エレナ教授の研究室で、ライナスは複数の教授たちに囲まれていた。
彼らの視線は鋭く、まるで獲物を狙う鷹のようだった。
「ライナス君、もう一度聞きます」
エレナ教授が厳しい口調で言う。
「君の魔法技術は、7歳の子供が習得できるレベルを明らかに超えています」
「そうですね……でも、僕は一生懸命練習しただけです」
ライナスは必死に平静を装った。
「一生懸命練習しただけで、あそこまでの精密制御ができるでしょうか?」
別の教授が疑問を呈する。
「特に、昨日の実技授業での対応は驚異的でした」
(昨日の妨害魔法に対する対処のことか……)
ライナスは内心で冷や汗をかいた。確かに、あの時の対応は子供にしては高度すぎたかもしれない。
「妨害魔法をかけられても、あれだけ冷静に対処できる学生は上級生でも稀です」
「妨害魔法……?」
ライナスは驚いたふりをした。
「気づいていなかったのですか?」
「はい……何か魔法が不安定になったとは思いましたが……」
「では、どうしてあのように完璧に制御できたのですか?」
教授たちの質問は容赦なく続く。
「えっと……師匠から『魔法が不安定になった時は冷静に対処する』と教わっていたので……」
「アルベルト先生の指導ですか」
「はい」
エレナ教授が他の教授たちと目を合わせる。
「アルベルト先生を呼んでもらいましょう」
「え……」
ライナスは焦った。アルベルトを巻き込むわけにはいかない。
「あの、僕一人の問題です。師匠を巻き込まないでください」
「いえ、指導内容について確認する必要があります」
しばらくして、アルベルトが研究室に現れた。
「お呼びでしょうか?」
「アルベルト先生、ライナス君の指導について質問があります」
「何でしょうか?」
「ライナス君の魔法技術は、年齢に比して異常に高度です。どのような指導をされたのですか?」
アルベルトは落ち着いて答えた。
「基本的な理論から始めて、段階的に高度な技術を教えました」
「具体的には?」
「魔力の制御法、属性変換の理論、複合魔法の構築方法……」
「それだけで、あれほどの技術が身につくでしょうか?」
エレナ教授が疑問を呈する。
「ライナス君は非常に理解力が高い生徒です」
アルベルトが冷静に答える。
「それに、彼は独自に研究することも好きでした」
「独自に研究……?」
「はい。私が教えた理論を基に、自分なりに改良を重ねていました」
(アルベルトさん、上手くフォローしてくれている……)
ライナスは感謝していた。
「しかし、それにしても異常です」
別の教授が割り込む。
「昨日の妨害魔法への対処など、まるで魔法の構造を完全に把握しているかのようでした」
「妨害魔法?」
アルベルトが眉をひそめる。
「どういうことですか?」
「実技の授業中、何者かがライナス君の魔法を妨害しました」
「それは問題ですね」
「ええ。しかし、ライナス君は見事に対処しました。あまりにも完璧すぎる対処でした」
教授たちの疑いは深まるばかりだった。
その時、研究室のドアがノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、マクシミリアン院長だった。
「院長……」
教授たちが立ち上がる。
「どのような議論をされているのですか?」
「ライナス君の能力について調査をしております」
エレナ教授が説明する。
「彼の魔法技術は異常に高度で、何か特殊な能力があるのではないかと……」
院長はライナスを見つめた。その視線には、威厳と同時に優しさも感じられた。
「ライナス君、君自身はどう思いますか?」
「僕は……ただ魔法が好きで、一生懸命勉強しただけです」
「そうですか」
院長が微笑む。
「では、実際に君の魔法を見せてもらえませんか?」
「はい」
ライナスは手のひらに火と風の複合魔法を発動した。
院長は興味深そうに観察している。
「確かに高度な技術ですね」
「院長、この精密さは異常です」
エレナ教授が主張する。
「何か隠しているのではないでしょうか?」
院長は少し考えてから口を開いた。
「ライナス君、君に特殊な視覚能力はありませんか?」
「特殊な視覚能力……?」
ライナスは驚いた。まさか『魔法理論解析』のことを見抜かれたのか。
「例えば、魔力の流れが見えるとか、魔法の構造が数値で表示されるとか……」
ライナスの心臓が止まりそうになった。完全に見抜かれている。
「どうですか?」
院長の質問に、ライナスは答えに窮した。
嘘をつき続けるべきか、それとも正直に話すべきか……
その時、アルベルトが口を開いた。
「院長、もしそのような能力があったとして、それは問題なのでしょうか?」
「問題?」
「特殊な才能を持つ生徒を疑うよりも、その才能を伸ばすことが教育機関の役割ではないでしょうか?」
アルベルトの言葉に、院長は頷いた。
「その通りですね」
「院長、しかし……」
エレナ教授が抗議しようとしたが、院長が手で制した。
「エレナ教授、君たちの懸念は理解できます」
「しかし、才能のある生徒を追い詰めるのは教育者として適切ではありません」
院長がライナスに向き直る。
「ライナス君、君が特殊な能力を持っているかどうかは問いません」
「院長……」
「大切なのは、その能力を正しく使うことです」
「はい」
「もし君に特別な能力があるなら、それを人々のために役立ててください」
院長の言葉に、ライナスは感動した。
「ありがとうございます」
「それでは、この件はここまでとします」
院長が教授たちに向かって言う。
「ライナス君への疑いは晴れました」
「しかし、院長……」
「これ以上の追及は不要です」
院長の威厳ある声に、教授たちも従わざるを得なかった。
研究室を出た後、ライナスはアルベルトと一緒に歩いていた。
「ありがとうございました、アルベルトさん」
「何、当然のことだ」
「でも、院長は僕の能力を知っているみたいでした」
「そうだね。マクシミリアン院長は非常に洞察力の鋭い人だ」
アルベルトが続ける。
「しかし、彼は君を守ってくれた。それは君を信頼しているからだろう」
「信頼……」
「そうだ。君の人格を信頼しているんだ」
「僕、その信頼に応えたいです」
「それでいい。正しい心を持ち続けることが重要だ」
その夜、ライナスは一人で考えていた。
(院長は僕の能力を知っているかもしれないが、それでも守ってくれた……)
『魔法理論解析』のスキルを完全に隠し通すのは困難だと分かった。しかし、味方もいるということも理解できた。
翌日、思わぬ人物がライナスに話しかけてきた。
「君がライナス君だね」
振り返ると、見知らぬ上級生が立っていた。
「はい……どちら様でしょうか?」
「僕はセバスチャン・アルカディア。4年生だ」
セバスチャンは品のある青年で、貴族の出身のようだった。
「よろしくお願いします」
「君の魔法、とても素晴らしいと聞いているよ」
「ありがとうございます」
「実は、君に頼みたいことがあるんだ」
「頼み……?」
「学院祭で魔法の演技を披露してもらえないだろうか」
「学院祭……?」
「年に一度開催される大きなイベントだ」
セバスチャンが説明する。
「各学年の代表が魔法の演技を披露するんだ」
「僕なんかで大丈夫でしょうか……」
「君の複合魔法は見る人を魅了するはずだ」
セバスチャンの提案に、ライナスは迷った。
「少し考えさせてください」
「もちろんだ。返事は一週間後で構わない」
セバスチャンが去った後、マーカスが話しかけてきた。
「セバスチャン先輩と話してたね」
「はい。学院祭の件で……」
「学院祭の演技? それはすごいチャンスだよ」
「そうなんですか?」
「学院祭には王族や貴族、他国の使節団も来るんだ」
マーカスが興奮して説明する。
「そこで演技すれば、一気に有名になれる」
「有名になる……」
ライナスは複雑な気持ちだった。有名になりすぎるのは危険かもしれない。
その日の午後、実技の授業で再びロバートと対峙することになった。
「よお、田舎者」
ロバートが嫌味たっぷりに声をかけてくる。
「昨日は教授たちに疑われてたらしいじゃないか」
「……」
「やっぱり怪しい奴だと思ってたんだ」
ロバートが続ける。
「今度こそ正体がバレるかと思ったが、残念だったな」
(こいつ、僕に何か秘密があることを知っているのか……?)
「でも諦めないからな。いつか必ず化けの皮を剥がしてやる」
ロバートの敵意は明確だった。
授業中、またも妨害魔法をかけられたが、今度はライナスも準備していた。
アルベルトからもらった魔法記録器で、しっかりと証拠を記録する。
授業後、その証拠を持ってアルベルトの研究室に向かった。
「やはり妨害されましたね」
「ああ。しかも今度はより悪質だ」
アルベルトが記録を分析する。
「この妨害魔法は、下手をすれば重傷を負う可能性があった」
「そんなに危険だったんですか……」
「そうだ。これは院長に報告しなければならない」
すぐに院長室に向かい、証拠を提出した。
「これは……確かに悪質な妨害魔法ですね」
院長が記録を確認する。
「発信源は特定できますか?」
「はい。ロバート・フォンクリフという3年生です」
「ロバート君か……」
院長が深いため息をつく。
「彼の家は有力な貴族です。処分には慎重にならざるを得ません」
「しかし、このままでは危険です」
アルベルトが主張する。
「次はもっと深刻な事故が起きるかもしれません」
「分かりました。適切に対処いたします」
翌日、ロバートは院長室に呼び出された。
その後、彼は一週間の停学処分を受けることになった。
「やったね、ライナス」
マーカスが喜んでいる。
「これでしばらくは安心だ」
「そうですね……」
しかし、ライナスは完全に安心することはできなかった。ロバートの背後には、有力な貴族がいる。彼らがどのような反応を示すか分からない。
その不安は、すぐに現実となった。
「ライナス君」
昼食後、見知らぬ男性が声をかけてきた。
「どちら様でしょうか?」
「私はフォンクリフ家の執事です」
(ロバートの家の関係者……!)
「ご主人がお話ししたいとおっしゃっています」
「でも、僕は……」
「安心してください。学院内での面会です」
執事の丁寧な態度とは裏腹に、断れない雰囲気があった。
応接室に通されると、威厳のある中年男性が待っていた。
「初めまして、ライナス君」
「はじめまして……」
「私はフォンクリフ侯爵だ。ロバートの父親です」
(侯爵……! そんな高い身分の人が……)
「息子がご迷惑をおかけしたようですね」
侯爵は丁寧に謝罪した。
「いえ、そんな……」
「しかし」
侯爵の表情が変わった。
「息子の話では、君には何か隠していることがあるようですね」
「隠していること……?」
「平民の子供が、あれほどの魔法技術を身につけるのは不自然です」
侯爵の視線が鋭くなる。
「何か特殊な力を持っているのではありませんか?」
「そんなことは……」
「もし君が危険な存在なら、学院の安全のために対処しなければなりません」
侯爵の言葉には明確な脅しが込められていた。
「僕は危険な存在ではありません」
「それはどうでしょうか」
侯爵が立ち上がる。
「今回は息子が処分を受けました。しかし、次に何か問題があれば……」
「分かってください。私たち貴族には、王国を守る責任があります」
「……」
「怪しい存在は、早めに排除するのが賢明です」
侯爵の脅しは明確だった。
面会が終わった後、ライナスは震えが止まらなかった。
(侯爵家から狙われている……これは本当に危険だ……)
急いでアルベルトの研究室に向かった。
「侯爵が直接脅しに来たのか……」
事情を聞いたアルベルトも深刻な表情を見せた。
「これは予想以上に深刻だ」
「どうしたらいいでしょうか……」
「まず、院長に報告する必要がある」
「でも、相手は侯爵です。院長でも……」
「マクシミリアン院長は、君が思っている以上に権力を持っている」
アルベルトが続ける。
「それに、王立魔法学院の自治権は絶対だ」
「自治権……?」
「そうだ。学院内での生徒の安全は、院長の責任範囲だ」
すぐに院長室に向かい、侯爵との面会について報告した。
「フォンクリフ侯爵が直接脅しを……」
院長の表情が厳しくなった。
「それは看過できませんね」
「院長、僕はどうしたら……」
「安心してください、ライナス君」
院長が優しく微笑む。
「君は王立魔法学院の生徒です。私が必ず守ります」
「ありがとうございます」
「それに、君の才能は王国の貴重な財産です」
院長が続ける。
「個人的な感情で才能を潰すことは許しません」
その日の夜、ライナスは寮の部屋で一人考えていた。
(院長は守ってくれると言ったけれど、相手は有力な貴族だ……)
本当に大丈夫なのだろうか。
そんな時、窓の外に小さな光が見えた。
(何だろう……?)
光は規則的に点滅している。まるで何かの信号のようだった。
ライナスは窓を開けて外を見てみた。
すると、中庭にアルベルトの姿が見えた。彼が光の魔法で信号を送っているのだ。
急いで中庭に向かうと、アルベルトが深刻な表情で待っていた。
「アルベルトさん、どうしたんですか?」
「緊急事態だ」
「緊急事態……?」
「フォンクリフ侯爵が、他の貴族と結託して君を学院から追い出そうとしている」
ライナスは愕然とした。
「そんな……」
「今夜にも動きがあるかもしれない」
「どうしたらいいんでしょうか……」
「とりあえず、今夜は私の研究室で過ごそう」
「はい」
アルベルトの研究室に向かう途中、ライナスは自分の置かれた状況の深刻さを改めて実感していた。
転生者としての秘密、『魔法理論解析』のスキル、そして貴族たちからの敵視……
すべてが複雑に絡み合い、彼を追い詰めていく。
(でも、諦めるわけにはいかない)
ライナスは決意を固めた。
この困難を乗り越えて、必ず強くなってみせる。
それが、自分を信頼してくれる人たちへの恩返しでもあった。
王立魔法学院での試練は、まだ始まったばかりだった……