星野侑二の歩みは、一歩一歩、まるで足かせでもはめられたかのように重かった。
彼がここを去ることに、どれほど未練がましく、心残りがあるかは明らかだった。
だが、それでも去らざるを得ない。
ジェイムズはその様子に耐えきれず、顔を真っ赤にして怒りをあらわにした。
「患者の夫なのに、なぜ中には入れないんですか!今すぐあいつらを懲らしめてやります!俺が行って止めてやりますよ!」
ジェイムズはこんな屈辱を味わったことがない。
ましてや自分のボスを、こんな目にあわせるなんて、絶対に我慢できない!
星野侑二は、袖をまくり上げて喧嘩に行こうとするジェイムズの腕を掴み、真っ赤な目で睨みつける。
「行くな。」
ジェイムズは理解できずに言った。
「奥様に会いたくないんですか?」
「彼女の体は弱い。これ以上、刺激を与えたくないんだ。」
星野侑二は苦しそうにそう呟くと、ジェイムズをじっと見据え、命令を下した。
「ラファエルの医療チームが今後必要なものは、すべてお前が協力しろ。」
ジェイムズ:「……」
喧嘩もできず、逆に医者たちの言うことを何でも聞かなきゃならないだって?!
ジェイムズは悔しくて、悲しくて……それでも命令には逆らえず、不本意そうにうなずいた。
「分かりました。」
ラファエルは星野とジェイムズが去っていく姿を見て、口元を引き締めた。
ある童顔のメンバーが小声で言う。
「この星野社長も宮崎様には結構優しいね。」
ラファエルは冷たく鼻で笑う。
「遅れてやってくる愛なんて、雑草よりつまらないわよ!クズ男の後悔なんざ、値打ちない!」
ベンヤミンはすぐに思い出した。
最近、他のメンバーと一緒に噂してた、星野侑二と宮崎麻奈の愛憎劇を。
特に、星野が初恋の小林ひるみのために、宮崎を刑務所に送り込んだ出来事。
それを思い出すだけで、ベンヤミンは思わず自分に吐き捨ててしまう。
「ほんと、こんなクズ男、いっそ死んじまえ!」
同じ男として、彼を許せない。
そして、ベンヤミンは改めて自分のボスを誇りに思った。
「やっぱりうちの深山さまはイケメンで金持ちで、しかも優しい!」
ラファエルの目が少し怪訝になり、つい警告する。
「青野清子が前例よ、ベンヤミン、変な気起こさないでよ!」
ベンヤミンはすぐに察し、赤面で弁解する。
「ラファエル先生、俺は男だ!超がつくほどのノンケだ!!」
ラファエルは爆発しそうな純情ノンケをじっと見つめ、迷いなく決断した。
「うん、じゃ君は宮崎様の病室には入っちゃだめ。」
ベンヤミンはまた理解できずに叫ぶ。
「ええ、なんで?!」
ラファエルはベンヤミンの肩をぽんと叩いた。
「ボスがそれほど宮崎様を気にかけてるんだから、君みたいなノンケ男が同じ部屋にいたら困るでしょ。」
ベンヤミンはその場で沈黙し、心が折れた。
そして、弱々しく問いかける。
「でも、うちのチームには、青野清子って女の子がクビになったばかりで、もう他に女性いないよね?」
ラファエルは眉を上げた。
「私、女でしょ?」
そして、ラファエルはきっぱりと病室に入っていった。
——ジェイムズが「宮崎麻奈こそ、今後の女主人様として取り込むべき相手だ」と確信したように……
ラファエルもこのポイントに気づいた。
宮崎麻奈は、きっと将来の女主人様になる可能性が大きい、と。
ラファエルはその実力で自分の医療チームを世界トップクラスに引き上げてきた。
隠門の医療チームの中でもNO3の地位を誇っている。
しかし、彼女の目は決して短絡的ではない。
彼女は横だけでなく、縦の比較もする。
隠門は巨大な組織であり、医療チーム以外にも、経済チーム、研究チーム、傭兵チームなど十数種類の分野にわたるチームがある。
他のチームはすでに熾烈な競争を繰り広げている。
例えば、「黒龍」傭兵チームは、最近隠門のために鉱山を一つ手に入れたばかりだ。
組織メンバーが必死に競い合う中、自分が組織内で高い地位を占めるには、実力だけでなく、ちょっとした裏道も使うことを厭わない。
たとえば、未来の女主人様にしっかりいい印象を残し、コネをゲットするのだ!
ラファエルは病室に入り、ベッドに横たわる「未来の女主人」――私を見つめる。その目は燃えるような熱気をたたえていた。
もはやこれが病人だなんて、とても思えない!
明らかに、彼女は自分が昇進するためのはしご……いや、階段だ!
こうして、「ぜひとも出世したい」ラファエルの献身的な看護のおかげで、私はみるみるうちに回復していった。
ラファエルは主治医から、いつしか私専属の付き添い医師になり、食事管理まですべて手に取ってくれた。
半月の療養を経て、今では腕も脚もだいぶ回復した。
腕は自由に動かせるようになり、足も歩けるようになった。
このとき、ラファエルは私を支えながらダイニングテーブルまで連れていき、やさしく言った。
「今朝、辣子鶏が食べたいって言ってたから、用意させておいたよ。」
私はテーブルにつき、並んだ料理を眺めた。
辣子鶏だけでなく、他の料理も、私の好物ばかりだった。
私はラファエルを見上げ、ここ数日ずっと気になっていた疑問を口にした。
「先生とはいえ、なんでそんなに親切にしてくれるの?」
ここまで良くしてくれて、すでに医者と患者の関係を超えている!
ラファエルは本心を明かすわけにはいかず、さらりと責任転嫁した。
「深山彰人さまから、しっかりお世話するようにって命じられてるから。」
私は少し驚いた。
「じゃあ、青野清子だけじゃなくて、あなたたちみんな深山先輩の人なの?」
ラファエルは素直にうなずいた。
「ええ、私は深山彰人さまの部下よ。」
私は、深山の背後に大きな勢力があることは予想がついたが、世界トップレベルの医療チームまで、その勢力の一部だったとは?
先輩、どこまで実力を隠してたの……
ラファエルはさらに自分の主の評価を高めるかのように言った。
「実際、深山さまほど優秀な男性は他にいないわ。」
さらに積極的に情報を教えてきた。
「気づかなかった?最近、青野清子はもううちのチームにいないのよ?」
私は青野清子のことなどすっかり忘れていた。
今、ラファエルがわざわざ話題に出すので、少し興味が湧いた。
「なにかあったの?」
ラファエルは意味深な微笑みを浮かべた。
「宮崎様が不快に感じる要素は、どんなものであれ、深山様が全部始末してくれるのよ。」
私は箸を持つ手が空中で止まった。
私が不快だと感じたら、先輩が全部片付けてくれるの?
どうして、こんなに私に良くしてくれるの?
それは、兄の縁があるから?
そうだ、きっと兄のおかげだ。
じゃなきゃ、どうして先輩が、こんな泥沼の底みたいな私に、理由もなくここまで親切にしてくれるの?
私は心に波立つ感情を押し殺し、黙って箸で鶏肉を口に運んだ。
実は私は元々辛いものが好きだったが、星野に合わせるために無理やり淡白な味付けに変えてきた。
星野のことを思い出すと、私は少し眉をひそめた。
あの「愛してる」と繰り返した男は、もう半月も姿を見せていない。
私が星野侑二の異変を疑い始めたそのとき、病室のドアが勢いよく開け放たれた。
そして、ジェイムズがこっそりと頭を覗かせてきた。
ジェイムズが何か反応する間もなく、さっきまで優しかったラファエルがいきなり飛び出して怒鳴る。
「言ったでしょ!あんたもあんたのボスも、この病室に一歩も入っちゃダメ!」