神川県は、それほど小さくもなく、また大きくもないところだ。
とくに名家たちは、それぞれ自分たちのコミュニティを持っている。
星野侑二と私は幼い頃から同じ学校に通っていて、年も近いせいか、いつも同じクラスに分けられていた。
星野家の後継者として彼は家族全員の期待を一身に背負い、幼い頃から重い責任を担わされ、言動ひとつも間違うことが許されなかった。
だが、人間は完璧ではない。
彼だって、ミスを犯すことはある。
星野は覚えている。家族に罰せられた時、いつも目の前のこの女が大人のふりをして、彼を慰めてくれたことを。
本当は、彼女もあの時はまだ小さかったのに……
当時の星野侑二の心の中で、彼女はまるで天に輝く朝日だった。
あんなに暖かくて、明るくて、まぶしかった――すべてを溶かしてしまいそうなほど。
いつから、この明るい小さなお日様は変わってしまったのだろう?
それは中学の時、小林ひるみが彼らのクラスに転校してきた頃からだ。
彼女はどんどん意地悪になっていった。
しかも、それはただ小林ひるみと彼が何度か接触したというだけの理由で。
彼女は自分で小林をいじめるだけでなく、身分を振りかざして他のクラスメイトにもいじめを指示した。
何度も、彼は見ていられなくなったが、どうしても彼女を責めることができず、仕方なく自分が代わりに小林に謝りに行った。
小林ひるみは、とても優しくて純粋な子だった。
あれだけいじめられても、宮崎麻奈のしたことを大らかに許してくれた。
「宮崎さんみたいなお嬢様は、小さい頃から大事に育てられてきたから、普通の人よりわがままなのは当たり前。あまり責めないで」とまで言ってくれた。
そんなはっきりとした対比の中で、星野はもう、麻奈がかつてのような明るい女の子とは思えなくなっていた。
太陽は堕落して、もはや昔の輝きを失ってしまった。
そしてひるみは、だんだんと太陽の代わりに彼の心に輝く清らかな月となった。
……
星野は過去の記憶から意識を引き戻した。
その目に一瞬浮かんだ柔らかさも、すぐに消え失せていく。
(またしても、この悪意に満ちた女の美しい外見に騙されてしまったのだ!)
彼は冷たい表情で、私の後ろに歩み寄り、少し身をかがめて耳元に顔を寄せた。その声は氷のように冷たかった。
「誰を見てた?」
私は怒りに満ちた星野を振り返る。
おかしいな!
さっき私の言ったことを聞いたら、普通、感動しない?
なぜ今、私にこんな顔をしてるの?
それに、星野の質問がさっぱり理解できず、私は困惑した。
「私が誰を見てたって?」
私は矢尾と話していたのに!ほかに誰を見るっていうの?
星野は私を勢いよく抱き寄せ、腰をきつく抱きしめた――まるで私を自分の体に溶け込ませようとするかのような力強さ。
私が呆然としたまま、星野はぐっと顔を下げ、強引に私にキスをした。
熱く、絡み合うような……強い独占欲を伴ったキスだった!
もし、ここが人目の多い場所でなければ、彼が私を丸ごと飲み込み、他の誰にも渡さないと見せつけるのではないかと思うほどだった。
私はそのキスで息もできなくなり、体がふにゃふにゃになって、彼の腕にすがるしかなかった。
それでようやく、彼は慈悲深く私の唇を解放してくれた。
そして――
私は星野が顔を上げて前方を見やり、挑発するように軽く鼻で笑ったのを見た。
「深山さん、もう十分見ましたかね?」
ぼんやりと頭を上げて、星野の視線を追うと、少し離れたところに深山彰人がいた。
深山は気品ある態度で待合室のソファにもたれ、私と星野を何気なく見ていた。
星野に名指しされると、深山は柔らかく微笑んだ。
「星野社長、必要ならベッドを一台ご用意しましょうか?」
……なるほど、謎が解けた。
深山が現れたことで、星野の独占欲が一気に刺激されたのだ。
この後のイタリア出張を円滑に進めるためにも、まずはこの悪魔をなだめておかなきゃ。
私はふいに背伸びして、星野の唇にキスをした。
星野は驚きに身が固まって、見下ろした目に明らかな困惑が浮かんでいる。
私はそっと身をすくめて、うつむきながら小さな声で説明した。
「ただ……あなたに伝えたかっただけ。私と深山彰人は、本当に何もないの!」
その言葉を聞いた星野の顔色は、目に見えて明るくなった。
そして、とても寛大に私の手を引いて、深山の前まで歩いていった。
「深山さんがそんなに親切なら、遠慮なくいただきますよ。」
深山はわざと驚いたような顔をした。
「星野社長、まさか今はベッド一台も買えなくなったんですか?」
そう言いながら、何か思い当たったような表情になる。
「まさかイタリア市場を失って、星野グループにはもう余裕がないんじゃ?」
星野はもちろん、深山がわざと皮肉を言っているのを分かっている。
もともと星野グループとメディチの契約は、今や深山家の手に落ちている。
だからこそ、「十長老」も強気になり、社内にも彼に不満を持つ者が増えているのだ。
星野は取引を失ったものの、依然と澄ました態度で答えた。
「深山家がメディチ家と提携できたこと、本当におめでとうございます。」
私は星野を疑いの目で見た。
星野侑二って、こんなに心の広いやつだったっけ?
おかしい! 何か変だ!
私がその「おかしさ」の正体を考える間もなく、矢尾がやって来た。
「星野社長、時間です。そろそろ搭乗の準備を。」
星野はもう深山と絡むのをやめ、私を抱えて搭乗ゲートへ向かった。
ところが、深山がすぐに後ろをついてきた。
「意外だな、星野社長と同じ便だったとは!」
星野が海外へ行く時は、いつもプライベートジェットなのに、今回は急な海外出張で一般のフライトになった。
星野は眉をひそめ、矢尾をにらんだ。
矢尾はおどおどしながら小声で説明した。
「ちゃんとファーストクラスは全部押さえたんですけど……」
たとえプライベートジェットでなくても、社長が静かに過ごせるようにと全部席を確保したのに。
深山は、ああ、なるほどという顔で、
「どうりでファーストクラスのチケットが取れなかったわけだ。仕方なくエコノミーを予約したんですよ、全部星野社長に取られてたとは。」
深山には、両者の家系がライバル関係だという自覚はまるでない。
なおも、特に積極的に話しかけてきた。
「星野社長は、心が広いと聞いています。一席分けてくれませんか?その代わり、今度自分が直々にベッドを選んで、星野宅に一台贈りますよ。」
星野は、深山と接するほどに、彼がどれだけ手強い相手かを痛感した。
引き際だ。
彼は営業スマイルで返し、容赦なく断った。
「深山さんは急ぎのご用事もなさそうですし、次の便をお待ちになっては?」
そして、そのまま私を連れて立ち去った。
私は足を引きずりながら、なんとか星野の歩調についていく。
ただ、心の中では好奇心が湧いてきた。
深山は何かあったのだろうか?
なぜそんなに急いでイタリアへ向かうのか?
私はつい振り返ってしまい、深山の情熱的な瞳とばっちり目が合った。
しかし、私と彼が目を合わせた次の瞬間――
深山の柔らかな笑みはあっという間に消え、恨めしそうに私を一瞥したかと思うと、すぐに顔をそむけ、まるで私なんて知らないとでもいうような態度を取った。
私は心の中で深山に親指を立ててあげた。
ほら!
先輩に星野の前では、私と距離を取るようにって言ったら、ちゃんと約束守ってくれる。
本当に優しくて、言うことをちゃんと聞いてくれるいい人だな!
先輩がここまで慎重なら、私も彼の足を引っ張るわけにはいかないと、すぐに顔をそむけた。星野に気付かれないように。
けれど、深山は私のためらいのない振り向きの仕草を見て、その目の中にますます不満がこもった。
「やっぱり、後輩ちゃんは薄情だな!」
―――
妊娠してから、体質でお腹はあまり目立っていないけど、中にはちゃんと赤ちゃんがいて、どんどん私の体のスペースを圧迫している。
そのせいで、トイレが近くなってしまった。
飛行機に乗って、わずか三十分も経たないうちに、私は我慢できずトイレに立った。
トイレの前に着いたその瞬間、私は何が起こったのか気付く間もなく、誰かの手にぐいと引きずり込まれた――