私は一晩中眠れず、しかも妊娠中で、今が眠気が強くなる時期。
深山彰人が部屋を出て間もなく、私は強烈な眠気に襲われ、体を丸めるようにして眠りに落ちた。
どれほど時間が経ったのか分からない。部屋のドアがそっと開く音がした。
背中の傷の処置を終え、新しいシャツとスーツに着替えた星野が、険しい表情で戻ってきた。
部屋に入るなり、彼は私が小さく丸まってベッドの隅で眠っている姿を見て、動きを止めた。
しかめた眉の間に、知らず知らずのうちに哀しみの色が差していた。
彼はそっと歩み寄り、私をベッドの真ん中に抱き寄せて、もう少し楽な姿勢で眠らせようとした。
――けれど、彼の手が私の身体に触れた瞬間、
私はまるで電気が走ったように震え上がり、反射的に体をさらに小さく丸め、頭を抱え込みながら悲鳴を上げた。過去のトラウマが蘇った。
「やめてっ……叩かないで……!」
震える声と震える体。
星野の手は空中で止まり、そのまま動けなくなった。
一体、どれだけの苦痛を――どれだけの地獄を――彼女は経験したのか。
私は恐怖のあまり朦朧としながらも、腕の隙間から彼の姿を見つめ、心臓がバクバクと跳ねた。
やっと、ここが刑務所ではないと思い出した。
だけど――
星野とあの残虐な女囚たちに、違いなんてあるか?
……いや、彼のほうが、ずっと怖い。
女囚の手にかかっても、私は生き延びるが。
彼の手にかかったら――命が、一瞬で消えるかもしれない。
だから、私は身をすくませ、自分を抱きしめながら視線を逸らし、頭を下げて身を引いた。できるだけ距離を取るようにして。
それを見た星野の心に、得体の知れない怒りが込み上げた。
(俺はそこまで、恐ろしいか?
見られることすら、許されない存在か?)
彼の怒りが抑えきれず、私は彼に腕を引かれて抱き寄せられた。
「深山彰人といるときは、あんなにリラックスしてたくせに、俺を見ると怯えるのか!」
突然の怒声に、私は恐怖に震え、びくびくしながら答える。
「彼……彼は私の主治医で……」
星野侑二は怒りのあまり、冷笑した。
「俺はお前の旦那だぞ!」
深山の挑発が、彼の脳裏をよぎる。
星野は私の首を強く掴み、血の色を帯びた目で睨みつけた。
「さっき、あいつがお前の部屋に忍び込んだとき……嬉しかったか?」
私は心臓が凍る思いだった。
(どうして深山が、見つかるような真似を――!)
慌てて弁解する。
「彼は……彼はただ、膝の傷を治療してくれた……」
だが星野には、深山を庇っているようにしか聞こえなかった。
怒りが頂点に達した彼は、私を無理やり抱き寄せ、首筋に牙を立てるような激しさで噛みついてきた。
私は痛みに身をよじり、涙が滲む。
「やめて……離して……」
しかし、彼は離さなかった。
首から鎖骨へと、飢えた狼のように所々痕を残していく――まるで私の体を、彼の所有物だと刻みつけるように。
私には抗う力なんてなかった。せめて懇願するしかない。
「痛い……お願い、やめて……」
私の拒絶に、彼の怒りはさらに加速した。
噛みつきながら、怒りを滲ませた声で吐き捨てる。
「何だ? 誰かのために貞操でも守ってるつもりか?」
私はその言葉に全身が震え上がった。
たしかに、医者は言っていた。この子が安定していて、妊娠およそ四ヶ月を過ぎていれば関係は可能だと――
でも。
この狂気に満ちた彼の行為を、私の体が耐えられるはずがない。
私は絶対に、この子を危険にさらすわけにはいかない。
苦しみもがきながら、私は星野の肩をつかみ、涙を溜めた声で懇願した。
「わたし……イタリア市場の開拓を……手伝える……!」
星野の侵略が徐々に止まり、冷たい視線が私に向けられる。
「お前が?」
私はすぐに布団を体に巻きつけ、震える声を無理やり絞り出した。
「イタリアにはメディチ家だけじゃない……スフォルツァ家の実権を握ってる人を、私……知ってるの……」
――星野侑二のそばにいる最大の危機。
それは、私の意志を無視して彼に奪われ、お腹の子が傷つけられること。
以前は血のり袋を使って彼を遠ざけることができたけど、あれは一度きりの手段。
もうまた同じ手を使ったら、今度こそ彼に殺されるかもしれない。
だから私は、彼が私を傷つけられないように、もっと強いカードを切る必要があった。
それが、取引の材料だ。
私は恐怖を飲み込み、彼の目をまっすぐ見て、卑屈に、でも絶望的な声音で訴えた。
「この期間だけ……お願い……私に触れないでくれる……?」
その怯えた様子を見て、星野侑二の胸に、鋭く痛みが走る。
彼は知っている。誰よりも、私が虚飾に満ちたビジネスの世界を嫌っていることを。
けれど今――
彼に傷つけられないようにするためだけに、私は自らその世界に身を投じようとしている。
それを思うと、彼の心に得体の知れない怒りが湧いた。
かつては、自分のすべてを彼に捧げようとしていた女が――
今は、深山のために、彼に触れさせることすら拒む。
――自分は、麻奈を想っているのに。
――こいつの心には、他の男がいる。
星野侑二は怒りを抑えながら、低く私の耳元で囁いた。
「一ヶ月だけ時間をやる。だが――もし失敗したら……」
わざと言葉を切ると、彼の指先が私の肌を這う。
その感触は、まるで冷たい毒蛇が体を這っているようで、私は全身を震わせた。
顎を掴まれ、彼は一語一語を吐き捨てるように言った。
「その時は……骨の髄まで喰ってやるよ」
そう言い残し、ベッド脇に投げ捨てられていた服を手に取り、乱暴に私に着せると、私を抱き上げた。
私は慌てて声をあげる。
「いま……一ヶ月って……言ったばかりじゃ……!」
星野は鼻先を私の頬に押し当てて、冷たく言い放った。
「今のお前を見てる限り、精神的には問題なさそうだな。
だったら――俺の家に帰ろうか」
星野宅へ戻る――
彼女を監禁する!
そうすれば、もう二度と……外の“男”どもに会わせることもない。
―――
神川県と志津県は、もともとそこまで離れていない。
それから三時間後、私は再び星野宅に戻ってきた。
星野が車を降りるとすぐに、執事・楠井海が駆け寄ってきた。
「星野社長、お帰りなさい!」
星野は軽く頷くと、車から降りてきた私に目を向け、そのまま楠井さんに命じた。
「彼女の以前の部屋を、ちゃんと整えておけ」
楠井は一瞬眉をひそめ、私を一瞥すると、丁寧に返事をした。
「すぐに手配いたします」
星野はそれ以上言葉を交わさず、主屋の中へと入っていった。
楠井さんが私に目を向け、冷たく言った。
「宮崎様、お部屋の準備には少し時間がかかります。
しばらくは、一階でお待ちください」
――星野宅の人間は、明らかに私を歓迎していなかった。
私はリビングで長く待たされ、その間ずっと、陰口や嘲笑の視線にさらされていた。
耐えきれなくなった私は、足を引きずりながら階段を上っていった。
やっとの思いで二階へたどり着いたその時――
背後から、嘲るような女の声が響いた。
「やっぱり戻ってきたのね」
振り返ると、階段の下から一人の女が姿を現した。
――小林夜江。
綺麗なハイヒールを履き、ゆっくりと階段を上ってくる彼女の目は、毒を含んだように鋭かった。
「自分が勝ったと思ってるの?」
意味がわからず戸惑う私に、小林は不気味で背筋が寒くなるような笑みを浮かべ――
そのまま、突然後ろに倒れた。
――これは、あのときと同じ!
小林ひるみが私を陥れたとき、使った手口だ!
あまりにも見覚えのある光景に、私は反射的に手を伸ばしたが――
間に合わなかった。
小林夜江は、階段を転げ落ちていった。
私は呆然と立ち尽くし、背筋に氷のような冷気が走る。
そっと顔を横に向けると――
そこには、息を呑むほど冷たい目で私を見つめる、星野侑二がいた。
その瞳は、私の息を止めるほどに……凍てついていた。