「いつもありがとう!またきてね!」
カエデがドアの所で40代くらいのにやけた顔をした男を見送った。
その様子をちらりと見た亮輔の太ももの上で、また今日も受け取ってももらえないであろうガーベラの花束が、静かに横たわっていた。
初めて花をプレゼントした日から、すでに2ヶ月が経とうとしていた。
初めての時から、先週まで、一度たりともその花は受け取ってもらったことはない。
でも、これをやめてしまったら、カエデへの気持ちを諦めたのだと思われそうで、
ガーベラの花束は亮輔の本気を伝えるためのアイテムとなっていた。
亮輔の隣のカウンターを片付けているカエデの方に身体の向を変える。
「カエデさん、いつもすみません、あの、これ…」
受け取ってもらえないのが当たり前になりすぎて、
もう、自信もすっかりなくなった。
ただあるのは、カエデに少しでも近づきたい。連絡先だけでも良いから、カエデの生活の一部に、自分も入らせてもらいたい。
付き合ってもらおうなんて考えは、もう夢の夢のそのまた夢すぎて、
最近では少しでも少しでいいから、カエデの事を知りたい。
それだけの気持ちが亮輔を動かしていた。
「受け取らないって言ってます。お金の無駄とか思わないんですか?」
カエデは亮輔の方を見もせずにアルコールでカウンターを拭き上げる。
「いや、無駄なんかじゃないよ。俺の本気の気持ちの伝え方…これしかわかんなくて。でも、さすがに……しつこい、すよね」
はぁ。
亮輔はため息をついて、カウンターへと向きを変えた。
花には何も罪なんてない。
「あ、マスター、またお店によかったら飾ってください。」
「ははっ、いつも私が貰ってしまって…すまないねぇ。楓も……いや、ありがとう、ここに飾ろうか」
んんっ!とカエデが大きな咳払いをして亮輔の隣から離れていく。
もう、潮時かもしれない。
一向に振り向いてもらえない相手に恋をし続けるのは。…推し活ならまだしも、リアルな人間にするにはリスクもダメージもデカすぎる。
亮輔はスマホのカレンダーをタップして、初めてこの『incontrare』に初めて来た日を辿ってみる。
もう、あの出会いから、暴走した告白から、3ヶ月が経った。
何も、何ひとつとして、カエデとの距離は進展していない。
そっとスマホの灯りを消して、尻ポケットにスマホをねじ込む。
亮輔は深く深呼吸すると、生グレサワーを飲み干し、マスターへ告げた。
「マスター、俺、来週で最後にしようと思います、ここへ来るの。」
ガシャン!!!!
グラスか、皿かが大きな音を立てた。
「楓!?大丈夫かい?怪我してないか?」
「あ、泡で、滑った。ごめん、お皿割れた。」
「皿なんて、いいよ。怪我がなくてよかった。危ないから私が片付けするからね。そのまま置いておきなさい」
マスターがカエデの手をチェックして、どこも怪我をしてない事に、ほっとしたような表情になる。
「っお、オレ、新聞紙取ってくる」
カエデはバックヤードへと消えていった。
マスターは亮輔の方へ向きを変える。
「坂口さん、その、さっきお話しされていた、来週で最後というのは…。楓の態度は…毎回指導しているのですが、やはり楓の事ですよね?」
亮輔は頭を振った。
「いえ、違います。俺の気持ちの問題なんです。もう、これ以上は…カエデさんに迷惑かけられないな、と思いまして。俺、嫌われてますからね、ははっ」
出会って数秒で突然告白してきた男なんて、気持ち悪いに決まっている。
カエデにとっては店の客だから、突っぱねることもできず、迷惑をしていたのかもしれない。
そう考えると、自分勝手に花を送り続けるのは、ストーカーまがいだったと自分の行為が恥ずかしくなる。
「そうですか…とても、残念ですが。来週もこちらのお席、用意しておきますね。もし気が変わられたら、いつでもいらして下さいよ。」
マスターはとてもがっかりとした様子で、伝票をめくりながら電卓を叩いた。
亮輔は「ごちそうさまです!」となるべく明るく、店中に響くくらいの声を張った。
カランカランッ
店のドアベルが亮輔の気持ちとは裏腹に軽快に鳴った。
カチャガチャッ
マスターは新聞紙の上にそっと白い平皿のかけらと、元ワイングラスだったガラスを、集めていく。
「ごめん。マスターのお気に入りの皿…割っちゃって。」
「大丈夫だよ。なに、楓がお皿割っちゃうような、なにか動揺でもする出来事でもあったのかい?」
マスターは優しく笑いながら、カエデの方を見ないまま聞いた。
カエデは亮輔の座っていたカウンターから筑前煮と切り干し大根の煮物の入っていた和柄の皿とオムライスのデミグラスソースが少しこびりついた平皿を下げる。
数週間前から試験的に始めた和風メニューも常連客からかなり人気で、先週からは仕込み量を増やしてね。とカエデはマスターに頼まれていた。
「ねぇ、マスター、あいつ…来週、最後って、言ってた?」
「ん?何のことだい?…よし、カケラはもうないかな。まだ細かい破片あるかもしれないから、私が洗い物するよ。」
マスターがカエデから皿を受け取ろうとすると
「いいっ!オレが洗う!……あいつ、もう、来ないのかな…マスター、何て言ってた?もう…」
カランカランッ
「いらっしゃ…おや、相川さん。もう閉店するとこだよ」
「ふふん、ナイスタイミングってことね。鍵かけちゃっていい?」
まるで自分の家かのように店のドアの鍵をガチャンと閉める。
「マスター…いや、もう誰もいないか。
相川はカウンターには座らず、グラスを拭きあげているマスターの隣にぴたりとくっつきそろりと腰を撫でる。
「あの!オレいるんですけど!そーいうの家でできないんすか?」
カエデは皿を洗い終えた手の水気を白いタオルで拭き取る。
「あらあら、ウブな楓ちゃんには刺激が強いかな? あんなに男たぶらかしキャラのくせにね? 処女だって知ったら、今以上に猛獣たちうじゃうじゃあつまってくるんだろうねぇ? あー、しかもね、楓ちゃん。ここのテナント、俺の名義だから。俺と
「おい、
カエデは、まるで磁石のようにくっついているマスターと相川龍一をじろりと睨むと、腰に巻いていた黒いサロンを外す。
「はいはい、あとはお二人でごゆっくりイチャイチャどうぞー。お邪魔虫は退散しまーす」
小さなテーブルの上にパソコンが置かれ、大人2人が入り切れるぎりぎりの小さなソファが置かれただけの狭い事務所で、カエデはさっと着替えを済ます。
ショルダーバッグを斜めに掛け、鏡を見る。この顔の、どこがいいんだか…。
毎日見飽きた自分の顔を歪ませる。
「んじゃお疲れ様ーす。空きビン外に出しときますね!」
カエデはもう一度店内にちょこっと顔を出して、挨拶を済ます。
すでに2人はカウンターの隣同士にぴったりと座り、ロックグラスを2人で揺らしていた。
「あっ、楓!忘れてる!」
マスターが慌てて立ち上がった。
「あっ、そうだった…」
マスターから受け取った透明なセロハンに包まれたものをカエデは両手で抱える。
「可愛いな、ガーベラ…」
ぽそりとカエデは誰にも聞こえないように、そっと呟き、店の裏口のドアをそっと閉めた。