夜の帳が下りた。
私は星野侑二と一緒に、とあるプライベートレストランを訪れた。
一流の料理技術と贅を尽くした貴族的な雰囲気で、上流階級の間では広く知られている。
だから、ただ金さえあれば予約できるというわけではなく、それ相応の深い“背景”が必要なのだ。
星野にとって、背景と金は一番不足していないものだった。
だからこそ、私がスフォルツァ家の友人と連絡を取った後、矢尾翔にこのレストランの予約を頼んだのだ。
レストランに足を踏み入れた瞬間、贅沢な空気が全身を包み込む。
クリスタルシャンデリアが柔らかな光を落とし、大理石の床に幻想的な輝きを映し出す。レストランのレイアウトからカトラリーの細部に至るまで、お金の匂いが漂っている。
まるで……私はご飯を食べに来たのではなく、金を食べに来たのではないか、そんな錯覚さえ覚える。
だけど、まもなく会うことになる人物のことを思うと、私はみるみる顔色が青ざめ、手が震えだした。
星野は私の異変を鋭く察知し、暗い瞳で見つめる。
「どうした?」
声をかけようとしたその時、艶やかな女性の声が響いた。
「宮崎麻奈、足を引きずってるじゃない。これじゃあ首席ソリストの座、私と争えないわね!」
私はレストランの少し離れた場所を見上げた。
赤いベアトップのミニドレスを着た妖艶な女性が、見下すような目で、嘲るように私を見ていた。
彼女の名前はアンナ。
スフォルツァ家の現当主の孫娘だ。
私たちはロイヤルバレエアカデミーの時代から、そしてその後の王立バレエ団でも……ずっとライバル関係だった。いや、もっと厳密に言えば、死闘を繰り広げる宿命の敵だった!
ソリストの座を巡って、アンナは私に幾度となく罠を仕掛けてきた。
もし当時、宮崎家の庇護がなければ、彼女はきっと殺し屋を雇って、私を暗殺していただろう。
けれど、今の私は、かつての宿敵に頼らざるを得ない。
私は太ももをぎゅっと握りしめ、アンナにぎこちない笑みを向けた。
「そんな昔のこと、もう忘れかけてるわ。」
アンナの目が鋭くなった。
「あなたが忘れても、私は一生忘れないわ。」
悔しそうに歯ぎしりしながら鼻で笑う。
「子どもの頃から、私は誰にも負けたことがなかった。あなた以外にはな!」
私は寂しげに目を伏せる。
「でも今は、あなたが私に勝ったじゃない。」
誇り高かったかつての「お姫様」が、今や地に落ちた姿を見て、アンナは勝ち誇ったように笑った。
「そうよ、今のあなたは私に負けた敗者に過ぎないもの。」
彼女は一歩一歩、私に近づいてくる。
「学院の先生たちやバレエ団の先輩たちは、きっとあなたのことを会いたがってるでしょうね。彼らが一番期待していた生徒、最高の後輩を!」
そこまで言うと……
アンナはスマホを取り出し、悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「今から彼らにビデオ通話して、あなたの姿を見せてあげる!」
私はその言葉を聞いて、慌てて懇願しながら止めに入った。
「やめて!!」
生きるため、復讐のためなら、私はプライドも自尊心も捨てられる。
でも、私に期待してくれた先生や先輩たちに、今の障害者になった自分の姿だけは、絶対に見せたくなかった……
アンナは冷たく笑う。
「はぁ?それが人に頼む態度?」
私はアンナの嘲笑の中、情けなくゆっくりと膝をついた。
「お願い、ビデオ通話だけはやめて!」
アンナは勝ち誇ったように高笑いし、容赦なく嘲る。
「バレエ団が誇りに思っていた首席宮崎麻奈が、私にひざまずいてる!これは記録しておかなきゃ!」
そして、悪意たっぷりにスマホの録画機能を起動した。
私は慌てて顔を手で隠す。
「撮るのはやめて!」
アンナは止めるどころか、ますます高笑いした。
「撮るだけじゃないわ、私のインスタにもアップしてやる!」
アンナがスマホのカメラを私の顔にぐっと近付けたその時――
今まで冷静に傍観していた星野が、ついに手を伸ばし、アンナのスマホを取り上げた。
「もういい。」
今の彼には、アンナが私の友人ではなく、私を侮辱することが好きな宿敵だということが、はっきり分かった。
スマホを取り上げられたアンナは、星野を上から下まで値踏みし、強い興味を見せた。
「あなたが星野グループの星野社長ね!」
星野は私を床から立ち上がらせ、冷たい眼差しで見つめた。
「これが君の言う友人か?」
私は気まずそうに目を伏せ、何も言えなかった。
そんな私の慌てる様子に、星野侑二の視線は冷たくアンナへと向かった。
アンナは微かに眉を上げ、妖艶な微笑みを浮かべる。
「宮崎から聞いたわ。あなた、私のおじい様と会ってビジネスの話がしたいのでしょう?」
スフォルツァ家の当主は、もう何年も公の場には姿を見せていない。
星野もメディチとの提携を失ってから、スフォルツァ当主と接触するために幾度となく手を尽くしたが……全く成果がなかった。
だからこそ、今回私のルートを使い、イタリアまで足を運んで自ら関係を築こうとしているのだ。
アンナが「ビジネス」と口にしたのを聞き、私は星野の背後からそっと顔を出した。
「星野グループとスフォルツァ家が提携すれば、きっとウィンウィンになるはず。」
アンナは鼻で笑った。
「あなたが口でウィンウィンって言ったら、そうなるの?なんで私があなたたちの橋渡しをしなきゃいけないの?」
「聞いた話だと、あなたのおじい様の体調はどんどん悪くなって、もう長くないらしいね。こんな大事な時期に、外部から強力な助力が得られれば、あなたの一族にとって間違いなくプラスになるのだ。」
今のスフォルツァ家の当主、つまりアンナの祖父は、かなり博愛な人だ。
そのせいで、アンナには十二人もの叔父叔母がいる。
十三番目のアンナの父親は、当主にとても可愛がられているが、上の兄姉たちがもう資源をほとんど奪い取ってしまっている……
だから、アンナの父が当主亡き後に十分な利益を得るには、今は外部の助力を探すしかないのだ。
私は一言でアンナ一族の苦境を突いた。
アンナの艶やかな顔に、一瞬殺気が走る。
「祖父が重病ってこと、知ってる人はほとんどいないのよ。誰から聞いたのかしら?」
この情報が漏れれば、スフォルツァ家傘下の会社も株式も大打撃を受ける。
一日でも隠したいのが家族の本音なのだ。
なのに、なぜ宮崎が知っているのか?
同じく星野も不思議に思ってた。
この情報は、彼でさえ知らなかったのだから!
二人にじっと見つめられた私は、おずおずとアンナに目を向けた。
「一ヶ月前、あなたとリリィがクラブで飲んで、酔いつぶれたことがあったでしょう?」
それ以上は言わなかったが、アンナもすぐに察した。
アンナは怒りに満ちて叫ぶ。
「あのクソ女、私が酔ってる隙に話を聞き出した上、あなたにまで漏らしたのね!」
私はアンナの怒りを無視し、真剣な表情で訴えた。
「私が嫌いでも、今は……利益を最優先すべきじゃない?」
アンナの目は険しく光っていた。
「昔からあなたが嫌いだったけど、今でも大嫌いよ。」
だが、本当にこれだけで自分を思い通りにできると思った?
アンナは感情を抑え、星野の方をじっと見つめ、その瞳に狡猾で危険な閃きを宿した。