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第4話:そうよ。私はただの下賎な女


息ができない——

星野侑二に喉を締め上げられ、私は声を出すこともできなかった。ただ必死に目で訴える。

お願い、信じて……私は、あなたを誘惑なんてしてない。

けれど、その願いも虚しく、侑二の目には憎悪と嫌悪が渦巻いていた。


「もうその芝居は通用しない。お前の薄っぺらな“無垢”なんて、何度も見てきた。二度と騙されない。」

私は首を振る。

違う、本当に違うのに……!


そのとき、服の中に隠していた薬が、ぽろりと床へと落ちた。

薬を見た星野侑二が、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに冷酷な光を宿し、低く問いただした。

「……薬を取りに来た、だと?」

私は観念し、小さくうなずいた。


「……そうか。お前も、死ぬのは怖いんだな。」

その言葉とともに——

彼は私の身体を思い切り地面へと叩きつけた。


「ぐっ……!」

全身を貫く激痛。

骨が砕けたかのように、あちこちが軋み、痺れ、熱を持つ。

彼は無言でネクタイを解き、ベッドから降りる。


私はその姿が怖くて、身を小さく丸め、うつむいたまま息を殺す。

視線を合わせれば、また「演技だ」と罵られる——

彼の怒りを煽るのが怖かった。そんな私を見て、侑二は嘲るように鼻を鳴らす。

「生きたいなら……俺に一生懸命お願いでもしてみろ。」


身体がビクリと震える。

——懇願する?

それで命が助かるなら……でも、ほんとに彼が許してくれるの?

……だけど、懇願しなければ、今度こそ本当に死ぬ。

私は、生きなきゃいけない。


「……お願いです、星野社長。少しだけ、薬をください……」

震える声で、這い寄るように彼の足元に頭を垂れる。

——惨めな姿だった。

だが、生きるためには、これしかなかった。そんな私を見下ろす侑二の表情が、さらに険しくなる。


彼は私の顎を掴み、唇を歪めた。

「生きるためなら、ここまで下劣になれるのか。いや……お前は最初からそうだったんだな。生まれついての卑しさだ。」


私は涙を堪えながら答えた。

「……はい、社長の言うとおりです。私は、生まれつき……下劣なんです。」


そう……本当はわかっていた。

彼がずっと愛していたのは、あの小林ひるみ。

それでも私は、彼にしがみついた。

愛されたくて、全部を捧げた。

愚かで、恥ずかしくて、惨めで。私は——罪人で、そして、自ら望んで堕ちた女だった。


その言葉を聞いた侑二は、さらに顔を歪めて怒鳴った。

「薬を持って、とっとと消え失せろ!!」

「……はい。」

私は地面に手をつき、這うように薬を拾い、ベッドに置かれたパジャマを着る。

逃げるように扉へと向かう間、背後から何かが砕ける音が響いた。

「ガンッ!」


驚いて振り返ると、侑二が鏡に拳を叩きつけていた。

血を滴らせる拳。狂ったような目。

——まるで怒りに我を忘れた野獣のようだった。私と目が合ったその瞬間——

「さっさと消えろ!!!」

その声に、私は我に返り、全力でその場から逃げ出した。


―――

不運というのは、決して一つだけでは終わらない。

やっとのことで部屋を出た私は、廊下で小林夜江にばったり出くわした。

彼女の視線が、私の着ているパジャマに注がれた瞬間、怒りが爆発した。

「やっぱり……侑二を誘惑したんでしょ!!」

「……違うわ。」

私は疲れ切っていて、もう彼女に対して反論する気力すらなかった。


だが夜江は私のパジャマを乱暴に掴んだ。

「これは……私が侑二に買った服よ!! 見ればわかるでしょ、あんたが着る資格なんてない!!」

……なるほど、そういう関係か。

私は、ただ驚いた。

彼女が星野侑二にそんな“親密な贈り物”をしているとは——


「宮崎麻奈、あんたは昔からそう。いい家に生まれて、男にチヤホヤされて、それでも侑二には愛されなかった。今じゃただの犯罪者、侑二があんたなんか好きになるわけないでしょ!」

地面に突き飛ばされた私は、彼女を見上げながら呟いた。

(……小林ひるみも、昔、同じことを言ってた。)

『私が侑二の初恋なの。あの人が好きなのは私だけ。あなたがどれだけ頑張っても、無駄よ。』


立ち上がった私は、夜江の前に立ち、冷静に問いかける。

「……星野侑二のこと、好きなの?」

彼女は、躊躇うことなくうなずいた。

「そうよ。侑二は私のもの!」

「でも、私はまだ……彼の妻よ。」

「侑二は、いずれあなたと離婚する。絶対に。」

「そうかもしれない。……でも“今は”まだ、していない。」

その一言が、夜江の怒りに火をつけた。

だが私は、怯まない。

「君のような醜い性格で、星野家の女主人になれると思ってるの?」

その言葉を最後に、私は彼女のそばを離れた。


背後から突き刺さるような視線。

殺意が、空気を切り裂くほどだった。


——そして、物陰から楠井海が現れる。


「……あの女は、始末しないといけませんね。」

夜江は唇を噛みしめ、低く呟いた。

「今のうちに……誰にもバレずに、消してやるのよ。」

「地下室は人気もなく、主屋からも遠い。あそこなら、何が起きても誰も気づきません。」

「彼女の傷はすでに重症。あの程度の薬じゃ、どうせ長くはもたないわ。」

二人は、私を静かに殺す計画を立てていた——


―――

私は、地下室へ戻った。

長い距離を歩いた膝からは、またしても血がにじみ出ていた。

薬を塗り、壁にもたれかかる。

(……傷が癒えたら、必ず……両親の遺骨を取り戻して、この場所から逃げなきゃ)

その思いだけで、生き延びていた。


けれど、異変はすぐに現れた。

以前、刑務所で骨を折ったとき、粗悪な薬でも数週間で回復していた。

だが今、最高級の薬を使っているのに、傷は悪化し、発熱とめまいが止まらない。

……おかしい。


私は薬を取り出し、手のひらに少し出して匂いを嗅いだ。

「——匂いが違う……これ……毒だ……!」

私の目に、すべてがはっきりと映った。

星野侑二は、最初から——

私を殺すために、骨壺の話を餌にして星野邸へおびき寄せた。

凌辱し、踏みにじり、最後は薬で——静かに、確実に——殺すつもりだったのだ。


私は叫びたかった。

悔しくて、情けなくて、惨めで。でも——

まだ死にたくない!

這ってでも生き延びてみせる!


崩れそうな身体で、地下室を飛び出し、主屋へと向かった。

その姿を、ちょうど車から降りた星野侑二が、目にしてしまう。

私の前に、彼の足が止まった。

全身が泥と血にまみれ、髪は濡れそぼり、顔に貼りついていた。

——まるで地獄から這い上がってきた亡霊のようだった。

彼の目が揺れた。その視線が、私に釘付けになる。


私は、真っ赤に染まった目で、彼を見上げて叫んだ。

「——星野侑二!

来世があるなら……私は絶対に、あなたなんかを愛したりしない!!」


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