アルベルトの研究室で一夜を過ごした翌朝、ライナスは複雑な気持ちで目を覚ました。
「おはよう、ライナス君」
「おはようございます、アルベルトさん」
「昨夜はよく眠れたかい?」
「はい……でも、これからどうなるのか心配で……」
アルベルトが優しく微笑む。
「心配しすぎることはない。院長も君を守ると約束してくれたじゃないか」
「そうですが、相手は侯爵です……」
「確かに強敵だが、君には味方もいる」
その時、研究室のドアがノックされた。
「どなたですか?」
「私だ、マクシミリアンだ」
院長の声に、二人は驚いた。
「院長、おはようございます」
扉を開けると、院長が一人で立っていた。
「昨夜はここで過ごしたのですね」
「はい……心配で……」
「賢明な判断でした」
院長が研究室に入ってくる。
「実は、昨夜フォンクリフ侯爵から正式な苦情が届きました」
「苦情……?」
「ライナス君を学院から除籍するよう求める内容です」
ライナスの顔が青ざめた。
「しかし、私は断固として拒否しました」
「院長……」
「王立魔法学院は王直轄の機関です。一貴族の意見で生徒を除籍することはありません」
院長の力強い言葉に、ライナスは安堵した。
「ただし」
院長の表情が少し曇る。
「侯爵は諦めないでしょう。別の手段を講じてくる可能性があります」
「別の手段……?」
「政治的な圧力、他の貴族との連携、場合によっては王宮への働きかけも……」
アルベルトが深刻な表情になる。
「それは厄介ですね」
「ええ。しかし、私にも考えがあります」
院長が微笑む。
「来月の学院祭で、ライナス君に特別な演技をしてもらいたいのです」
「特別な演技……?」
「王族や各国の使節団の前で、君の才能を披露するのです」
院長の提案に、ライナスは戸惑った。
「でも、それは目立ちすぎませんか……?」
「逆です」
院長が説明を続ける。
「君の才能を公に認めてもらえば、個人的な攻撃から守ることができます」
「どういうことでしょうか?」
「王族や外国の使節団が君の才能を認めれば、一貴族が勝手に排除することはできなくなります」
アルベルトが頷く。
「なるほど、政治的な保護ですね」
「その通りです」
院長が続ける。
「ライナス君、どうでしょうか?」
ライナスは考え込んだ。確かに、公的な保護を得られれば安全になるかもしれない。
「やってみます」
「素晴らしい」
院長が満足そうに微笑む。
「それでは、セバスチャン君と相談して演技内容を決めてください」
「セバスチャン先輩……?」
「彼が学院祭の責任者です」
朝食後、ライナスはセバスチャンを探した。
「ライナス君、昨日の件はどう考えましたか?」
「はい、ぜひお願いします」
「それは素晴らしい」
セバスチャンが喜ぶ。
「実は、院長からも特別な依頼を受けているんです」
「特別な依頼……?」
「君には、メインイベントで演技をしてもらいたいのです」
「メインイベント……」
ライナスは緊張した。
「王族の方々も観覧される、最も重要な演技です」
「僕にそんな大役が務まるでしょうか……」
「大丈夫です」
セバスチャンが励ます。
「君の複合魔法は、きっと多くの人を魅了するでしょう」
「どのような演技をすればいいんでしょうか?」
「それを今から相談しましょう」
セバスチャンの案内で、学院祭の準備室に向かった。
そこには既に数名の上級生が集まっていた。
「みなさん、新しいメインパフォーマーを紹介します」
セバスチャンがライナスを紹介する。
「1年生のライナス君です」
「1年生……?」
「本当に大丈夫なの?」
上級生たちが心配そうに見つめる。
「安心してください」
セバスチャンが続ける。
「彼の魔法を見れば、きっと納得していただけます」
「それでは、実際に見せてもらいましょうか」
準備室の一角で、ライナスは複合魔法を披露した。
火と風を組み合わせた炎が、美しい螺旋を描いて空中に舞う。
「おお……」
上級生たちから感嘆の声が上がった。
「確かにこれは素晴らしい」
「制御も完璧だし、視覚的にも美しい」
「これならメインイベントにふさわしいわね」
上級生たちの反応に、ライナスは安心した。
「それでは、演技内容を具体的に決めましょう」
セバスチャンが提案する。
「どのような内容がいいでしょうか?」
「物語性のある演技はどうでしょう?」
一人の上級生が提案する。
「例えば、古代の魔法使いの伝説を再現するとか……」
「それは面白いですね」
「ライナス君、どう思いますか?」
「やってみたいです」
「それでは、『火の精霊と風の精霊の出会い』という物語はどうでしょう?」
セバスチャンが詳しく説明する。
「火の精霊と風の精霊が出会い、協力して美しい現象を作り出すという内容です」
「それは素敵ですね」
「君の複合魔法にぴったりの演出です」
こうして、学院祭での演技内容が決まった。
その後の数週間、ライナスは演技の練習に励んだ。
「もう少し炎の動きを滑らかにしてみてください」
「風の流れをもっと繊細に……」
上級生たちの指導を受けながら、演技の完成度を高めていく。
練習は順調に進んでいたが、ある日問題が発生した。
「ライナス君、ちょっと来てもらえますか?」
エレナ教授が深刻な表情で現れた。
「はい」
「君の学院祭での演技について、クレームが来ています」
「クレーム……?」
「一部の保護者から、『1年生には荷が重すぎる』という意見が寄せられました」
ライナスは落胆した。
「やはり僕では無理なんでしょうか……」
「いえ、そんなことはありません」
エレナ教授が首を振る。
「これは明らかに政治的な圧力です」
「政治的な……」
「フォンクリフ侯爵の影響と思われます」
(やはり侯爵が妨害工作を……)
「どうなるんでしょうか?」
「院長と相談中です。結論が出るまで、練習は続けてください」
その夜、アルベルトの研究室で相談した。
「やはり侯爵の仕業ですね」
「ええ。彼は諦めていません」
アルベルトが苦い表情を見せる。
「しかし、院長も対策を考えているはずです」
「でも、もし演技が中止になったら……」
「その時はその時です」
アルベルトが励ます。
「君にはまだ多くの機会があります」
翌日、院長から呼び出しがあった。
「ライナス君、残念ながら一部で反対意見が出ています」
「はい……」
「しかし、私には解決策があります」
「解決策……?」
「審査会を開くのです」
院長が説明する。
「君の実力を客観的に評価し、メインイベントにふさわしいかどうか判定します」
「審査会……」
「審査員は各学年の代表教授、そして外部から招いた専門家です」
「分かりました」
「これで文句は言わせません」
院長が力強く言う。
「君の実力を正当に評価してもらいましょう」
審査会の日が来た。
大きな講堂に、10名ほどの審査員が座っている。
「それでは、ライナス君の演技審査を開始します」
司会の教授が宣言する。
「課題は『創造性』『技術力』『表現力』の三つの観点から評価されます」
ライナスは舞台の中央に立った。
観客席には、セバスチャンやマーカス、そして他の学生たちが見守っている。
(緊張するけれど、これまでの練習の成果を出そう)
ライナスは深呼吸をして、演技を開始した。
まず、手のひらに小さな火の精霊を作り出す。炎が可愛らしく踊りながら空中を移動する。
次に、もう一方の手で風の精霊を作り出す。透明な風の流れが、目に見える形で現れる。
「おお……」
審査員から小さな感嘆の声が聞こえる。
二つの精霊が空中で出会い、螺旋を描きながら舞い踊る。
火と風が混じり合い、美しい炎の竜巻が形成される。
「素晴らしい……」
「制御が完璧だ……」
審査員たちが驚きの声を上げる。
クライマックスでは、炎の竜巻が空中で花のように開き、無数の小さな火の粒が舞い散る。
最後に、すべての炎が一点に集まり、美しい光となって消えていく。
「……」
講堂は静寂に包まれた。
そして、大きな拍手が響いた。
「素晴らしい演技でした」
審査員の代表が立ち上がる。
「技術力、創造性、表現力、すべてにおいて申し分ありません」
「全員一致で、メインイベントにふさわしいと判定いたします」
ライナスは安堵の涙を流した。
「やったね、ライナス!」
マーカスが駆け寄ってくる。
「本当に素晴らしかった」
セバスチャンも感動している。
「これで堂々とメインイベントに出演できます」
審査会の結果は学院中に広まり、反対意見も完全に沈静化した。
その夜、アルベルトの研究室で祝杯を上げた。
「お疲れさまでした、ライナス君」
「ありがとうございます」
「君の演技は本当に見事だった」
「まだまだ改善の余地があります」
「その向上心が君の強さですね」
アルベルトが微笑む。
「学院祭当日まで、さらに練習を重ねましょう」
翌日から、演技の最終調整に入った。
「炎の色をもう少し変化させてみては?」
「風の流れにもメロディーを感じられるように……」
上級生たちからの細かいアドバイスを受けながら、演技をより完璧なものにしていく。
練習中、思わぬ来訪者があった。
「失礼します」
入ってきたのは、見知らぬ青年だった。
「どちら様ですか?」
セバスチャンが尋ねる。
「私はフェリックス・フォン・エーデルワイス。隣国の魔法学院から視察に来ました」
「隣国の……」
「学院祭の準備を見学させていただいています」
フェリックスはライナスの演技を見て、明らかに驚いていた。
「これは……驚異的な技術ですね」
「ありがとうございます」
「失礼ですが、おいくつですか?」
「7歳です」
「7歳で……信じられません」
フェリックスが感嘆する。
「我が国の魔法学院でも、これほどの技術を持つ学生は稀です」
「そんなことは……」
「いえ、本当です」
フェリックスが真剣な表情になる。
「もしよろしければ、我が国でも演技をしていただけませんか?」
「え……」
突然の申し出に、ライナスは戸惑った。
「国際交流の一環として、ぜひ検討していただきたいのです」
「それは……」
「今すぐお返事は結構です。学院祭の後にでも、正式にお話しさせていただければ」
フェリックスが丁寧に頭を下げる。
「君のような才能ある若者との交流は、両国にとって有益だと思います」
視察が終わった後、セバスチャンが興奮していた。
「すごいじゃないか、ライナス」
「すごいって……」
「隣国からお呼びがかかるなんて、前代未聞だよ」
「でも、僕はまだ子供ですし……」
「才能に年齢は関係ない」
セバスチャンが力強く言う。
「君はもう国際的に注目される存在になったんだ」
その夜、ライナスは一人で考えていた。
(隣国からの招待……これは予想していなかった)
前世では海外旅行すらしたことがなかった。それが今、魔法使いとして他国から招待されている。
(でも、あまり目立ちすぎるのも危険かもしれない)
転生者としての秘密や、『魔法理論解析』のスキルのことを考えると、慎重になるべきだろう。
学院祭まで残り一週間となった。
演技の完成度は既に十分なレベルに達していたが、ライナスはさらなる向上を目指していた。
「もう少し炎の温度を上げてみてはどうでしょう?」
「でも、安全性を考えると……」
「魔法記録器で数値を確認しながらやれば大丈夫です」
(そうだ、『魔法理論解析』を使えば、より精密な調整ができる)
ライナスは人気のない場所で、密かにスキルを使って演技を分析した。
【複合魔法効率:89%】
【炎温度:1247度】
【風速:時速67キロメートル】
【安全係数:94%】
(まだ改善の余地がありそうだ)
細かい調整を重ねることで、効率を92%まで向上させることができた。
「最近、ますます上達してるね」
マーカスが感心する。
「何か秘訣があるの?」
「えっと……ただ練習を重ねただけです」
ライナスは曖昧に答えた。
「君の努力には本当に頭が下がるよ」
学院祭前日、最後のリハーサルが行われた。
会場となる大講堂には、既に豪華な装飾が施されている。
「明日はいよいよ本番ですね」
セバスチャンが緊張した表情を見せる。
「王族の方々もいらっしゃいます」
「大丈夫です」
ライナスは意外にも冷静だった。
「これまでの練習の成果を出すだけです」
「その調子です」
リハーサルは完璧に進んだ。
照明や音響との連携も問題なく、観客席から大きな拍手をもらった。
「明日も、この調子で頑張りましょう」
セバスチャンが励ます。
「はい」
その夜、ライナスは両親に手紙を書いた。
『お父さん、お母さん、元気ですか?
僕は王立魔法学院で充実した日々を送っています。
明日は学院祭で、僕が魔法の演技をすることになりました。
王様もいらっしゃる大切な行事です。
きっと村のみんなにも誇らしく思ってもらえるような演技をします。
いつか必ず村に帰って、みんなに成長した姿を見せますね。
体に気をつけて、お元気で。
ライナス』
手紙を書きながら、ライナスは故郷への想いを新たにした。
(明日は、村のみんなのためにも頑張ろう)
学院祭当日の朝が来た。
ライナスは早起きして、入念に準備を整えた。
「今日がついに本番だ……」
鏡を見ながら、深呼吸をする。
(これまでの練習の成果を、すべて出し切ろう)
朝食を済ませ、会場に向かう途中で院長に出会った。
「おはよう、ライナス君」
「おはようございます、院長」
「今日は大事な日ですね」
「はい、頑張ります」
「君なら大丈夫です」
院長が優しく微笑む。
「自分を信じて、思い切りやってください」
会場では既に最終準備が進んでいる。
「ライナス、調子はどう?」
セバスチャンが駆け寄ってくる。
「万全です」
「それでは、開演まで控室で待機しましょう」
控室では、他の出演者たちも緊張した様子でいた。
「君がメインパフォーマーね」
上級生の女子学生が話しかけてくる。
「はい、よろしくお願いします」
「私たちも頑張るから、君も頑張ってね」
学院祭が始まり、会場は多くの観客で埋まった。
王族席には、確かに王族の方々が座っている。
各国の使節団、貴族、一般市民……様々な人々が集まっていた。
「いよいよですね」
セバスチャンが最後の確認をする。
「演技時間は15分、照明や音響との合図は……」
「大丈夫です」
ライナスは落ち着いていた。
「それでは、頑張ってください」
ついに、ライナスの出番が来た。
「それでは、本日のメインイベントです」
司会者の声が会場に響く。
「王立魔法学院1年生、ライナス君による『火の精霊と風の精霊の出会い』をお送りします」
大きな拍手の中、ライナスは舞台の中央に立った。
会場の観客席を見渡すと、無数の期待に満ちた視線が自分に向けられている。
(みんなの期待に応えよう)
ライナスは深呼吸をして、これまでで最高の演技を始める準備を整えた。
王立魔法学院での新たな試練と成長の物語は、まさにクライマックスを迎えようとしていた……