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第10話


王立魔法学院での生活が始まって一週間が経った。


ライナスは順調に学院の環境に馴染んでいたが、ある日の夜、奇妙な出来事に遭遇することになった。


「ライナス、今日の実技の授業はどうだった?」


夕食後、マーカスが話しかけてきた。


「とても勉強になりました。でも、まだまだ上級生には敵いませんね」


「君は謙遜しすぎだよ。今日の複合魔法、先生も驚いてたじゃないか」


確かに、実技の授業でライナスが見せた火と風の複合魔法は、他の学生たちから感嘆の声を集めていた。


「そんなことないですよ」


「でも気をつけた方がいいかもしれないね」


マーカスが急に真剣な表情になる。


「気をつけるって……?」


「あまり目立ちすぎると、上級生の中には面白く思わない人もいるんだ」


「そうなんですか……」


ライナスは少し不安になった。村でも同じような経験をしたが、学院でもそうした問題があるのか。


「特に、貴族出身の学生の中には、平民の特待生を快く思わない人がいる」


「貴族と平民の対立があるんですね」


「表立ってはないけど、時々嫌がらせのようなことがあるんだ」


マーカスが小声で続ける。


「僕も最初の頃、色々あったからね」


「マーカスさんも平民出身なんですか?」


「そうだよ。商人の息子だ」


「そうだったんですね……」


「でも、あまり心配しすぎることはないよ。先生たちはちゃんと見ていてくれるから」


その夜、ライナスは部屋で一人過ごしていた。


アルベルトからもらった魔法理論の本を読んでいると、廊下から小さな物音が聞こえてきた。


(誰かいるのかな……?)


時刻は既に夜の10時を過ぎている。寮の消灯時間なので、普通なら誰も歩き回っていないはずだ。


ライナスは慎重に扉に近づき、そっと廊下を覗いてみた。


暗い廊下の向こうで、何かの影がちらついている。


(学生かな……?)


よく見ると、黒いローブを着た人物が廊下の奥に向かって歩いていく。


(あの人は……学生じゃないかもしれない)


ライナスの直感が警告を発していた。深夜に黒いローブを着て歩き回る人物は、明らかに怪しい。


(ついて行ってみよう)


ライナスは部屋を出て、その人物の後を追うことにした。


足音を立てないよう注意深く歩きながら、黒いローブの人物を追跡する。


人物は寮を出て、学院の敷地内を移動していく。目的地は図書館のようだった。


(図書館に何をしに行くんだろう……?)


図書館は夜間は閉鎖されているはずだが、その人物は何らかの方法で中に入っていく。


ライナスも図書館に近づき、窓から中の様子を覗いてみた。


暗い図書館の中で、その人物は特定の本棚に向かっている。そして、何冊かの本を取り出している。


(あれは……禁書の棚じゃないか?)


ライナスは驚いた。エレナ教授が案内してくれた時に説明された、危険な魔法書が保管されている区域だった。


(まずい……これは報告すべきかもしれない)


しかし、その時にその人物がこちらを向いた。


フードを深くかぶっているため顔は見えないが、明らかにライナスの存在に気づいている。


(見つかった……!)


ライナスは慌てて身を隠したが、時既に遅し。黒いローブの人物が図書館から出てきた。


「そこにいるのは誰だ?」


低い男の声が響く。


ライナスは逃げるべきか、正直に出てくるべきか迷った。


「隠れても無駄だ。魔法で感知している」


観念したライナスは、物陰から出てきた。


「あなたは……?」


黒いローブの人物は、ライナスを見て少し驚いたようだった。


「子供……? こんな時間に何をしている?」


「あの……トイレに行こうとして……」


ライナスは咄嗟に嘘をついた。


「トイレは寮の中にあるだろう」


「道に迷ってしまって……」


「ふむ……」


人物はライナスをじっと見つめている。その視線に、ライナスは恐怖を感じた。


「君は新入生の特待生だな」


「はい……」


「噂は聞いている。7歳で複合魔法を使えるという……」


人物がゆっくりとライナスに近づいてくる。


「興味深い才能だ」


その時、別の方向から足音が聞こえてきた。


「誰かいるのか?」


聞き覚えのある声だった。アルベルトだ。


黒いローブの人物は舌打ちをして、素早く姿を消した。魔法による瞬間移動のようだった。


「ライナス君? こんな時間にどうしたんだ?」


アルベルトが駆け寄ってくる。


「アルベルトさん……」


ライナスは安堵した。


「怪しい人がいたんです」


「怪しい人?」


ライナスは先ほどの出来事を詳しく説明した。


「黒いローブを着て、禁書の棚から本を取り出していました」


アルベルトの表情が深刻になった。


「それは……重大な問題だね」


「報告した方がいいでしょうか?」


「そうだね。でも、まず私が調べてみよう」


アルベルトが図書館の中を確認する。禁書の棚を調べると、確かに何冊かの本が抜き取られていた。


「本当に盗まれているようだ」


「どんな本ですか?」


「『闇魔法大全』『禁呪の詳説』『魂操作の理論』……どれも危険な内容の本だ」


アルベルトが重々しく言う。


「これらの知識が悪用されれば、大変なことになる」


「すぐに先生たちに知らせましょう」


「そうだね。でも、君のことは内緒にしておこう」


「内緒に?」


「あまり事件に関わっていると思われると、君が狙われる可能性がある」


アルベルトの配慮に、ライナスは感謝した。


「分かりました」


「それと、しばらくの間は夜間の一人歩きは控えるように」


「はい」


翌朝、学院内は大騒ぎになっていた。


「禁書が盗まれたって本当?」


「誰がそんなことを……」


「内部の犯行かもしれないね」


学生たちの間で様々な憶測が飛び交っている。


「ライナス、昨夜は何か聞こえなかった?」


マーカスが心配そうに聞いてくる。


「いえ、よく眠っていたので……」


ライナスは嘘をつくことに心が痛んだが、アルベルトの助言に従うことにした。


「それにしても、誰が禁書なんて盗むんだろうね」


「悪い魔法使いかもしれません」


「黒魔法使いってやつ?」


「そうかもしれませんね」


午前の授業中、マクシミリアン院長が緊急集会を開いた。


「学生諸君、昨夜重大な事件が発生しました」


院長の声が講堂に響く。


「図書館の禁書区画から、数冊の危険な魔法書が盗まれました」


学生たちがざわめく。


「この件について、何か知っている者がいれば直ちに申し出てください」


「また、しばらくの間は夜間の外出を禁止します」


院長の発表に、学生たちは緊張した表情を見せた。


「犯人が捕まるまで、警備を強化いたします」


集会の後、ライナスはアルベルトの研究室を訪れた。


「院長先生には報告されたんですか?」


「ああ。ただし、君が目撃したという事実は伏せておいた」


「ありがとうございます」


「それより、気になることがある」


アルベルトが深刻な表情を見せる。


「あの犯人は、君のことを知っていたようだね」


「はい……特待生だということを……」


「それだけではない。君の能力について詳しく知っているようだった」


ライナスは不安になった。


「まさか、僕が狙われているんでしょうか?」


「可能性はある。君の特殊な才能に目をつけている者がいるかもしれない」


「どうしたらいいでしょうか?」


「まず、絶対に一人で行動しないこと」


アルベルトが指示を出す。


「授業以外の時間は、なるべく私と一緒にいるように」


「はい」


「それと、『魔法理論解析』の使用は当分控えよう」


「分かりました」


その日の午後、実技の授業中に新たな問題が発生した。


「ライナス、少し手加減してもらえるかな?」


上級生のロバートという貴族の学生が、嫌味たっぷりに言ってきた。


「手加減……?」


「君の魔法が優秀なのは分かるが、あまり目立ちすぎると周りが困るんだ」


ロバートは3年生で、貴族出身の学生たちのリーダー格だった。


「すみません、そんなつもりは……」


「平民の分際で調子に乗るなよ」


ロバートが小声で脅すように言う。


「特に君みたいな田舎者は、身の程を弁えるべきだ」


ライナスは怒りを感じたが、ここで感情的になるのは得策ではない。


「気をつけます」


「それでいい」


しかし、ロバートの嫌がらせはそれだけでは終わらなかった。


実技の練習中、ライナスが魔法を発動しようとした時、何者かが妨害魔法をかけてきた。


「あれ……?」


ライナスの魔法が不安定になり、制御を失いそうになる。


慌てて魔法を停止したが、危うく事故になるところだった。


「大丈夫かい、ライナス?」


教授が心配そうに駆け寄ってくる。


「はい、大丈夫です」


「魔力の流れが乱れていたようだが……体調が悪いのかな?」


「少し疲れているかもしれません」


「それでは今日は見学にしておこう」


ライナスは納得できなかった。明らかに誰かが妨害したのだ。


周囲を見回すと、ロバートが薄い笑みを浮かべているのが見えた。


(あいつか……)


しかし、証拠はない。告発したところで信じてもらえるだろうか。


授業後、マーカスが心配そうに話しかけてきた。


「ライナス、本当に大丈夫?」


「はい、大丈夫です」


「でも、明らかに魔法が妨害されてたよね」


マーカスも気づいていたのか。


「妨害……?」


「僕にも見えたよ。誰かが意図的に君の魔法を乱したんだ」


「そんなことが……」


「恐らくロバート達の仕業だね」


マーカスが憤慨している。


「あいつらは平民の特待生が気に入らないんだ」


「そうなんですか……」


「でも、先生に言っても証拠がないから難しいかもね」


ライナスは困った状況に置かれていることを理解した。


その夜、アルベルトの研究室でこの件について相談した。


「妨害魔法をかけられたのか……」


「はい。明らかに意図的でした」


「それは問題だね」


アルベルトが考え込む。


「貴族と平民の対立は、この学院の古い問題なんだ」


「昔からあることなんですね」


「そうだ。特に才能のある平民が現れると、既得権益を脅かされると感じる貴族がいる」


「僕はそんなつもりはないんですが……」


「君に悪意がなくても、相手にはそう見えるんだ」


アルベルトが続ける。


「しかし、妨害魔法は一線を越えている。下手をすれば大怪我に繋がりかねない」


「どうしたらいいでしょうか?」


「まず、証拠を集めることだ」


「証拠……」


「妨害魔法の痕跡を記録できれば、告発することができる」


アルベルトが新しい魔道具を取り出す。


「これは魔法記録器だ。魔法の痕跡を記録することができる」


「そんな便利な道具があるんですね」


「私が研究用に作ったものだ。これを使って、次に妨害された時の証拠を押さえよう」


「分かりました」


翌日の実技の授業で、ライナスは魔法記録器を隠し持って参加した。


案の定、ロバート達が再び妨害してきた。


今度はより巧妙で、ライナスの魔法が暴走しそうになる。


しかし、ライナスは前世の知識とこれまでの経験を活かして、何とか制御を保った。


そして、魔法記録器がしっかりと妨害魔法の証拠を記録していた。


「よし、これで証拠は十分だ」


授業後、アルベルトが記録を確認した。


「明確に妨害魔法の痕跡が残っている」


「これで告発できますね」


「そうだ。院長に報告しよう」


しかし、その時新たな問題が発生した。


「ライナス君、ちょっと来てもらえるかな」


エレナ教授が深刻な表情で現れた。


「はい」


「君について、少し話があるんだ」


エレナ教授の研究室に向かう途中、ライナスは不安になった。


(まさか、何かバレてしまったのだろうか……)


研究室に着くと、エレナ教授以外にも数名の教授がいた。


「座ってください」


「はい……」


「ライナス君、君の魔法について少し質問があります」


「質問……?」


「君の魔法は確かに優秀ですが、時々常識では説明できない現象が起きています」


ライナスの心臓が早鐘を打った。


「どのような現象でしょうか……?」


「魔法の効率が異常に高いこと、複合魔法の制御が完璧すぎること、そして……」


エレナ教授が続ける。


「まるで魔法の構造を完全に理解しているかのような精密さです」


(まずい……『魔法理論解析』のことを疑われている……?)


「どこで、そのような技術を学んだのですか?」


「師匠のアルベルト先生に教わりました」


「アルベルト先生の指導だけで、そこまでの技術が身につくでしょうか?」


教授たちの質問は徐々に厳しくなってきた。


「正直に答えてください。君には何か特殊な能力があるのではありませんか?」


ライナスは絶体絶命の状況に追い込まれていた。


転生者としての秘密と、『魔法理論解析』のスキル。


どちらも絶対に知られてはいけない秘密だったが、教授たちの疑いは確信に近づいているようだった。


(どうすればいいんだ……)


ライナスの新たな試練が始まろうとしていた。


王立魔法学院の闇は、想像以上に深く、複雑だった。


そして、その闇はライナスを確実に飲み込もうとしていた……

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