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第1話「俺は難しい話なんかよく分からない」

その日も、大学から帰って一人で夕飯の支度を進める。

ふと顔を上げると、時計の針はすでに18時を回っていた。

俺は兄を呼ぶために、裏口から店へと足を踏み入れる。


カランカランという来客を告げる音もすっかり止み、店内にはアンティーク特有のきしむような音だけがじわじわと存在感を増している。

不気味さと不思議さが入り混じり、昼間とは比べものにならないほどの異世界感が漂っていた。


暗くなった店内で、古びた雑貨たちだけが静かに賑わい続ける光景を見るたびに

「ここは人間が長居していい場所じゃないな」

──そう思ってしまう。


そんな空気の中、レジで黙々と閉店作業をしている兄に向かって、俺はできるだけ陽気な声で言葉をかけた。


「兄ちゃん、もうそろそろご飯できるよ」


兄は俺と目が合うと、ニコッと優しく笑い、「わかった」とひと言。


店内に誰もいないことを確認したあとは、作業の邪魔になるので仮面を外す。

色素の薄い髪とアンニュイな表情の兄に対し、俺は黒髪で、どちらかといえば活発な印象を持たれることが多い。


草木のように静かに微笑む兄と、太陽のようにニカッと笑う弟。

対照的な二人だが、俺たちは一卵性の双子だ。


確かに、顔はよく似ている。

もし俺が兄ちゃんと同じ髪色にして仮面をつけたら、たぶん大抵の人は区別がつかないと思う。

小さい頃なんかは、それをいいことに、よく二人で入れ替わってはイタズラしていた。


そんな幼い日の記憶がよぎり、ふっと口元がゆるむ。

俺は近くの棚に並んだオルゴールの位置を整えながら、あの頃と変わらぬ兄の背中を眺めた。


「あと3分くらいで終わるから、双は先に行ってて」

「いいよ、俺も手伝う」


双とはお察しの通り俺の名前だ。

双子なのに「双」と書くので、漢字にするとどうにもややこしい。

だが、割とこの名前は気に入っているのである。

兄は手元を動かし続けながらも、柔らかい声を店内に響かせた。


「今日の売上記録つけて、戸締りチェックしたら終わりだから大丈夫だよ。……てか、大学の課題は終わったのか?」


「うん、もう終わってるよ。今回のは簡単だったし」


「そうか、偉いな」


「へへっ、まぁね」


兄に素直に褒められるたび、俺はいつだってくすぐったいような笑顔を浮かべてしまう。

いくつになっても、褒めてくれる人がいるのは嬉しい。

そんな無防備な顔を見せられるのは、この人だけかもしれない。


結局、俺が強引に押し切る形で戸締まりの確認をしたあと、並んで食卓へと向かった。


俺たちの家は、この店のすぐ裏手にある。

二人で住むにはちょうどいい、小さな一軒家だ。

立派とは言いがたいが、台風が来ると少し心配になる程度で、特に不自由はしていない。

兄は「もっと立派な家に住まわせてやりたい」と言っているが、むしろ子どもの頃に夢見た秘密基地みたいで、名前同様に案外気に入っているのだ。


呼びに行く前に火を止めておいたみそ汁に、最後の仕上げで豆腐を加える。

手のひらの上をまな板代わりにして豆腐を切るのも、今ではすっかり慣れた。


隣で兄がフライパンの上にある目玉焼きをハンバーグ上に乗せようとした、その瞬間。

思わず俺は「あっ」と声を漏らした。

この一言で彼はすぐに察して、ぴたっと手を止める。


「ああ、今日はハンバーグに乗せずに単品で目玉焼き食べたいのか」


俺も力強く頷くと、後ろの食器棚から新しい皿を持ってきて別に分けてくれた。


双子ならではの以心伝心。こういう小さな気配りが、たまらなく嬉しい。

「ありがとう」と伝えると、心の奥にじんわりと広がる安心感に気付く。


ここには、両親の姿もなければ、他に誰かが入り込む余地もない。

血を分け合い、心を通わせた二人だけの静かな空間。

他の人には想像もつかないような、かけがえのない場所。


決して2人以外、足を踏み入れることは許されない。


今日もそのことに感謝をしながら、味噌汁を二つの椀に分け、そっとテーブルへと運んだ。


ようやく全ての料理がテーブルに並び、向かい合って座った俺たちは、同時に手を揃える。


「「いただきます」」


まるで小学校の給食時間を思い出すかのように、その声はぴたりと重なった。あまりに自然で、息が合いすぎていて、思わず笑ってしまいそうになる。


兄はハンバーグに箸を入れ、綺麗に口元へと運ぶ。ごくんと喉を鳴らしたあと、まるで今日学校であった出来事を話すかのような、なんでもない日常のトーンで口を開いた。


「あっ。そういえば、この間のターゲットの除去物。……取引先、決まったよ」


「ターゲット」「除去物」──


普通の家庭なら、絶対に聞こえてこないような単語だ。

……普通の家なら、ね。


俺も特に驚くこともなく、同じくハンバーグを口に放り込みながら、いつもの調子で軽く返す。


「おっ、マジ? 確か前回は“両目”だったよね。

あー……ってことは、なんだろうな。より人間らしいロボットにするために、本物の目を入れたくなった研究者……とか?」


「ふふっ、双は相変わらず想像力豊かですごいね」


「あれ、もしかして俺バカにされてる?」


「まさか。最上級の誉め言葉だよ」


この会話は、あくまで“前回の仕事”の延長線だ。


俺たちはいつも通り、くだらない話をしながらハンバーグを頬張っていた。

傍から見れば、ただの仲良し兄弟にしか見えないだろう。

──いや、むしろ“仲良すぎる”って思われるかもしれない。


大学生の俺と、雑貨屋を営む兄。

誰が見ても、平和な兄弟の生活。


──ただし、それは表の顔。


俺たちの裏の顔は、『復讐実行人』。

あまり耳慣れない言葉だろう。だが、そのまんまの意味。

“復讐を実行する”──それだけの存在だ。


もちろん、警察でもなければ探偵でもない。

完全なる私情で、完全なる自己責任のもとに動いている。

だからこそ、バレれば即アウト。

バレた瞬間にすべて終わる。


そうならないよう、あらゆる試行錯誤を繰り返し、1日でも長く、バレずに、静かに、冷酷に。

できるだけ多くの「報いを受けるべき奴ら」を、“いつもの方法”で裁いていく。


そして、前回のターゲットは、その方法で両目をくり抜いた。

つまりさっきの話は、その「目玉」の売却先が決まったという報告だ。


俺はクイズに正解できなかった若干の悔しさから、思わず刺し箸をしそうになった、その瞬間。

鋭い視線を感じ、顔を上げる。


すると、兄がキッとハイライトのない目で俺を睨んでいた。


「……はいはい、わかってます」


そう言って慌てて箸を正す。

兄はこういう礼儀や作法には、やたらと厳しい。

一度、ごほん、とわざとらしく咳払いをして場をリセットする。


そして、「早く答え言ってよ」という顔をして兄を見る。

言葉はいらない。俺たちの間では、これだけで十分だ。


「今回の買取先は、とある医大生」


「医大生?」


「なんでも、義眼を作る研究に使いたいんだってさ」


「へえ。でも義眼って、本物の目玉を使うわけじゃないんでしょ?

それに、入れたからって目が見えるようになるわけでもないし」


「その通り。あくまで外見を損なわないようにするのが主な目的。

まあ、あとは眼球を失った後の瞼や骨格の変形を防ぐ効果もあるかな」


そう言いながら、兄は箸で目玉焼きを潰して、綺麗にハンバーグと絡める。

もしもこの部屋の音がすべて消えたら、今この瞬間だけを切り取って見れば、誰もが「優雅な夕食のひととき」だと思い込むだろう。


あまりに飄々と、冷静に語る兄の姿に、俺も思わず背筋を正して茶碗を持ち直した。


「で、何でその医大生は“本物の目玉”が必要だったわけ?実験するにしても、他の方法何て沢山あると思うんだけど。

それに、俺らから買ったってことは、それなりの値段だったと思うし」


「まぁ正確に言えば、“生きた人間”の目玉が欲しかったらしいよ。少なからず正規ルートでは手に入らないものだろうからね。」


何となく分かるような、ハッキリとは分からないような靄のかかった脳内状態。ただ、「正規ルートでは手に入らないもの」という最後の一文だけが辛うじて理解できる内容だったので、それを何度も反芻させる。


その様子をみて、「フレーメン反応した猫みたい」と少し笑った後、兄は答え合わせをする先生の様に優しく丁寧に言葉を続けた。


「人間の義眼を作る訳だから、同じく人間の目玉が一番正解に近いってこと。馬の目玉も豚の目玉も、あくまで参考に過ぎない。

例えば、双が俺が作ったこのハンバーグの味を再現したいとするでしょ。そしたら、俺の作るところを見たり、レシピ聞いた方が一番近づけるよね?」

「うん、それはそう」

「でも、もしもそれが出来なかったとしたら……。他の方法をいくら試しても、結局は遠回りになってしまう。今回の話は、一番最短で最適解を出すために選んだって言うことだと思うよ」

「それって、死人の目じゃだめなの?」

「うーん、どうかな。近づきはするかもしれないけど、瞳孔が開いていたりやっぱり厳密には違うんだと思う。俺もそこまで詳しいことは分からないけれど、あくまで“生きた人間”の目玉というサンプルが欲しかったんじゃないかな」


先ほどまでクエスチョンだらけだった頭が、段々と整理されていく。

兄はこういうのがパッと出てくるのだから、頭の回転が速いのだろう。

更に尊敬の眼差しを強めた所で、この話を聞いた時からずっと疑問に思っていた一番大きなクエスチョンを投げかけた。


「だけどさ、『義眼を作りたいから本物の目玉を買い取りました』何て、度が過ぎてるっていうか、よっぽど作りたい理由があるんだろうね」


「まぁ、そうだね。あくまで仲介人から聞いた話だけど、彼は色々と学んでいた時に、ふとこう思ったそうだよ。『義手や義足は本物の様にとはいかずとも、動かすことが出来る。だけど、義眼は見た目だけで実質その目で見ることは出来ない。それがどうにも納得がいかない。義眼でも、本当に目が見られるようになったら良いのに』って」


「へーえ。俺たちと取引して手に入れることが世間一般では褒められたことはどうかは知らないけど、少なからず俺は応援したいな」


顔も知らない、どこかの医大生。

その胸の内に、指先がそっと触れたような気がした。

立場も、年齢も、まるで違う。


でも彼の抱いたその想いは、どうしようもなく真っ直ぐで、どこか美しいものに思えた。


「倫理観がどうだ」とか、「人として間違っている」とか、そんな言葉を並べる奴らは、きっと掃いて捨てるほどいるだろう。


だけど、そんなのはどうだっていい。俺は難しい話なんかよく分からない。


そもそも、人はみんな別々の人間で、俺たち双子みたいに、何も言わずに分かり合えるなんて方が珍しい。


考え方に違いがあるのは、当たり前のことだ。


でも、それでも──


「義眼で、本当に目が見えたらいいのに」


その、たった一つの願いには、強く、深く、頷けた。


だから。


あの目玉の行き先が、その人で良かった。心から、そう思える。


ほんの少しでも、その目標に近づけるのなら。


ほんの少しでも──“誰かの無念”が、新しい意味を持つのなら。

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