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第6話 雨と夢

亮輔は今までの人生で一番、酒を飲んでいた。


『incontrare』のドアをくぐるのも今日が最後。

そんな亮輔の気持ちを知ってなのか、外は傘をさしても頭しか守れないくらいの土砂降りだ。



ひどい雨音を店のBGMと共に聴きながら、

雨がもう少しやんだら、帰ろう。

亮輔はそう決めていた。

しかし、

今日でカエデに会えるのが最後だと思うと、もっと、もっと長く最後までカエデを見ていたい。雨なんか止まなくていいのに。

そんなごちゃ混ぜな感情の処理の仕方など、亮輔にはわからなかった。



飲んだこともないハイボール、焼酎の水割り、日本酒、マスターは困ったような顔をして「その辺にしておいた方が…」と何度も伝えたが、

亮輔は酒を飲み続けた。


20時から飲み始めて、間も無く22時。

お酒の強い人にとってはなんてことない酒の量だろうが、亮輔をぐらぐらと酔わすには十分すぎる酒量だった。


頭がぼわーんとする。

手も足も、自分の言うことをよく聞いてくれない。箸が手から転がって、そのまま床にカツっと落ちた。それを拾おうと身体を動かしたけれど、

ぐらぐらと頭が揺れて、しゃがみこめず、そのままカウンターにごつん、と突っ伏した。


「坂口さん、はい、お水、ちゃんとチェイサー飲みながらじゃないと。」

「はぁーい、すいませぇーーん」

返事はするが、亮輔は頭が上げられず、そのままうとうとと眠くなってきた。


「坂口さん、あの、今日…」

天使の声が舞い降りてきて、亮輔は慌てて顔を上げた。


「カエデさんっ!この、肉じゃが、めっーーちゃ最高でしたー!カエデさんの料理、毎日たべたいっすー!!って、もう無理なんですけろねぇーー」

亮輔はにこにこと笑いながら、空になった手の平サイズの和柄の皿をはいっ、とカエデに手渡す。


「ありがとう、ございます、あの…」

「カエデさんっ!俺、きょーがさいごでーす! 今まで、ありがとうございましたぁー、カエデさん、幸せになって、くらはいねぇー!!」


亮輔は目が半分閉じた状態のまま、カエデに感謝の気持ちを伝えた。

なんとしても、今伝えておかなくては、もう二度とこの綺麗な天使と話す機会などない、酔った頭でもそれだけははっきりとわかっていた。

そして、自分がもう、限界なこともさすがにわかっている。

雨音は相変わらずだが、

マスターに会計を頼む。


カエデが亮輔の目の前に立ち、モジモジと手を動かす。

「坂口さん、今日、お花…」

「あー、お花はもー、迷惑だし、雨もすごーいから、もってきませんでしたー!いつも、すみませんー!」


嘘だった。

最後の最後まで受け取ってもらえなかったら、本当に全ての自信がなくなりそうで、椅子に掛けてあるリュックの中に、赤いガーベラを閉じ込めてあった。

今ならノリで受け取ってもらえるんじゃ?最後の別れの品として…


酔った頭でそんな考えがよぎるが、身体は思うように動いてくれなかった。


亮輔はスマホのタッチ決済で会計を済ますと、ふらふらと見事な千鳥足でドアへと向かう。


「坂口さん!タクシー呼びますから」

「だいじょぶれす!まーだ終電、あるから、駅まで、2分もかからないじゃないれすかー!」


マスターの静止を振り切り

「ごちそうさまれしたぁー!最高なお店れしたー!」

と肩をドアにもたれさせながら笑顔で挨拶した。


これで、最後だ。

亮輔のぼやける視界の片隅に、天使がうつる。

こちらを見もせず、他の客と楽しそうに話している。

それがカエデの答えだ。


これ以上未練たらしくならないように、後ろ手にドアを閉めた。


亮輔はふう、と頭を軽くふると、

ザーザーと雨の中の降る中、歩き出した。


あ…傘。

店の傘立てに置き忘れた事に気がついたが、もう、戻る気はしなかった。

せっかく最後だと決めたんだ。

もう、いいや。


一瞬でTシャツもジーンズも雨を吸って、ぐっしょりと濡れる。

酔ってふらふらとした身体には、それが鎧のように重く感じた。

駅の明かりは眩しく見えているのに、なかなか足がいう事を聞かなかった。


このまま、ここで寝ちゃおうかなー。酔っ払った頭では冷静な判断などできず、駅のロータリーのベンチに座り込んだ。


そーだ、

こんな濡れてちゃ、電車乗れねーじゃん。

も、いっか、眠っちゃお。


亮輔はベンチに寄りかかり、そっと目を閉じた。


「坂口さん!!!!!」

バシャバシャバシャッ

水を大きく跳ねかせる音と、天使の声が重なって聞こえた。


俺、相当やばいな。

幻聴まで聞こえるんだから。

あーあ、カエデさんと、どっかデートでも行ってみたかったなぁー。


「坂口さん、はぁ、いた。…はぁ、傘、傘、忘れて、ます、…て、もうびしょびしょじゃないです、か…はぁ…」


突然亮輔の周りだけ雨が止んだ。

ザーザーと雨の音はするのに?

なんだか不思議に思って、重たい瞼を開けると、天使が傘をさして、亮輔のことを見下ろしていた。

え…!?


「っえ!?うわっ!!!えっ!?えっ、カエデ、さん!?な、なんで、ええっ?」


驚きすぎて、ベンチから飛び跳ねるようにして立ち上がった。



カエデは黙ったまま、亮輔の紺色のグラデーションが入った蛇の目傘を差し出した。


「あ、ありがとう、ございます、わざわざ…」


傘を受け取ろうとしたが、カエデは傘をぐっと握りしめたまま離してくれない。

「カエデ、さん?」


「…も、……と、おなじ…のか?」

ボツボツボツッと激しい雨音がカエデのさしている傘を鳴らしていて、俯いたカエデの声は亮輔には聞こえなかった。


雨がシャワーのように顔を濡らし続けて、うまくカエデの顔を見ることができない。


「カエデさん?なんて、言いました?」


カエデのさしているビニール傘の中を覗き込む。

亮輔と目のあったカエデの目は、雨のせいだろうか、今にも溢れそうなほど、水の膜が張っていた。


その水を手でそっと拭おうとした瞬間、

思い切りTシャツの胸ぐらを掴まれ、天使の顔があまりにも目の前に来た。

一気に天使の顔が雨でぐしょぐしょになる。

『あぁ、天使は濡れてもきれいだぁ』

亮輔がうっとりとその美しさに見惚れていると、さらにTシャツを引っ張られ、ちょっと息が苦しくなった。


「おまえも!!!他の奴と、同じだったのかよ!!…付き合いたいって!嘘だったのかよ!!!最後って!何なんだよ!なんで、なんで……好きだっていうんなら!オレを…オレを、本気にさせてみろ!!!」


亮輔は何を言われているのか、全くわからなかった。

もう一度聞き返そうと口を開いた瞬間、

むにっと柔らかいものに覆われてしまい、ますます息ができなくなって、何が起きたのか、脳みそが処理しきれない。


それは一瞬だったのかもしれない。

けれど、亮輔には10分くらいの長い時間に感じた。


口から息ができるようになった瞬間、目の前のあまりに長いまつげが、亮輔の目の前でふるりと震えた。


え…これ…。

え?…今、キス?してた?

俺と、カエデさん?


「お願いだから、最後なんて、言うな…」

カエデが話すたびに動く唇が、亮輔の唇に触れる。


亮輔はカエデの、自分より細い身体を思い切り、力の限り抱きしめた。

「好きだ、好きだ、好きだ、カエデさんっ」


これは、なんて素晴らしい夢なんだろうか。あまりに全てがリアルすぎる。


現実であってくれ、いや、夢だとしたら、もっと、もっと彼を感じたい。身体中で堪能したい。

亮輔はたまらず、目の前の雨で濡れ光っている唇に吸い付いた。

「っん、…ふっ、ん」

耳元で聞こえる甘い声がますます酔いを深くさせていく。

ここがどこかだなんて、

男同士だからなんて、

そんなのはどうでもよかった。

この夢が醒めてしまう前に。


もっともっと、彼を感じたい。

唇をさんざん吸った後で、唇を舌でなぞり、少しの隙間から舌をぬちっとねじ込むと、ぴくっと震えながらも、舌先で、ちょんと迎え入れてくれる。

その舌を絡めとり、唾液の甘さをすする。

「んぁ、…あっ、」


その声は下半身にダイレクトに熱を伝えた。

痛いほどのそこを、カエデの余計な肉の無さそうな、腹筋に押し当てる。


「オレ…っあ、まっ、て、あ、んんっ、家、すぐ、…そこ、なん、です…ん」


舌を絡めとられながら、何かを必死に話そうとするカエデの言葉も、

一体自分が何をしているのかも、

もう、亮輔は何も考えられないほど、頭が真っ白になっていた。



















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