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第2話 理由なんて

シン…。と一瞬あたりの音が無くなった。


それは本当に一瞬で、すぐにBARのサックスのBGMが戻ってきた。



あ、あれ…俺…!?

今…!な、なんて言った!?


亮輔りょうすけは自分の口から出た言葉が信じられない。

初対面の人、ゲイバーとはいえ、しかも同性に…いきなり付き合って下さいって…まじでやばいやつだろ、俺。


全身からぶわっと汗が噴き出てきて、このまま消えてしまいたい。

とりあえず、謝ろう。

こんなの、超失礼だ。下手したら、二度とこの店には来れなくなるほどの事をしでかした。

『すみません、失礼しました。言い間違いです。』そう言おう。


亮輔は大きく息を吸う。



「おつまみ、何にしましょうか?オススメはマスター手作りのリエットです」


カエデは生グレープフルーツサワーを注いだ時と変わらない表情で

注文を再度聞いた。



え…?

あれ?

え?

俺、言った気がしてるだけ?

本当は言ってない?


あまりに変わらないカエデの表情を見て、亮輔は1人白昼夢でもみているような不思議な空気に包まれた。


怖くなってキョロキョロと辺りを見回してみた。


亮輔の右2つ離れた席に座っている、ロックグラスに丸い氷が浮いたウイスキーがよく似合いすぎている男…30代だろうか?亮輔よりは年上に見える、灰色のスーツの男が亮輔をちらりと見ると、目の前のマスターと親しげに話し始めた。


「ははっ、カエデファン?熱いなぁ。みんな果敢だねぇ。よく来てるの?彼」

「ふふっ、お客様のプライバシーに関する事は、私にはお応えできませんよ」



ワイングラスを柔らかそうな布で磨きながらマスターは何も興味などないかのように答えた。


「マスター、つれないなぁ、僕とマスターの仲じゃない」

「さて、お次は何飲むんだい?」

「くそー、はぐらかしやがって。ま、そんなとこもいいんだけどねぇ。これ、次も同じの、おかわりでお願い」


マスターはふっと口角をあげ軽く頷くと、後ろの棚にぎっしりと並んだボトルの中から迷う事なく、一つのボトルを手に取った。




「おつまみ、決まりましたら、また声かけて下さいね。お飲み物は同じものにされます?それともお冷お待ちしましょうか」


亮輔は慌てて目の前を向き直した。

やっぱり、目の前の天使は相変わらず輝いていた。


「あっ、お、おつまみ、は、その、おすすめの、もらいます。 飲み物も、同じの…で…」

「リエットと、生グレープフルーツサワーのおかわりですね、かしこまりました。」


カエデは軽く会釈をすると空になったグラスを手に取った。


亮輔は慌ててその手を掴んだ。

「!?」

カエデの瞳が黒く濁ったのが亮輔にもわかった。

でもその手をなぜか外せなかった。


「ごめんなさい!あの、さっき、変な事突然言ってしまって!!でも、あの、あなたほど美しい人見た事なくて!頭バグっちゃって…!」


「ありがとうございます。…では、おかわりお待ち致しますね。」


カエデはにこりと変わらない笑顔のままだったが、亮輔の手を振り解くその手の動きは、笑顔に反して力強いものだった。



…謝れたけど、でもあれ、ぜってー怒ってるやつだよな。キモい客だと思われただろうなぁ。

でも何だろ。あのカエデって人を見ていると、すんげー胸が苦しくなる。変な汗が出てくるし。

一目惚れってやつなんだろうか。

でも、カエデの雰囲気からしたら、そんな変な客多いんだろうな。あしらい慣れてる。


亮輔はスマホに映し出されていたマッチングアプリの画面を消す。

今日は、もう少し、もう少しだけ、あの天使を見ていたい。

この出会いは運命な気がする。

もう少し近づきたい。



亮輔は飲みなれないアルコールでふわっとし始めた頭を懸命に冷静に保ちながら

2時間近く、カエデの動きをずっと目で追っていた。




「ありがとうございました。またお待ちしております」

カウンター越しにカエデとマスターが頭を下げる。

22時なり、さすがに生グレープフルーツサワー2杯とオレンジジュース、数品のおつまみだけで粘るには限界だった。


「あの、カエデさん、今日は本当に失礼しました。…あの、また、また来ても、良いですか?」


その瞬間、カエデの目元は少し赤らんだ。

カエデはマスターをちらっと見たあと

「は、はい。また、ぜひ。私は日、月以外は出勤ですので…」


「…え……。」


亮輔は驚きカエデの瞳をじっと見た。

一般的な接客挨拶だけで、これっきり来るなと威圧されるかと思っていたからだ。


まさか、休みの日まで教えてくれるとは…。

また、会いに来ても良いってこと?

亮輔はちぎれかけたカエデへの糸が絡まってくのを感じた。


「カエデ…さん?あの…カエデさんて、本名、なんですか?」


亮輔は自分がこんな、ナンパ野郎みたいな軽い人間だったのかと、今日の自分の言動には驚いてばかりだ。


「…おれ、いや、私の事、もっと知りたかったら、また。一見さんに私の情報は教えられません」


さらっと俺と言った、カエデの素の喋り方がわかっただけで、まるで天に昇るような気持ちになるのはなんなんだろう。


「はいっ!じゃあ、教えてもらえるように、また来週!来ます!」


カウンターに前のめりになる亮輔を落ち着かせるかのように、マスターがカエデの前にそっと立つ。


「お客様、宜しければお客様のお名前もお伺いしてもよろしいでしょうか?よろしければまた同じ席、ご用意しておきます。」


「坂口です!坂口亮輔です!!よろしくお願いします!また来週金曜日来ます!」


まるで体育会系の部活の挨拶のような元気すぎる声がBARの中に響いた。


「ぶっ!!」

灰色スーツの男性が思わずと言った様子で吹き出したのが聞こえて、

亮輔は湯気が出そうなほど、赤くなった。


「す、すんません。じゃあ、帰ります。あの、お邪魔して、すみませんでした。ご馳走様です!」


亮輔はもうカエデの顔など見る余裕もなく、逃げるように店のドアからで出ていった。



亮輔が帰った後の店内には、

マスター、カエデ、灰色スーツの男が残り、店内のBGMがやけに大きく聞こえた。



マスターは亮輔の食べ終えたマスター手作りオムレツの空になった皿を下げながら

カエデをちらりと見た。

「どうしたんだい、楓。珍しい。君があんなに一見さんと話すなんて。」


カエデは客席側に周り、カウンターをダスターで拭きあげる。


「別、に。変なやつだったから、からかったら、面白いかなって」


カランと、丸い氷を鳴らしながら、ウイスキーを口に含んだ灰色スーツの男が、カエデに親しげに話しかけ始める。


「カエデくんのオキニみつけちゃった感じー?彼、結構イケメンだったじゃん、あーいうのがタイプなんだー。鉄壁のカエデくんもついに誰かさんのモノになっちゃうのかなー?あの彼がカエデくんのお初相手になるなんて、お兄さん妬けちゃうなぁー!」


だんっ!!とカエデは苦虫を潰したような表情でカウンターを拳で叩くと灰色スーツの男にダスターを投げつけた。

「キモいんだよ!相川!!早く帰れ!!マスターもなんでこんなキモいのがいーのか、わっかんねー!」


「こら、楓。い、ち、お、う、相川くんは今、お客さんだからね。金払ってる内は、言葉違いと、態度に気をつけなさい。」



「おいおい、君たち。お客様になんて態度するんだよー」


へらへらと話す相川をカエデはぎっ!と睨むとカウンターに戻り洗い物をするため腕まくりをする。


マスターと相川が何やらこそこそと話しているけれど、ジャージャーと水を流して聞かないようにした。


「りょうすけ、りょうすけ…か。どんな字なんだ……って、あんなナンパ男!…騙されるかって。顔だけだ、あんなん!!また本当に来やがったら…思いっきり振ってやる!本当に、来たら…」


カエデは頭を大きく振ると、つけ過ぎた洗剤で泡だらけになったグラスを洗う事に集中した。










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