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第二話 愛の告白

「ごめんね。手伝ってほしいことがある……っていうのは、ウソなんだ」


 謝罪に反して恵美香の表情は柔らかく、悪びれた雰囲気は感じられない。


「ほんとうは、小峰君に聞いてほしいことがあったの」


 春人は密かに身構えた。

 よくないことを言われるに違いない、と彼は考えたからだ。

 それは春人が《ミューテイション》だからこそ思い浮かんだ懸念である。

 すると恵美香はゆっくりと身体を折り曲げ、辞儀の姿勢を取って言った。


「私、秋野恵美香は小峰春人君のことが好きです。私と付き合ってください」


 静かな教室の中に恵美香の言葉が残留する。

 春人は完全に虚をつかれた顔になり、呆然と恵美香を見つめた。

 ――告白をされた。

 それを理解してなお、春人は現実味を得られず困惑してしまう。

 動揺よりも先に、疑問がわいた。


「えぇと、僕? 同姓同名の間違いじゃなくて?」

「きみだよ、きみ。間違いなく――右手の黒い、小峰春人君」


 身体を起こした恵美香はニコリと笑い、春人の目をまっすぐに見る。


「ミューテイションのあなたが好き」


 春人はますます困惑した。

 告白をされたという現実味は、まだわいてこない。

 胸中で膨らむ疑問が興奮を押し退け、告白をされた理由を探す。

 そして、その疑問は自然と春人の口からこぼれ落ちた。


「ミューテイションを好きになる理由がわからない」

「なぜ? ミューテイションを好きになってはいけない理由もわからないよ」

「それは、だって……」


 モゴモゴと口の中で言葉を濁す春人。

 彼の煮え切らない態度を見た恵美香は、顎に手を当ててすこし考える素振りを見せると、


「私、小峰君の顔が好みなんだよね!」


 溌剌とした声で言い切った。


「格好いいわけではないけど、バランスも悪くないその素朴な造形。けっこう好きなの」

「褒めているの? 貶しているの?」

「褒めているんだよ!」


 恵美香はコテンと小首を傾げ、春人の顔を覗き込む。

 間近に近づいた恵美香の愛らしい顔。

 さすがに春人も突然の接近に動揺し、今度こそ胸を高鳴らせた。

 慌てて春人は一歩下がり、恵美香から距離を取る。


「ごめん。僕は誰かと付き合うつもりはないんだ」


 そしてすぐに、恵美香の告白を断った。

 彼女に好意を持たれていること自体に悪い気がしないのは事実だ。

 けれど、春人の中では喜びよりも困惑、不安の方が勝った。

 それらはすべて、春人自身が《ミューテイション》であるという引け目から来る感情であった。


「ふーん。そっか……」


 はたして恵美香は落ち込む様子を見せなかった。

 まるで、初めから断られることを知っていたかのような反応だった。


「じゃあ、友達から始めよう!」


 再び恵美香は溌剌と宣言し、ポカンとする春人に右手を差し出した。


「よろしくね、小峰君!」


 春人は戸惑いの視線を恵美香の手に向ける。

 彼はズボンのポケットから右手を出さなかった。

 その春人の態度に恵美香はハッとした表情を浮かべ、すぐさま右手を引っ込める。


「握手はイヤだった?」

「イヤというか……あまり右手で人に触りたくないんだ」


 俯きがちに春人は告げる。

 真っ黒な右手。ミューテイションの証。

 そのようなものを人目に晒したり、まして誰かと接触することに春人は使いたくなかったのだ。

 春人は気まずさを抱いて恵美香から視線を逸らす。

 そのせいで彼は、恵美香の次の行動を察知できなかった。

 不意に、ふわりと甘いシャンプーの香りが春人の鼻孔を擽った。

 同時に春人は温もりに包まれた。

 なにが起きたのか、彼は理解できなかった。

 自身の背中に回された両手に力が込められ、豊満な胸の柔らかな感触が自身の胸元に広がったとき――彼は、恵美香に抱きしめられたことに気付いた。

 ドクン、と心臓がおおきく跳ねる。

 跳ねたなんてものではない。心臓が意志を持ち、胸骨を思いきり強く叩いたのではないかというほどの衝撃が、春人の胸中に走った。


「これからよろしくね、小峰君っ」


 恵美香の声と、吐息が、春人の耳を撫でる。

 春人がなにもできずに硬直している間に、恵美香は春人から身体を離した。

 そして彼女は、動かない春人を見て首を傾ける。


「もしかして……小峰君、照れている?」

「……照れないわけがないでしょ」


 春人は掠れた声を絞り出し、真っ赤に染まった顔を左手で擦った。


「秋野さん、そういうのはあまりよくないかと」

「友達としてハグをしただけだよ。友好の証。たぶん海外ではよくあること!」

「ここは日本だから、軽率なハグは控えてほしい」


 強い口調で春人が言うと、恵美香は嬉しそうに表情を綻ばせた。


「んふふ。小峰君も純粋な男子高校生だね。ちょっと安心した」


 彼女はそのように言うと春人の横を通り抜けた。


「それじゃあ、私は先に教室に帰るね」


 春人はなにも言えずに恵美香の姿を見送る。

 すると恵美香は教室を出る直前、春人の方を振り返った。


「早く小峰君も、私のことを好きになってね!」


 極上の笑みを浮かべて春人に手を降る恵美香。

 満開の花を連想させるその愛らしい笑顔を、春人は不覚にも『かわいい』と思ってしまった。

 恵美香は軽やかな足取りで教室から出ていく。

 その足音は、すぐに喧騒の中に呑まれて消えた。

 あとに取り残されたのは春人だけだ。

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