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第39話 私は人を殺していない


星野が私を抱えて、この部屋から出ようとしたそのときだった。

小林夜江の叫び声が、不意に背後から響いた。


星野の足がピタリと止まる。

私は一瞬で顔色が真っ青になり、震える手で星野の腕を掴んだ。呼吸も荒くなり、まさに「動揺と狼狽」が顔に書いてあるようだった。


星野の少しばかりの好意的な雰囲気も、跡形もなく消え去った。

彼の眉と目元には、あっという間に氷のような冷酷な影が差す。

「なぜそんなに慌てている?」


私の声は震えていた。「ち、違う!」


星野は私を抱え、窓辺へと連れて行く。

わざわざ身を乗り出すまでもなく、近づいただけで、下の部屋のベランダに乱れた服装の男が隠れているのがはっきりと見えた。


小林は冷笑を浮かべる。

「宮崎さん、きちんと説明していただけますよね?」


私はパニックになり、言葉も支離滅裂になった。

「わ、私もあんな人がいるなんて知らないし、彼とはまったく関係ないの!」


星野は、その冷酷で薄い氷のような目で、じっと私を見つめた。

私は怯えて目を伏せ、星野の陰鬱な視線から逃れた。


だが、小林たちはせっかく私の弱みを握ったのだから、この機会を逃すはずがない。


草壁は軽蔑混じりに嘲笑した。

「現行犯なのに、まだ言い訳する気?」


小林はまた“善人役”を演じだす。

「侑二、宮崎さんはきっと無実よ。じゃあ、こうしようか。あの男を連れてきて、二人で対面してもらえば、宮崎さんの潔白も証明できるわよね?」


私は恐怖に顔を引きつらせ、星野の腕から必死に抜け出し、何度も首を振った。

「お願い、彼を連れてこないで!」


星野は歯を食いしばり、三文字を絞り出した。

「だめだ。」

そして、振り返って矢尾に命じる。

「下のあの男を、連れてこい。」

矢尾はすぐに指示を受け、ボディーガードたちと男を捕まえにいった。


私は希望を失い、その場にへたり込んだ。涙が目に溜まり、絶望的な気持ちで星野を見上げた。

「あなたは一度も私を信じたことがないのでしょう? ほんの少しでも他の男と接触したら、すぐに私を死刑にしたいと思ってるんでしょう?」


星野は身を屈め、上から私の目を見据えて、ゆっくりと言葉を吐き出した。

「俺が信じるのは証拠のみだ。」


小林はすかさず近づき、

「侑二、宮崎さんはきっと寂しさに負けて、ついあなたを裏切ってしまっただけなんじゃないの?」


星野はそれ以上何も言わなかったが、彼の全身から放たれる殺気はこの場を支配した。

もし私の裏切りが証明されれば――

私の末路が死よりも酷いものであることがはっきりと物語っていた。


小林は殺気立つ星野を見つめながら、笑いを噛み殺すのに必死だった。。

男がなぜ、彼女の指示どおりに自分らが現場に到着するまで待って、現行犯で捕まる――そうせずに、わざわざ下に飛び出してしまったのかは分からないけれど……

計画に少し狂いがあったが、今の状況でも十分だ。


小林は私に挑発的な笑みを向け、無言で「あなたは終わりよ」と冷たく鼻で笑った。

私は夜江の得意げな様子を見て、静かに目を伏せ、目を閉じて、最終的な審判を待った。


しばらくして、下にいた乱れた服装の男が矢尾秘書に連れてこられた。


小林はその男の顔を見て、思わず叫んだ。

「佐藤先生? なんであなたが!」

本当なら佐藤には、適当に男を用意してもらうはずだった。

なのに、まさか彼が自分で手を下すなんて!


佐藤は何度も抵抗し、怒鳴った。

「なんで俺を捕まえるんだよ!離せ!私は小林様の主治医だぞ!」

しかし、ボディーガードたちはまったく離す気もなく、佐藤を星野の前に引きずり出した。


“浮気相手”が現れた。

星野は冷たい目で私を見やり、私の顎を掴む。

「今正直に話せば、少しは情けをかけてやる。」


私の心は絶望で満たされ、涙が溢れ落ちた。


小林は無情に嘲る。

「泣いたからって、侑二が浮気を許してくれるとでも思ってるの?」


私は小林を睨みつけ、ついに屈辱いっぱいで口を開いた。


「病室で傷の手当てをしていたら、後ろから襲われてこの部屋に連れてこられたの。」

「彼は私を殴って抵抗できないようにした後、薬まで飲ませて、私、声も出せなくなって……だから助けも呼べなかった。」

「必死に抵抗した!彼が襲いかかってきたとき、ヘアピンでなんとか彼に傷をつけた。」

「それでも彼は私を放そうとはせず、無理やり従わせようとした。」

「それで……思わず、とっさに彼を窓の方に突き飛ばしてしまって……」


そう話しながら、私はおそるおそる患者服を開き、体中の青く腫れた傷跡を見せた――


星野の手は明らかに震え、私を掴む力も緩めた。


小林は星野のその僅かな変化を見て、表情が一変した。

この女、まさか同情を引こうとしているのか!

今日こそは、浮気の汚名をこの女に着せてやる!


小林はすぐに問い詰めた。

「なぜ最初から侑二に真実を話さなかったの? 今になって言い出すなんて、現場を見られて慌てて全部浮気相手のせいにしようって魂胆じゃないの?」


私にもはっきりわかった――

小林の言葉が落ちるたびに、星野の手の力がどんどん強くなっていくのが。


そして、彼は歯ぎしりしながら低く吼えた。

「俺が一番嫌いなのは、嘘だ。」


その声に私はびくっとし、反射的に星野の前にひざまずいた。

「今回は本当に正当防衛なんです!わざと殺そうとしたわけじゃないんです!どうか、もう刑務所に送らないでください!」


そう言うと、私は地面に這いつくばった。

骨の髄まで染みついた恐怖の姿に、星野も驚愕する。

「言わなかったのは、また刑務所に入れられるのが怖かったからか?」


私は震えながら顔を上げ、震える指で佐藤を指さした。

「彼が襲ってきたとき……ヘアピンで何度も何度も刺したんだ……」

もし同意の上なら、そんなに酷いことするわけがない。


ボディーガードたちはすぐに佐藤の服をはぎ取った。

佐藤の上半身には、ヘアピンで刺された小さな血の穴がびっしりと並んでいた。少なくとも数十箇所はあった。


私は顔を上げて星野を見つめ、顔が完全に涙と埃にまみれ、泣きながら訴えた。

「私は……あなた以外の男に……身体を触らせるなんて、できるはずがないだろう。」


星野の瞳孔が一瞬で縮まり、目つきが複雑な色に変わった。

そして――

佐藤を見ると、激怒で目が真っ赤になり、思い切り彼の胸を蹴り飛ばした。


佐藤はそのまま吹き飛ばされ、血を吐いた。

そして二発、三発……

あっという間に、佐藤の全身は血だらけになった。


星野がさらに蹴ろうとしたとき――

私は這い寄り、星野の脚に縋りついて、その暴力を止めた。

「殺さないで!」


小林はすぐに言葉を差し込む。

「さっきまで佐藤先生に襲われたと言ってたくせに、今は助けようとしてるの? どういうこと?」

そして、佐藤に意味ありげな視線を送った。

「佐藤先生、彼女の言ったことは本当なの?」


佐藤はすでに瀕死状態で、今にも死にそうだった。

だが、生き延びたい一心で――

小林の目を見て、唯一助かる方法を悟った。


佐藤は私を指さし、目をむいて叫んだ。

「彼女が、俺を誘惑したんだ! 自分を病院から逃がせば、一緒に寝てやるって!!」


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