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第8話:お腹の子は俺の子だ


私は骨壺を盗み出したあと、星野侑二の書斎の前を通りかかったとき、ちょうど小林夜江の言葉を耳にした。

──やっぱり、小林ひるみも星野侑二の子を妊娠していたんだ。

だから、彼があんなにも私を傷つけ、死ぬことまで望んでいたのは、ただ小林ひるみのためだけじゃなかった。

彼女との子どもも一緒に失ったから――。

……じゃあ、私のお腹の子は?

私の子は、死んで当然だとでも?


悔しさと悲しみで拳を握りしめる。でも、今は感情に流されてる場合じゃない。

今すべきなのは、私のこのお腹の命を守ること――

星野侑二、この悪魔から逃げることだけ。


―――

午前七時。

時間を見計らうと、星野侑二はもう空港へ向かったはずだ。

私はぐずぐずしていられない。

父母の遺灰を抱えて、足を引きずりながら地下室を出た。

この地下室は、星野侑二が私を苦しめるために押し込んだ場所。

だけど今は、その存在が私の脱出を助けてくれた。


裏庭の裏門を抜け、細道に出ると、深山彰人が車を停めて待っていた。

彼は穏やかな笑みを浮かべながら降りてきて、私の腕の中にある遺灰を見て言う。

「……無事にご両親を取り戻せたみたいだね。」

私は遺灰を見下ろして、ほろ苦く笑った。

「星野侑二は、私が遺灰を持って逃げるなんて、きっと思ってなかったのよ。」

あの男の過信が、私の隙になっただけ。


深山が眉を上げる。

「そりゃそうだ。神川県中の人間が思ってたよ。“宮崎家のお嬢様は、星野侑二に惚れ込んでる”って。あんたが彼の元を離れるわけがないってさ。」

……星野侑二も、そう思ってたんだ。

だから、遺灰を私の部屋に置いたんだ。きっと奪おうなんて思いもしてなかった。


私は車に乗り込んで、星野邸を最後に見つめた。

かつては、心の底から願っていた場所。

星野侑二と一緒に、ここで一生暮らすことを夢見ていた。けれど今、ここは地獄のような場所にしか見えない。


私は声を出さずに涙を流しながら、お腹をそっと撫でた。

「……もう、ママはあんたしか愛さない。」

この子と一緒に、新しい人生へ――

痛みも、苦しみもない未来へ。


涙を拭って、私は深山を見上げた。

「彰人先輩、行こう。」

彼は助手席に用意していたヒヤシンスの花束を差し出し、優しい目で微笑んだ。

「……うん、新しい人生へ出発だ。」


―――

一方その頃、星野侑二は空港へ向かう車中にいた。

昨日、宮崎麻奈を邸に連れ戻したはいいものの、どこか引っかかる感覚があった。

彼はこめかみを押さえながら、助手席の矢尾翔に訊ねる。

「……宮崎麻奈と深山彰人、いつ知り合った?」

矢尾翔は手帳を取り出して答える。

「4年前、宮崎お嬢様が妊娠した時に、深山先生が担当医でした。」


「深山彰人は……産科医じゃなかったはずだが?」

「当時は人手が足りず、一時的に産科の応援をされてたそうです。」


その瞬間、星野侑二の中で、ある疑念が一気に膨らんだ。

……まさか……あの子は……深山彰人との子……?


「……上等だ。

いいだろう。調べろ。徹底的にな。」

星野侑二は奥歯を噛みしめた。

「了解しました!」

矢尾翔が緊張しながら頷く。


「ところで、メディチ家との連絡は?」

「予定どおり手配済みです。ただ……気をつけてください。前回も彼ら、媚薬を盛ってきたでしょう?」

「今の俺は、4年前の俺じゃない。」

「でも……あの時は、宮崎お嬢様が助けてくれなければ――」


「……何?今、なんて言った……?」

星野侑二の顔色が一変した。

「え? いや、その……宮崎お嬢様が解毒してくれたって……」

「嘘だ……ひるみだったはずだ……!

ひるみが身を出して俺の解毒剤になった」

あの噓つきの宮崎麻奈じゃないんだ!


星野侑二は矢尾翔の襟を掴み、怒鳴る。

「お前、それ……本当か!?あいつは当時イタリアにいなかっただろう!」

「本当です!あの時、宮崎麻奈さまは社長についてイタリアまで密かに同行していて、終わった後、わざわざ別室に身を隠してたんです……あの一件で、宮崎麻奈さまが妊娠したんじゃないですか?……」


その言葉に、星野侑二の世界が崩れた。

「……嘘だ……」

あの子は、俺の子……?

あの時、セックスしたのはひるみ自身だってひるみに言われたのに、ひるみがなぜ嘘をつく?


「社長、僕本当のことを言っています。見てください。

これは当時僕が宮崎麻奈さまに取っておいたホテル部屋です。」

まだ信じ切っていない星野の顔を見て、矢尾は携帯から部屋の予約記録を彼に見せた。


その瞬間、星野の全身の力が抜けていく。

麻奈はずっと、俺のことだけを想って――

……俺は、何をしたのだ?

俺たちの子も、麻奈のすべても、踏みにじって?


「……いや……だめだ……」

叫ぶように運転手に向かって命じた。

「戻れ!今すぐ戻るんだ!!」

「でも、メディチ家との約束は……」

「戻れと言ったんだッ!!!」


***

星野侑二は邸に戻ると、楠井海を連れて地下室へ向かった。

だが中に入った瞬間、彼は言葉を失った。


ここは――もはや人が住める場所じゃない。

悪臭と湿気、暗闇、そしてどこかに残る血の匂い。

床には最近ついたばかりの血痕まである。


「……彼女を、ここに住まわせたのか?」

「はい、社長の指示どおりに……」

「彼女はどこだ!?姿が見えない!」

「……また主屋に忍び込んで、社長を誘惑してるのでは?」


主屋に戻った彼は、真っ先に自室を探す。

いない。

隣室へ行き、鍵を開けた。

そして……骨壷がないことに気づいた。


そのところに、一枚の紙だけが残されていた。

『あなたを愛してしまったことは、私の人生の最大の後悔です。』


その一文を見た瞬間、星野侑二の膝が崩れ落ちた。

彼女は……本気で、自分から離れたのだ。

自分と、すべての関係を断ち切った。


「逃げる気か……?」

彼は紙を握りつぶし、血のように真っ赤な目で叫んだ。

「……宮崎麻奈を見つけ出せ!連れ戻せ!!」

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