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第7話:賭けに勝った


星野侑二は私を浴槽に押し付け、目を血走らせながら言った。

「ようやく認めたな!」

私は唇を吊り上げて、憎たらしく笑ってみせた。

「ほんとに気になるんだけど、私が認めたことで一番辛いのは何?ひるみを殺したってこと?それとも、私が浮気したこと?」

「黙れっ!」星野侑二は怒りで声を荒らげた。

「そんなに焦ってどうするの?私はただ、知りたいだけ。

だって、あなたってあれほど小林ひるみを愛してたんでしょう?

じゃあ、やっぱり彼女の死の方が大事なのかな?」


侑二は堪えきれず、私の首を掴んできた。

「死にたいのか……!」

私は彼を見据えたまま、冷たく言った。

「あなたは言うわよね、“小林ひるみが大切”だって。

でもさ、だったらなんで、彼女を守ってやれなかったの?

私にこうして復讐したって、ひるみが帰ってくるわけでもない。

……全部、自己満足のためだけじゃないの?」

「私の前に、そんなふうに演じなくていいよ。

あなたに“最愛を亡くした悲劇の男”なんて役柄、似合わない。」


最後の一句で、星野侑二は完全に狂った。

怒りが頂点に達し、もはや殺意すら感じられた。

私はじっと彼の紅く染まった目を見つめた。

「でもさ……ひるみのことを“思ってる”くせに、どうして私とセックスしたわけ?もしかして……私のこと、好きになっちゃったとか?」


この一言が決定打だった。

(私のようなを愛するわけないよね)

侑二は獣のように暴れ出し、私の上着を引き裂いたかと思うと、首筋に噛みつき、むさぼるように私の上半身を咬み傷で埋めていった。

そして――

ふいに、彼の手が私の太ももに触れ、そこから粘つく感触を感じ取る。

視線を落とした彼の目に、赤い液体が飛び込んできた。


「血……?」

ズボン一面が鮮血で染まっていた。

侑二が呆然とするその隙に、私は彼の首に腕を絡め、笑って囁いた。

「月のものよ。気にしないで。私は、構わないから」

星野侑二の表情が、一瞬にして嫌悪に変わる。

「……最低だな、お前」

汚いものでも見るような目で私を睨みつけ、彼は私を突き飛ばし、無言で部屋を出て行った。


「バタンッ!」

扉が閉まる音がした瞬間、私は膝を抱え、震えながら涙をこぼした。

――賭けに、勝った。

そっと服の下から、隠していた“血のり袋”を取り出す。

私の計画は的中したのだ。


星野宅に戻ると決めた時から、私は予想していた。侑二が、恐らくあの日のように私を痛めつけようとすることを。

体を壊してもいい。だが、命だけは――守り通さなきゃ。

自分を犠牲にしてでも、小さな命を守る。

だから、彼を怒らせ、理性を失わせ、そして……“偽りの出血”で彼の復讐心を崩壊させる。


侑二が出て行ったあと、私は咬み傷だらけの体を抱えながら、お腹をさすって泣いた。

「……大丈夫よ。ママが守ったからね」

私はもう、誰かの犠牲にはならない。

涙をぬぐい、立ち上がる。

残されたわずかな時間で、私は両親の遺骨を見つけ出し、連れていく――


部屋を出て、向かったのは隣の部屋。私と侑二は結婚してからも別々の部屋で寝ていた。彼のそばにいたくて、私は彼の隣室を選んだ。

もしかすると、遺骨はそこに……。

だが、扉には鍵がかかっていた。

過去の私なら開けられなかった。でも、刑務所での四年が私を変えた。

髪留めを一本取り、手慣れた様子で鍵を開ける。

扉の先に広がるのは――四年前そのままの風景だった。


本棚には、あの育児書も残っている。

思わず手を伸ばす。中を開いてみると、そこには見覚えのない文字が――

「ポイント:産後うつ」

これは、星野侑二の筆跡だった。

なぜ、彼がこのワードを残したのか?

私のため?……いや、違う。


あの時、小林ひるみが突然やってきて、「妊娠した」と言ってきた。私は彼女の嘘だと決めつけたが……

もしかして、あれは本当だった?

産後うつ――それは、彼女のためのメモだったのか?


私は唇を噛み、苦笑した。

「……宮崎麻奈、いい加減に目を覚ましなよ。あいつは最初から、あんたなんて愛してなかったんだよ」

辺りを見渡すと――あった。

両親の骨壺が並んでいた。

私は駆け寄り、二つの骨壺を胸に抱きしめ、泣き崩れた。

「……お母さん、お父さん……迎えに来たよ……」


――

その頃。

侑二は私を置き去りにして書斎にいた。

仕事に手をつけながらも、どこか落ち着かない。

そこへ、小林夜江が入ってくる。


「……宮崎麻奈を家に連れ戻したって、本当?」

侑二は苛立ったようにノートパソコンを閉じる。

「明日のイタリア行き、手配がもう済んだか?」

小林夜江は頷く。

彼女は今星野グループに就職し、彼の秘書を務めている。

「もちろんです。明朝の便ですし、私もご一緒します」


だが、侑二は首を横に振った。

「夜江、お前はいかなくてもいい。

俺は矢尾を連れていく。四年前も同行してるしな」

「でも……私、準備も現地の手配も全て――」


その時、侑二の目が鋭くなった。

「明後日は、ひるみの命日だ」

夜江は一瞬、動揺を隠せずに目を伏せた。

「……じゃあ、その日を過ぎてから私が一緒にいくってダメなの?」


侑二は眉間を押さえた。

「今回の商談は、星野グループにとって重要な案件だ。

……向こうが明日を指定してきた以上、従うしかない」

夜江はそれ以上何も言えず、唇を噛んで俯いた。

「……もしあの女がいなければ……ひるみ、姉も、死なずに済んだのに……

あの子だって、今ごろ三歳だった……」

涙を浮かべ、夜江は呟いた。


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