星野侑二はじっと私を見つめていた……
次の瞬間。
突然、彼は立ち上がり、私の喉元を一気に掴んできた。歯ぎしりしながら言う。
「本当に不思議だよ。何度も俺を騙した女が、どうしてあんなにあの老婆のことを大事にするんだ?」
今でも私は理解できない。なぜ星野侑二はいつも私が彼を騙したと言うのか。
そんなこと、一度もなかったのに!
でも、もう説明する気力もなかった。
星野の瞳を見つめ、濡れたまつげを瞬かせながら、かすれた声で囁く。
「真心には真心で返すだけよ。」
おばあちゃんが私にくれたのは、本物の優しさ。
だからこそ、私は自分の真心を持って応えるの。
星野は、その言葉に何かを刺激されたようだった。
彼の手の力がさらに強くなる。
せっかく包帯を巻いたばかりの首から、またしても血が滲み出すほどに。
だけど、彼は離してくれなかった。
彼は耳元に顔を寄せ、唇をそっと動かす。
「俺がお前に対して一度も心を尽くしたことがないって、そういう意味か?だからお前も俺に心を開かないのか?」
涙が止まらずに流れ落ち、私の目は苦しみに満ちていた。
「かつて、あなたは、私が心を差し出したいと唯一思った人だった。たとえあなたから何の返りがないと知っていても……」
星野は一瞬呆然とし、手の力が不思議と緩んだ。
私はその隙を逃さず、心が死んだような声でさらに言葉を重ねた。
「でも今は分かった。私がとんだ間違いをしてた。あなたみたいな悪魔に、誰の心もらう資格なんてない。」
星野は唇を引き結び、冷たい光を放つ目で私を見下ろした。
「俺は誰の心も得られない。」
そう言って、彼は私の胸に指を当てる。
「だが、お前の心なら、引き裂くことはできる。」
私は怖じることなく彼に近づいた。
「で、今のあなたにも、それができるの?」
島で傷を癒していた数日間、私は秋山とじっくり星野侑二の異常な心理について分析した。
彼は私に対して病的なほどの独占欲を持っている。
それに、小林ひるみの死のせいで、私をずっと傍に置き、苦しめ続けたいと思っている。
本来こんなことは、私にとって耐えがたい呪いだった。
でも、見方を変えれば……
彼の独占欲を利用して色々できるし、彼が私の死を望まない限り、逆手に取って自分の命を守ることもできる。
だから……
今、星野のギリギリを狙って、少しでも彼を苛立たせても、彼は私に何もできないはず。
星野は私を長く見つめた後、ようやく冷たい声で呟いた。
「いいだろう、お前の取引に乗る。今日、イタリアに行くぞ。」
私は驚いて目を見開いた。
「そんなに早く?」
星野は顔を近づけてくる。
「嫌なのか?」
私は慌てて答えた。
「もちろん、喜んで。今すぐおばあちゃんに伝えていく!」
私が方向を変え、文乃の部屋へ行こうとしたその瞬間、
星野は私の腰を強く抱き寄せ、腕の中に閉じ込めて、ひとことずつ言った。
「これから、あの部屋にはもう行くな。」
私は思わず唇を噛んだ。
この悪魔の独占欲は恐ろしすぎる。文乃ばあちゃんのところに行くことすら許されないなんて!
本当に不思議だった――
以前は、私のことなんて見るだけで嫌悪していたくせに。
今は私を憎み、小林ひるみの仇を討つため……なのに、逆にこの異常な独占欲を抱くようになるなんて!
それから、星野に抱きかかえられ、彼の寝室に放り込まれた。
そのとき、ふと思い出して、すぐにスマホを取り出し秋山にメッセージを送った。
【楠井海を取り調べる時、小林ひるみと小林夜江との関係を徹底的に調べて。】
最初は、楠井が彼女たちに取り入って出世を狙っただけだと思っていた。
でも、どうも何かがおかしい気がする。
なら、この機会に徹底的に調べておくべきだ。
続けて、もう一通送った。
【慎重に動いて。星野侑二は疑り深いから、最近は誰かに見張らせているかも。】
秋山はもう島には戻らない。
彼は星野宅に残って、私の後ろ盾になる。
ただ、手段を使って楠井海を執事の座から引きずり下ろしたとはいえ、
秋山がいきなり後任になってしまうのは、さすがに不自然だ。
だから今は、楠井の調査を理由に、しばらく星野宅に残るのが得策。
そのあと星野の前でしっかりと実力を見せれば……
ゆくゆく、いつか必ず執事の座は秋山のものになる。
二通のメッセージを送ったあと、慎重に削除した。
それから、ふと星野の写真に目がいった。
私は立ち上がり、机に近づいて、写真の中の彼の顔を指でなぞりながら、優しく微笑み、そっと呟いた。
「あなたが宮崎家をあんなに憎むのなら、かつて私たちの力を借りてあんたが手にいれたもの、全部返してもらうわ。」
星野宅、星野グループ……
必ず全部、取り戻してみせる!!!
―――
星野は午前中にイタリア行きを決めた。
午後には、私たちが空港に現れていた。
空港のVIPラウンジで、同行する矢尾翔に会った。
矢尾は、星野が電話している隙に、こっそり近づいてきた。
「宮崎様、お帰りなさい!」
そして、心配そうに続けた。
「星野社長に、何かされませんでしたか?」
私は唇を噛みしめて答えた。
「まだ……大丈夫です。」
矢尾は複雑な表情を浮かべた。
「あなたが一週間も消えたから、星野社長は一週間ずっと正気を失ったようでしたよ。十長老も直接彼に粛清されました。」
私は心の中でギクリとした。
本当は、文乃に頼んで十長老と星野の対立を煽ってもらうつもりだったのに、
まさか“十長老”がこんなにあっけなくやられるなんて!
矢尾の前で、私はわざと困ったように眉をひそめて言った。
「彼は星野家の人間にまでそんなに冷酷なの?」
矢尾は深くうなずいた。
「ええ、今やグループ中が不安でいっぱいですよ!」
私はさらに星野の周囲の士気を削ぐため、ネガティブなことを言おうとしたが、
ちょうど星野が電話を切って、こちらに歩いてくるのが見えた。
私はすぐに話題を変えた。
「その“十長老”っていうのは、星野家の中枢メンバーで、家族の名を借りて星野グループを支配しようとしただけ。」
「数年前も、彼らは星野グループの社長を操り人形にしようとしたし、お義父さんも相当苦しめられたのよ。」
「“十長老”なんて存在はもともと星野グループの発展にとって害でしかないし、早めにこういう虫を排除できたのは良いことだと思う。」
「神川県にはいくつも名家があるけど、家族間の内紛で滅びたところも多いから。」
「今回彼のやり方は過激かもしれないけど、グループの人心が安定しなくても……私が彼を助けて、イタリア市場を無事に攻略できれば、すべてがうまくいくわ。」
星野侑二は電話を切り、私のそばに来て、ちょうどこの話を耳にした。
さっきまで電話のせいで不機嫌だった彼の表情が、その瞬間ふっと緩んだ。
思わず口角が上がってしまう。
最近“十長老”を排除したことで、星野家でも星野グループでも彼に反対する声が増えていた。
だからこそ、彼は急いで宮崎麻奈を連れてイタリア市場の件を進めようとしたのだ。
だが――
みんなが自分に異を唱える中、この女だけは彼の決断を認めてくれた!
星野の胸が、不思議と高鳴った。
まるで、遠い昔に戻ったような気がした。
困難にぶつかるたび、いつも一人の小さな影がそっと傍に寄り添い、あたたかな抱擁をくれた、あの頃に――