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第8話


アルベルトとの交渉が成功してから三日が経った。


ライナスは家族との最後の時間を大切に過ごしていたが、同時に王都への不安も抱えていた。


「ライナス、荷物の準備はできた?」


ミエが心配そうに声をかけてくる。


「うん、大丈夫」


ライナスは小さな旅行鞄を見つめていた。村での生活に必要だった物のほとんどを置いていくことになる。持参できるのは最低限の着替えと、思い出の品だけだった。


「寂しくなるわ……」


ミエの目に涙が浮かんでいる。


「お母さん、僕はちゃんと帰ってくるよ」


「分かってるけど……こんなに小さいのに、一人で王都なんて……」


ハルオも複雑な表情をしていた。


「息子の才能を伸ばしてやりたい気持ちと、手放したくない気持ちが半々だ」


「お父さん……」


「でも、ライナスの将来を考えれば、これが最良の選択なんだろう」


ハルオがライナスの頭を優しく撫でる。


「魔法学院で立派な魔法使いになって、いつか村に帰ってきてくれ」


「うん、約束する」


ライナスは両親との約束を胸に刻んだ。


その夜、ライナスは一人で村を歩いてみた。


見慣れた風景が、明日からは見られなくなる。井戸のある広場、子供たちと遊んだ空き地、ガルスの鍛冶屋……すべてが愛おしく感じられた。


(7年間過ごした場所を離れるのは、思った以上に辛いな……)


前世では故郷というものを持たなかった。両親を早くに亡くし、転勤の多い会社だったため、特定の場所に愛着を持つことはなかった。


しかし、この村は違った。温かい家族と、優しい村人たちがいる。初めて「故郷」と呼べる場所ができたのに、それを離れなければならない。


「ライナス君?」


振り返ると、アルベルトが立っていた。


「アルベルトさん……」


「散歩かい?」


「はい。明日からは見られなくなるから……」


「気持ちは分かるよ。私も40年前、この世界で初めてできた故郷を離れる時は辛かった」


アルベルトが隣に並んで歩く。


「初めての故郷……?」


「そうだ。私も転生してすぐは、この世界に馴染めずにいた。でも、ある村の人たちに受け入れられて、初めて居場所を見つけることができた」


「その村を離れたんですか?」


「魔法の研究のためにね。君と似たような理由だった」


アルベルトが昔を懐かしむような表情を浮かべる。


「でも、後悔はしていない。その経験があったからこそ、今の私がある」


「そうなんですね……」


「君もきっと大丈夫だ。この村で学んだことは、決して無駄にはならない」


アルベルトの言葉に、ライナスは少し安心した。


「それに、私も一緒だからね。一人じゃない」


「ありがとうございます」


二人は村の端まで歩いた。そこから見える山々の向こうに、王都があるのだろう。


「不安はあるかい?」


「はい……魔法学院って、どんなところなんでしょうか?」


「大きな学校だよ。この村の何倍もの人が住んでいる」


アルベルトが説明を始める。


「生徒は主に貴族の子弟だが、才能のある平民も受け入れている。君のような特待生は珍しくない」


「貴族の子供たち……」


ライナスは不安になった。前世でも、上流階級の人たちとの付き合いは苦手だった。


「心配するな。確かに最初は戸惑うかもしれないが、君の実力があれば認められるはずだ」


「実力……」


「そうだ。魔法学院では実力が全てだ。出身など関係ない」


ライナスは少し安心したが、別の心配もあった。


「僕の能力、バレませんかね?」


「『魔法理論解析』のことか?」


「はい。あまりにも異常すぎる能力です」


「確かにそうだね。使う時は十分注意しなければならない」


アルベルトが真剣な表情になる。


「基本的には、私たちだけの秘密にしておこう。他の人には絶対に見せてはいけない」


「分かりました」


「それと、転生者であることも同様だ」


「はい」


「魔法学院には優秀な魔法使いが多数いる。中には真実を見抜く能力を持つ者もいるかもしれない」


ライナスは緊張した。


「でも、心配しすぎる必要はない。君は既に7年間、この世界で自然に振る舞えている」


「そうですね……」


「大切なのは、普通の天才少年として行動することだ」


アルベルトが続ける。


「魔法の才能は確かにあるが、それ以外は普通の子供。そう振る舞っていれば、特に怪しまれることはないだろう」


「普通の天才少年……」


「そうだ。そして私は君の元師匠として、適度に指導を続ける」


二人は村への帰り道を歩きながら、王都での行動について詳しく打ち合わせた。


翌朝、出発の時が来た。


村の人たちがライナスを見送りに集まってくれた。


「ライナス君、体に気をつけるんだぞ」


「王都で有名になったら、僕たちのことも忘れないでね」


「必ず元気で帰ってきてよ」


村人たちの温かい言葉に、ライナスは胸が熱くなった。


「みなさん、ありがとうございました。必ず立派になって帰ってきます」


ライナスは深々とお辞儀した。


同年代の子供たちも来ていた。


「ライナス、すごいね。王都の学校に行くなんて」


タロウが羨ましそうに言う。


「僕らのことも忘れないでよ」


ハナが寂しそうに言う。


「忘れるわけないよ。みんなは僕の大切な友達だから」


「本当?」


「本当だよ。だから、また一緒に遊ぼうね」


子供たちとの別れは特に辛かった。彼らとは本当に純粋な友情を築くことができていた。


最後に両親との別れの時間が来た。


「ライナス……」


ミエが涙を流しながら息子を抱きしめる。


「お母さん、泣かないで」


「ごめんね……でも、どうしても……」


「僕、頑張るから。だから泣かないで」


ライナス自身も涙が出そうになっていた。前世では経験できなかった家族愛を、この7年間で十分に感じることができた。


「ライナス、男だろう。しっかりしろ」


ハルオが息子の肩を叩く。


「でも、無理はするな。困ったことがあったら、すぐに手紙を書け」


「うん、分かった」


「それと……」


ハルオが小さな袋を渡してくる。


「これは何?」


「村のみんなからのお守りだ。困った時に見てくれ」


袋の中には、村人たちからの小さな贈り物が入っていた。手作りのお守り、きれいな石、押し花……どれも心のこもった品ばかりだった。


「ありがとう……」


ライナスは感動していた。


「さあ、時間だ」


ロイ副院長が馬車の準備ができたことを知らせる。


「それでは、参りましょう」


アルベルトもすでに旅支度を整えていた。


ライナスは最後にもう一度、両親と抱き合った。


「いってきます」


「いってらっしゃい、ライナス」


馬車に乗り込むと、村の人たちが手を振って見送ってくれた。


馬車が動き出し、だんだん村が小さくなっていく。


(本当にお別れなんだ……)


ライナスは窓から手を振り続けた。村の人たちの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。


「初めての長旅ですね」


ロイ副院長が話しかけてくる。


「はい」


「王都まで一週間ほどかかります。途中、いくつかの街で宿泊しますので、見学してみるといいでしょう」


「ありがとうございます」


エレナ教授も親切に説明してくれる。


「王都は非常に大きな街です。最初は迷子になりやすいので、気をつけてくださいね」


「はい」


護衛のダンは寡黙だったが、時々ライナスの安全を気遣ってくれた。


「魔物に襲われることもあるから、何かあったらすぐに知らせてくれ」


「分かりました」


アルベルトは隣に座り、小声で話しかけてきた。


「大丈夫かい?」


「はい。でも、やっぱり寂しいです」


「それは当然だ。でも、きっと新しい発見もあるよ」


「新しい発見……」


「そうだ。王都には村では見ることのできない魔法技術がたくさんある」


アルベルトが続ける。


「君の『魔法理論解析』で観察すれば、きっと興味深いことが分かるはずだ」


ライナスは少し興味を持った。確かに、高度な魔法を解析できるのは楽しみだった。


「でも、人前では使わないようにします」


「それでいい。私たちだけの研究として活用しよう」


馬車は順調に進んでいた。村とは違う景色が次々と現れる。


大きな川、広大な平原、遠くに見える山々……すべてが新鮮だった。


「すごく広いんですね、この世界って」


「そうだね。王国だけでもかなりの広さがある」


ロイ副院長が地図を見せてくれる。


「ここが君の村で、こちらが王都だ」


地図上では小さな距離に見えたが、実際は相当な距離があることが分かった。


「他にも多くの街や村がありますね」


「そうです。それぞれに特色があって面白いですよ」


初日の夕方、最初の宿場町に到着した。


「フィール町」という、商業で栄えている街だった。


「今夜はここで泊まります」


宿屋は村の建物より大きく、立派だった。


「すごい……」


ライナスは目を丸くした。


宿屋の中には、様々な旅人がいた。商人、冒険者、他の貴族らしき人たち……村では見ることのない多様な人々がいる。


「ライナス君、夕食の前に街を少し見学してみませんか?」


エレナ教授が提案してくれる。


「はい、お願いします」


街の中心部には市場があり、村では見たことのない商品が並んでいた。


「魔法で保存された食品」「遠い国の織物」「魔石を使った道具」


どれもこれも、村の市場とは規模が違っていた。


「すごいですね……」


「これでもまだ地方の街です。王都はこの何倍も大きいですよ」


ライナスは想像がつかなかった。


街には魔法使いの姿も多く見られた。みんな高度な魔法を使っているようで、ライナスは興味深く観察した。


(『魔法理論解析』で見てみたいけど、人が多すぎて危険だな……)


スキルの使用は我慢することにした。


「あ、ライナス君」


アルベルトが近づいてくる。


「興味深いものが見つかりましたね」


「はい。村とは全然違います」


「王都はもっとすごいですよ。楽しみにしていてください」


その夜、宿屋の部屋でライナスとアルベルトは二人きりになった。


「今日はどうでしたか?」


「新鮮でした。でも、やっぱり村の方が落ち着きます」


「それも当然だね。慣れ親しんだ場所が一番だ」


アルベルトが窓から外を見る。


「でも、新しい環境に身を置くことで、君はもっと成長できるはずだ」


「成長……」


「そうだ。村にいては学べないことがたくさんある」


「どんなことですか?」


「魔法技術もそうだが、何より人との関わり方だ」


アルベルトが説明する。


「魔法学院には様々な背景を持つ生徒がいる。貴族、平民、他国からの留学生……」


「それは大変そうですね」


「確かに最初は戸惑うだろう。でも、多様な人々と関わることで、君の視野は大きく広がる」


ライナスは理解した。確かに、村では同じような環境の人たちとしか関わっていなかった。


「頑張ってみます」


「その意気だ。そして何か困ったことがあったら、遠慮なく相談してくれ」


「ありがとうございます」


翌朝、旅は続いた。


二日目は山道を通り、三日目は大きな川沿いを進んだ。


毎日新しい景色を見ることができ、ライナスは少しずつ旅の楽しさを感じるようになっていた。


「魔法学院の授業って、どんな感じなんですか?」


四日目の朝、ライナスはエレナ教授に質問してみた。


「基本的には理論と実技の両方を学びます」


「理論……」


「魔法の仕組み、歴史、各種属性の特性など、座学が中心ですね」


「実技は?」


「実際に魔法を使って、技術を磨く授業です」


エレナ教授が詳しく説明してくれる。


「1年生は基本魔法から始まり、学年が上がるにつれて高度な内容になります」


「僕はどの学年に入るんでしょうか?」


「君の実力なら、3年生レベルでも十分についていけるでしょう。でも、最初は2年生から始めてみてはどうでしょうか」


ライナスは安心した。いきなり上級生の中に入るのは不安だったのだ。


「友達はできるでしょうか……」


「大丈夫ですよ。君のような特待生は、みんな興味を持って迎えてくれるはずです」


ロイ副院長も励ましてくれる。


「それに、君には優秀な師匠がついている。心強いでしょう」


アルベルトを見ながら言う。


「はい、とても心強いです」


五日目の夕方、遠くに大きな街の灯りが見えてきた。


「おお、あれが王都ですよ」


ロイ副院長が指差す。


「すごく大きい……」


ライナスは息を呑んだ。村の何十倍もの大きさに見える。


「明日の午前中には到着できるでしょう」


「いよいよですね……」


ライナスは緊張と期待で胸がいっぱいになった。


その夜、最後の宿場町で泊まりながら、ライナスは明日からの新生活について考えていた。


(いよいよ王都に着く……新しい生活が始まるんだ……)


不安もあったが、それ以上に期待の方が大きくなっていた。


(きっと村では学べない多くのことを学べるだろう。そして、いつか立派になって村に帰ろう)


ライナスは両親や村の人たちの顔を思い浮かべながら、決意を新たにした。


転生者としての秘密を抱えながらも、この世界で自分なりの道を歩んでいく。


その第一歩が、いよいよ始まろうとしていた。

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