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第3話 金曜日

衝撃の天使との出会いから1ヶ月。

亮輔りょうすけはあれから毎週金曜日に『incontrare』に通うようになっていた。



あの1ヶ月前の金曜日が奇跡的に空いていただけだったようで、

あの日以降、毎回10席程のカウンターは満席状態で、来店してきた客をお断りしている程だった。


マスターもカエデもオーダーや、ドリンク、フード作りの連続で、笑顔ではあるがとても忙しそうにしている。


亮輔はマスターに、少し世間話ができる程度で、カエデには話しかけるタイミングすらもなく、


ただ生グレープフルーツサワーをちびちびと飲みながら、ハマってしまっているマスター手作りオムレツ(大)をスプーンに乗せて大事に味わいながら、カエデの美しさを目で追うだけ…なのがここのところの過ごし方だ。



21時を過ぎても、

今日は珍しく亮輔の隣の席が一つだけ空いていた。


マスターは少し落ち着いた様子で、グラスの中身をちびりと口に含んだ。透明な液体は水なのか、アルコールなのか、酒のわからない亮輔には区別はつかなかった。


「ふぅ、坂口さん、すみません、なんだかバタバタしてしまって。ここのところ週末はありがたいことに、忙しくて。坂口さんとゆっくりとお話もしたいのですが。」


「いえっ!ここでゆっくりぼーっとできる時間が俺は癒しの時間です!!いつも席とってて下さりありがとうございます!」


ふふっとマスターは少し笑うと、カウンター越しに、小さな木皿を手渡してきた。


その木皿にはきゅうりや大根、人参が2切れずつ綺麗に並べてあった。


「これね、ぬか漬け。カエデが漬けてるんだけどね。いつも日本酒のおつまみで出してるんだけど、よかったら、食べて」


「えっ!!いいんですか!?…うわぁ、カエデさんが!?」


この野菜達にカエデが触れたのだと思うと、それだけでとてつもない高級品に思えてくる。


ちょうどバックヤードから戻ってきたらカエデと亮輔は目が合った。


「カエデさん!ぬか漬け!頂きますっ!!」


亮輔の大きな声に、

カエデは大きな目をもっと見開いてマスターを見たあと、亮輔に軽く頭を下げた。


亮輔は斜めにスライスされたきゅうりを口に入れる。

程よく野菜の旨みとぬかのしょっぱさがマッチしていて、口の中がなんだか一気に懐かしい感じになる。


「うまっ!」

「お口に合いましたか?良かったです。」


マスターはそう言い、嬉しそうに笑うと隣の客の注文を受けに行った。



カランカラン!


「いらっしゃいま…せ」

カエデの声が少し途切れた。


「やぁ、君。また会ったねぇ。坂口くん?少しは飲めるようになったかい?」


ふわりと色気のある大人の香水の匂いが

亮輔の鼻をくすぐった。

その匂いの主は亮輔の右肩に親しげに手を乗せてきた。


毎週会っているので、相川と亮輔はすっかり顔馴染みになっていた。


「あ、相川さん、こんばんは!お仕事お疲れ様です。酒は、いや、全くです…先週ハイボールに挑戦しましたが、なんか木を飲んでるみたいで…全然…。」

「ふはっ、君、25歳だっけ?そろそろウイスキーの美味さもわかるような男にならないと。…ね、カエデくん、ここでいいのかい?今日、坂口くんの隣で。」


カエデが少し怒ったような、不貞腐れたような表情をしていたので亮輔は驚いた。

いつも優しくどんなお客さんにも笑顔なのに…。


突き出すようにおしぼりを渡しているカエデに優しく笑いかける相川。


「今日はカエデの反応が楽しみだなぁ。いつにも増して可愛い顔、見せてくれよ」


亮輔は相川とカエデの顔を交互に見る。

カエデの顔がぐんぐん赤くなっていくのがわかった。



あれ…?え?


もしかして、カエデくん、相川さんのこと…?

いや、でもそれにしては怒っている、と言った感情を相川にぶつけているように亮輔には見えた。

喧嘩でもしてるのかな、この2人。

若干バチバチっとした空気が嫌で、ぬか漬けの人参を楊枝で刺した。



手をおしぼりで拭き終えた相川はマスターに手をあげる。

「マスター、いつものお願いね。」

「はいよ。」


阿吽の呼吸というのだろうか、声をかけられてすぐに、グラスに氷を準備し始めるマスター。


その間にカエデは違うお客さんの所へ行ってしまった。

カエデはそのお客さん…きっと常連なのだろう。…と楽しそうに会話をしている。

聞き耳なんて…と思うが、一目惚れした好きな相手が、他人とどんな会話をしているのかは、亮輔には気になって気になって仕方がなかった。


「ねぇ、日曜日デートしようか、舞台のチケット、ほらこれ、見たいって言ってたでしょ」

男が財布から横長のチケットを取り出した。

「わっ!それ!さすがです。あーでも、日曜日なぁ…用事ありなんです」

「えー、そっかぁ。じゃあ、コレ、無駄になっちゃってもアレだから、誰かカエデの知り合いにでもあげちゃってよ。」


男は2枚重なったチケットをカエデの手に握らせた。ほぼ無理矢理だ。

「あ、でも、お金っ、」

「いいから、いいから。俺とカエデの仲でしょ!」


カエデはにこりと笑うと

「ありがとうございます。俺また井上さんのこと好きになっちゃった!」

「うーわ、カエデったら、そーやって大人を弄んでー!悪い奴だなぁ」


はははっと楽しげな2人の笑い声が耳につく。


え、え、えっ!?

亮輔は口に入れた人参を噛めないまま、固まっていた。


カエデさん、あんな感じなの…

仲良くなったら…。

てか、やっぱり何か貢いだりとかしなきゃ、

近づけもしないってこと?

俺みたいに酒も飲まないでダラダラ座ってるだけの奴なんて。

眼中にも無い?


つぅっと冷や汗が流れる。

カエデがゲイ界隈のSNSでも騒がれるほど人気なのは知っていたはずだ。

だけど、こんなにも、距離があるとは…


何か来週は、プレゼントでも持ってこようかな…なにが、いいんだろ。

亮輔はカウンターに伏せていたスマホを点け、(好きな人)(プレゼント)と検索を始めた。


そんな亮輔をちらりと見ると、相川は呆れたような、それでいても、どこか楽しそうに話始めた。


「相変わらずだよねぇ、カエデ。さぁ、誰が一体あの小悪魔を堕とせるのかねぇ。僕は楽しみだよ。」


カランっとグラスの氷を揺らしながら、相川は美味しそうに琥珀色の液体を口へ含む。


「こ、小悪魔、って…カエデさんのことですか!?」

小悪魔とは真逆の天使だと思っている亮輔は驚いて相川に向けて椅子を回した。


「え?逆にあの子が清廉潔白な天使かなんかだと思うかい?あんな風にゲイバーで働いて、男に媚び売ってる奴が?」


「っ…、お、俺はっ、俺にとってカエデさんは、天使です!キラキラして、綺麗で、見ていると心がこう、あったかくなって…。も、もし、もし相川さんが言うように、小悪魔なんだとしても、俺は、彼に天使でいて欲しい!笑っていて欲しい!できれば、俺がそばに…あ、そんな、いや、彼のこと、何も知らないクセに…ですよね…、す、すみません。興奮して…」


言っていてだんだん恥ずかしくなってきて、亮輔は身体の向きを元に戻した。

熱い頬を冷やすように、ぐいっと残りの生グレープフルーツサワーを喉に流し入れる。


「ははっ、君は…、はははっ、そうか、そうか…そりゃカエデもな…ははっ、あー、こりゃ楽しみだ。」


相川はさぞ面白そうに手を叩きながら笑っている。

よっぽど変なことを言ってしまったのだろうか。

なんなら…カエデにはもう、決まった相手がいるのかもしれない。それこそ、相川みたいな大人の色気もあり、ガタイも良い男が相手だとしたら…。 

趣味のフットサルや、たまに行くジムの筋トレくらいでしか身体を動かしていない亮輔には勝ち目など、この爪楊枝の先ほどもないのかもしれない。


亮輔はどんどん不安になってきて、酔いがふわふわと回ってきてしまった。


「すみまへん。あの、何か、酔ってきちゃって…。今日はこの辺で、お先に失礼しますね。」


「大丈夫かい?タクシー呼ぶ?」


赤くなった顔の亮輔を相川は少し心配そうな顔をしてから、マスターに目配せをした。


「坂口さん、大丈夫ですか?すぐ、お会計ご準備しますね」

「あ、すみません、ちょっと、ふわっとする程度なので、ちゃんと、駅、行けますから…ほんと、酒弱くて…」


マスターが電卓を使って、計算をしている間に、亮輔は百戦錬磨そうな相川にアドバイスをもらうことにした。


「好きな相手に、贈るものって、何が良いですか?相川さんなら…」


相川は大して亮輔の方もみないで、にやりと含み笑いをしたまま答える。


「僕?僕なら…花かなぁ。相手の好みがわからないうちに下手なもの贈るより、花は嫌がる子、いないからねぇ」

「花…花ですか…、なるほど!ありがとうございます!!」




少し頭はふわついていたが、会計をカードで済ませると

酔っているはずなのに、ふわりと軽い足取りで亮輔は店を出た。



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