秋山陽一のその一言で、楠井海の告発は一転して卑劣な冗談と化した。
権力を奪い取るだって?そんなこと、そもそもありえない!
楠井海、お前は一体何をくだらないことを騒いでいるんだ!
楠井は呆然とした。「そんなはずがない!」
秋山は困ったような顔で言った。
「昔から言ってただろう、俺は本当に執事の地位なんて興味ないって。どうして信じてくれなかったんだ?どうしてわざわざ俺を陥れようとした?」
楠井の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
確かに、あの女は秋山とすでに手を組んでいて、執事の地位を奪うつもりだと言っていた。
なのに、どうして秋山は島に戻ると言うんだ?
楠井ははっと気づき、私の鼻先を指差して罵った。
「お前だ!この悪女が、わざと俺を陥れたんだ!」
わざと誤解させて、秋山と結託して自分の地位を奪うと思い込ませて……
それで、自分が星野社長の前でそれを告げるのは、当然の成り行き。
だが、肝心の秋山と私は何の関係もなかったのだ!
この騒ぎで、楠井海が星野の前に残っていたほんのわずかな信頼すら、見事に木っ端微塵になった。
私は楠井の非難を無視した。
涙を浮かべながら、星野の前に歩み寄る。
「本当に……わざと彼に……私を辱めさせたわけじゃないの?」
星野は私をじっと睨みつけ、歯を食いしばって一言一言搾り出した。
「君は、どう思う?」
「ここは星野宅よ。まさかあなたの目の前で、誰かがこんな裏切りをするなんて!」
私は星野に鋭く問いつめる。
「あなたのそばに、まだ信じられる人はいるの?」
星野は黙り込んだ。
私は楠井を指さした。
「まさか、彼があなたにどれほど忠実だなんて、思っていないわよね?」
楠井は慌てて叫んだ。
「このくそアマ、黙れ!」
だが、私はこの絶好の機会を逃すはずもなかった。
ブラックリストに載った人間は、もう存在価値がない!
私は星野にさらに一歩近づいた。
「調べてみたらどうだ?今まで、彼が星野宅で、どれだけあなたを欺いて汚いことをしてきたか!」
楠井はようやく、私の策略の全貌に気づいた。
「お前の手の中に俺の着服の証拠なんてないだろう。最初から俺を嵌めるつもりだったんだな!」
こいつの狙いはただ一つ、星野社長に自ら捜査させること!
そして、自分が社長の調査に耐えられるはずがない!
しかし、そう言い終えた瞬間、楠井は背筋が凍るような視線を感じた。
一秒遅れて、ついに自分が決して口にしてはいけないことを口走ったのだと気づいた!
楠井は焦り、哀願するように星野を見つめた。
「星野社長……俺は……そんなことは……」
星野は、自白した楠井に対して、もはや一片の情もなく、冷たい声で命じた。
「楠井海を連れて行け、徹底的に調べろ!」
二人のボディーガードが近寄り、楠井を容赦なく外へと引っ張っていく。
楠井は慌てて叫び、命乞いする。
「星野社長、俺は長年お仕えしてきたんだ。功績がなくとも苦労があった!こんな仕打ちは……」
だが、星野が最も嫌うのは、身近な者の裏切りだ!
楠井のような上司を欺く卑劣な行為は、明らかに彼の逆鱗に触れた。
私は目を細めた。
ブラックリストの人物、排除成功!
私は表情を一つ変えずに秋山を見た。
秋山は静かに星野の前に歩み寄り、かすれた声で言った。
「実は、あの時に若様の元を離れたのは、引退したかったからではありません。」
星野は冷たく秋山を睨んだ。
「どういう意味だ?」
秋山の顔に、言葉にできない悲憤が浮かんでいた。
「楠井海は当時俺に言ったんです。俺が自らここを去らなければ、『十長老』と組んで秋明島を観光地に開発すると。」
「秋明島は、旦那様が奥様への結婚記念に贈った島です!奥様は生前、島の生態系を守ることを心から願っていました!」
「俺は楠井に島を荒らされたくなくて、結局、若様の元を自分から離れるしかなかった……」
「最初は、楠井はただ権力欲が強いだけで、俺が去れば、若様の世話はちゃんとしてくれると思っていました。」
「でも今になってわかったんです。あいつはただの自己中心的な人間だった。」
秋山は言い終わると、悲しみと怒りの入り混じった目で星野を見つめた。
「星野さま、楠井の調査は俺に任せてください。この数年、彼がどれだけ星野家に害を与えたのか、はっきりさせたいんです。」
星野は秋山を見つめ、冷たい色が目に宿った。
「楠井が失脚した。……君がその後釜を狙っているんじゃないのか?」
私は思わず指先に力が入った。
あれだけ布石を打ったのに……
星野の疑り深い性格は、やはり秋山にも警戒心を向けている。
秋山は星野を見上げ、悲憤と怒りを含みながらも、一切野心の気配を見せなかった。
「俺は執事の地位に、最初から興味なんかなかったです。」
星野はしばらく黙っていた。
やがて、秋山にうなずいた。
「楠井海の調査は君に任せる。」
秋山は命令を受け、そのまま立ち去り、さっき出て行ったボディーガードたちの後を追った。
皆が出て行った後――
星野は私をぐいっと引き寄せ、腰に腕を回した。
「お前はおばあ様と一緒にいなくて、外で何をふらふらしている?」
私は唇を噛み、やや怯えながら星野を見上げた。
「あなたに会いに来たの。取引したいのよ!」
星野は皮肉に笑った。
そして、私の顎をそっとつまんだ。
「俺たちの間で、まだ交渉できることなんてあるのか?」
私は震えるまつげを持ち上げ、必死に落ち着いたふりで星野を見返した。
「前に言ったでしょう?私、スフォルツァ家の人間を知ってるって。」
星野は作り笑いを浮かべながら、冷たく鼻で笑った。
「まさか『十長老』の脅しに俺が怯えて、イタリア市場を気にしていると思ってるのか?」
私はうつむき、声はますます弱々しくなった。
「もし本当に怖いなら、おばあちゃんにあんなことできるわけない……」
「十長老」がこの前星野の手を焼かせたのは、文乃の存在を大きな後ろ盾にしていたからだ。。
だが、文乃は星野にあれほど酷く扱われた……
つまり、今の彼はもう何も恐れていない、完全にタガが外れているのだ。
ならば、「十長老」なんて、彼にとっては何でもない!
私は再び顔を上げ、真剣な態度で星野に話し始めた。
「今は強権を振るって、皆を抑え込むことができてるけど!」
「でもそれは、星野グループを引き継いだあと、部下たちに大きな利益をもたらしてきたからよ!」
「つまり、星野グループが常に前進し続けなくちゃいけない。もし停滞すれば、あなたの支配も決して安泰じゃなくなるわ。」
星野は目を細めた。
「まさか君が、こんなことまで分かっていたとは。」
もちろんだ。
宮崎家は無駄飯食いを養うような家庭じゃない!
まして、両親や兄の影響で、経営のことは詳しいとは言えなくても、多少は分かる。
私は不安そうな態度を保ったまま、さらに続けた。
「自分で考えたの。」
星野はほのかな微笑を浮かべた。
「そんなに自信があるのか、イタリア市場を開拓できると?」
「自信があるんじゃなくて、やらなきゃいけないの!」
私は涙をにじませて星野を見上げた。
「この功績をもって、お願い……おばあちゃんを、二度と傷つけないで。」