白い聖職者が頭を下げて教会へ戻っていった。
ネジは風に吹かれてたたずむ。
「どうする」
サイカがつぶやくように言う。
低いその声は、先ほどまで朗々と祈りをささげていた。
「サイカ」
「どうした」
「どうして祈りを知っているの?」
「いろいろあったんだ」
サイカは軽くため息をつく。
いつものように様になっている。
「ラプターのことも知っていたね」
「悪い人間は何でも知っているのさ」
ネジは驚いてサイカを見る。
サイカが悪者っぽく笑って見せた。
ネジはきょとんとしてしまう。
真っ赤な前髪で視線がわからないが、
多分、鳩が豆鉄砲食らったような反応だ。
「いちいち真に受けるな、反応に困る」
サイカはいつもの不機嫌そうな真顔に戻る。
「とりあえずどうする」
「少し町を歩きたいな」
「そうか」
サイカが先にたつ。
ネジはいつものポジションで後につく。
サイカはきっと悪ぶっているけど悪者じゃない、
ネジはそんなことを思う。
悪者はあの祈りなんてできないと思った。
町を歩く。
市場があって、野菜が売られている。
この町のチーズも売られている。
市場の上に青白い歯車があって、
そこから市場の店々に動力が分配されているようだ。
青白い歯車は、
戦争のあとにできた喜びの歯車。
市場は小さいながらも活気があって、
人が元気よくやり取りしていて、
時々子どもが走っていく。
「どうだい、味見でも」
チーズのお店から声がかかり、
ネジはチーズを味見する。
硬いのになんだかふわふわした味がする。
「不思議な味だなぁ。硬いのにとろけちゃう感じ」
「お、兄さん通だね」
「これも歯車で?」
「そうさ、歯車が届いてから作ったのでさ」
「今までと比べてどうです?」
「そりゃ、すごく楽になったな」
「ふむふむ」
「喜びの歯車って言われるわけだと思うよ」
「なるほど」
ネジはうなずく。
そしてお辞儀をすると、お店をあとにして市場を歩く。
サイカがいつもの表情で待っている。
「何か買うか?」
「いや、楽しいからいいよ」
「そうか」
サイカは短く答えると、そのまま歩き出した。
小さな市場を抜けて、
ネジとサイカは宿に戻ってくる。
一階の酒場で、軽いランチをやっているらしい。
新鮮な野菜とおいしいパンで昼ごはん。
おばさんが作ってくれた。
「おじさんは?」
ネジがたずねる。
「涙が止まらないのよ」
「涙が?」
「何か思い出しちゃったらしくてね」
厨房からおじさんが顔を出す。
目にたくさんの涙。
ネジはさっきそんな人を見てきた。
「おじさん」
「あのじいさま、しんじまったのか?」
鼻声でおじさんは話す。
ネジはどのおじいさんかは、わからないけれど、
きっと今日弔った、あのおじいさんだと思う。
「ひとり、おじいさんを弔いました」
ネジは言葉を選ぶ。
おじさんはおいおい泣き出した。
「あの爺さんはみんなに優しかったんだよ。俺も、俺も」
おじさんの目を、おじいさんの涙が洗っている。
「大戦で生き残ったなんていっても、みんなに優しかったんだよ」
おじさんの中で、たくさんの感情らしいものが走っているのだろう。
ネジは当然その全部はわからない。
けれど、あのおじいさんは罪人なんかじゃなくて、
戦争で守りたい人がいた。
多分、あの女性や、このおじさんみたいな人。
きっと守って、そして死んだ。
おじいさんは涙になって、みんなの目を洗ってくれている。
さっぱりすればおじいさんのことは、もう、悲しくないはずだ。
悲しみは大きい。
失うのはつらい。
「おじさん」
ネジは声をかける。
「悲しむだけ悲しんだら、笑ってください」
ネジは心のそこからそう思う。
カウンターでがんばっている、おじさんのほうが生き生きしていると。
悲しみだけではつらすぎる。
だから時があるのかなとネジは思った。