなってしまったのだ。

 最近は、今の規模の会場でも抽選必死になってしまったらしい。だから、彼も落選して来れなかったのかな、と思っていた。抽選は機械でやるから、ある意味アイドルよりも平等にファンへ対応してくれる。だから、また当選したら来てくれる筈だ……と、そう考えていた。

 しかし、予想に反して彼は更に不在記録を延ばしていた。四回目、五回目、六回目……最初の劇場時代からずっといてくれた人なので、ここまで顔を見ないのは初めてだ。SNSをチェックしている限りだと、流石に五回に一回は当たっている人が多いので、彼がよっぽどの不運の星の元に生まれたとかでない限りは、流石にもう当選していてもおかしくない筈である……応募しているなら。

「今日もお疲れさま」

「ありがとうございます。流石に、昨日の今日だから普段より疲れてましたけど……私大丈夫でした?」

「そうねぇ。正直に言うなら、多少動きのキレが……と思ったけれどステージからじゃ分からなかったと思うわ。歌唱も安定していたし、流石プロね」

「ありがとうございます。今日は早めに寝ます」

「昨日のロケ一日がかりだったものね。明日はオフだし、ゆっくりしてね」

「はい」

「それじゃ、準備が出来たら降りてきて」

 そう言ったマネージャーに分かりましたと返事をして、帰る準備に取り掛かった。流石に彼女は誤魔化せなかったようだが、大差ないという判断だったなら上々だろう。

(……私はプロ。プロのアイドル)

 言い聞かせるように唱え、もやもやと脳裏に張り付く感情を剥がすべく頭を振る。私はプロなのだから、熱が出ようが足が痛かろうが疲れていようが、ファンに心配をかけちゃいけない。パフォーマンスを落とすなんて以ての外。だから、それに繋がりそうな不安定な感情は霧散させるに限る。


――彼は推し変してしまったのだろうか、と言ったような。


  ***


(……え!?)

 事件が起こったのはライブ終盤だった。ラスト曲に繋いでいく、アップテンポで盛り上がる楽曲を歌っていたのだが……サビの歌詞を飛ばしてしまったのだ。咳き込んだように見せて誤魔化すも、稼げる時間は一瞬。どうしよう……どうしよう!

 焦りで動きがぎこちなくなった。伴奏だけが、虚しく続いていく。縋るようにステージ上のモニターを見ると、スタッフが歌詞を表示してくれていた。それを見て落ち着きを取り戻し、どうにか最後まで歌い切る。ライブそのものは、それ以上のトラブル無く終わった。

「……あまり思い詰めないのよ」

 控室に戻った私に、憂い顔のマネージャーがそんな言葉をかけてくれた。凡ミスに厳しい彼女ですらそう言うくらいに、私の表情は酷いものだったのだろうか。エゴサする勇気はなかったので、ファンクラブ限定のチャットの方を覗いてみる。

『珍しい事もあるもんだなぁ』

『でも、AIKAちゃん最近忙しそうだもんね』

『テレビにラジオに雑誌。露出が増えるのは嬉しいけど、本人の健康があってこそだし』

『今日はお疲れさま! ゆっくり休んでね』

 そこには温かい世界が広がっていた。嬉しさや安心が沸き上がる反面、ファンに気を遣わせるなんて……という罪悪感に苛まれる。その日は、帰りの車の中でもずっと泣いてしまっていた。

 その日以来、私は明らかに調子を落とした。どうにか決まっていた分のライブは歌い切ったが、それ以降の予定は白紙になった。新規の撮影依頼や取材も減り、レッスン中も意識が散漫としたり細かいミスをしたり。こんな体たらくではプロなんて名乗れない。プロなんだから、しっかりしないといけないのに。ファンに元気を届けられないアイドルなんて、職務放棄だ、アイドル失格だ……。そんな焦りが更にミスや体調不良を呼び、レッスンすら出来ない日々が続いてしまった。

 スランプに陥って一か月程経った頃、とうとう事務所の社長に呼び出された。クビになってしまうのかな……という重苦しい気持ちを抱えて、彼の元に向かう。すると、彼から意外な提案がされた。

「高校編入ですか?」

「そうだ。愛佳を応援してくれているファンの大半は、高校に通って学生生活を送った事があるだろうからな。このまま騙し騙し活動を続けるよりは、一年二年完全に休業してファンと同じ事をしてみる事で、また違った知見が得られるはずだ。ファン心理の理解の一端にも繋がるだろう」

「……なるほど」

 社長の言う事は一理ある。百聞は一見に如かず、百見は一体験に如かず。身を以て体験した事の方が理解しやすいものだし、そうやって理解した事を糧にしていけばパフォーマンスを向上させられる。こんな状況に陥ってしまったので、無理して続けるよりは目線を変えてレッスンやライブ以外の体験をする事で、更に成長出来るように取り計らってくれたという事か。

「現在籍を置いてる通信制高校のキャンパスに通うんですか?」

「いや、ここだ」

 そう言った社長から、パンフレットを渡される。学校名は、私立煌宣女子学院……私でも知っているくらいの、結構なお嬢様高校じゃなかっただろうか。

「どうしてここなんですか?」

「まずセキュリティがしっかりしている点だな。良家のご令嬢が多数通う学校だから常に警備員が置いてあるし、校内設備も充実している。その分編入試験は難しめだが、まぁ愛佳なら突破出来るだろう」

 最低限の学歴は持っておけというのが事務所の方針なので、高卒資格を持っていないタレントは基本全員通信制高校に入学させられる。そこで必要単位を取って高卒資格を得るというのが、活動以外に課せられた責務なのだが……案外勉強が楽しかったので、暇を見つけて頑張ったのだ。おかげで、クイズ番組に出演した時は結構活躍出来た。

「分かりました。頑張ります」

「まぁ名目は休業だから、そこまで根詰めなくても大丈夫だよ。編入試験は通らないと始まらないから、そこは頑張ってもらわんといけないが」

 詳細を纏めた書類は後日渡すとの事なので、その日は解散した。今夜は久々に、今までのテキストを見直してみよう。

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