園遊会当日。
王宮の広大な庭園には、華やかなドレスに身を包んだ貴族令嬢たちが集まっていた。
噴水が煌めき、花々が咲き誇る中、貴族たちが優雅に会話を交わしている。
「はぁ……やっぱり来てしまった……」
レオノールはため息をまきつつも、表向きは完璧な淑女として振る舞っていた。
今日も相変わらずの女装——いや、もはや普段通りの姿だ。
彼が纏っているのは、淡いラベンダー色のドレス。
繊細なレースがあしらわれ、胸元には上品なパールの装飾が施されている。
スカートの裾が風に揺れるたび、ふわりと優雅な動きを見せる。
仕立ての良いドレスは、彼の華奢な体にぴたりと馴染み、儚げな美しさを際立たせていた。
すると、周囲の視線が集まり、令嬢たちの間でひそひそとした話し声が交わされる。
「まぁ……あの方がサヴィア公爵家のレオフィア様……」
「うわさどおり、美しい方ね……」
まるで一人だけ輝く宝石のように注目されている。
これが普通の社交の場なら、気にも留めなかった。
しかし今日は第一王子の婚約者を決める場である。
(ヤバいな……目立ちすぎてる……!)
なるべく目立たず、誰とも深く関わらないようにしようと決めた矢先——。
「久しぶりだな、レオフィア嬢」
不意に背後から落ち着いた声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは——
「第一王子……ヴァンツァー殿下……!」
王国の第一王子にして、今回の園遊会の主役。
金色の髪が陽光を受けて輝き、紫暗の瞳が静かにこちらを見つめている。
その立ち姿は、まさに王族にふさわしい気品と威厳を備えていた。。
レオノールは静かに礼をする。
「お久しぶりでございます、ヴァンツァー殿下」
ヴァンツァーの視線は鋭く、だがどこか熱を帯びていた。
(なんか……この視線、嫌な予感がする)
レオノールの不安は的中した。
(え、なんかすごい見られてるんですけど……!?)
このままでは妙な誤解を招きかねない。
適当に会話を済ませて、この場を離れなければ——そう思った矢先、ヴァンツァーは予想外のことを口にした。
「君と少し話したい。よければ、散歩に付き合ってくれないか?」
(…………は?)
令嬢たちの間から驚きの声が上がる。
「えっ、ヴァンツァー殿下が直々に話を……?」
「もしかして、お気に召された……?」
園遊会に参加している誰もが、レオノールに視線を向けた。
(ヤバい……ヤバすぎる……!!)
レオノールは焦りを隠そうとするが、頬がひくりと引きつる。
かすかに額に汗が滲み、ぎこちなく指先をドレスの裾で握りしめる。
一方のヴァンツァーは満面の笑みを浮かべてはいたが、視線は真剣そのもので一切の逃げ道を与えないようだった。
慌てて断ろうとしたものの、王族の誘いを正面から拒否するわけにもいかない。
結果、レオノールはヴァンツァーとともに庭園を歩くことになってしまった。
ヴァンツァーに連れらてきたのは会場から少し離れた静かな場所だった。
そこは見事な薔薇が咲き誇る庭だった。
(はぁ……どうにかこの場をやり過ごさないと……とりあず、適当に話して、そんでトイレとか言って離れよう)
第一王子の婚約者を決めるパーティーで第一王子と二人で歩くなどとんでもないフラグである。
とりあえず、ここは何としても回避しなければとレオノールは思った。
「……花が綺麗ですね」
ごく普通の、当たり障りのない話題のはずだった。
だが、ヴァンツァーは一瞬驚いたように瞬きをすると、ふっと微笑んで、まっすぐレオノールを見つめた。
「貴方の方が綺麗です」
「…………え?」
レオノールは思わず固まる。
(い、今、なんて言った!?)
ヴァンツァーは薔薇の花にそっと手を伸ばし、一輪を折る。
その動作に迷いはなく、まるで最初から決めていたかのようだった。
紫暗の瞳には迷いがない。
「レオフィア嬢」
名を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねる。
ヴァンツァーは真っ直ぐにこちらを見つめている。
紫暗の瞳が、揺らぐことなくレオノールを捉えて離さない。
彼の手には、たった今折り取ったばかりの薔薇の花。深紅の花弁が、まるで鼓動のように揺れていた
「……婚約してください」
その声は静かで、それでいて確かな熱を帯びていた。
一瞬、時間が止まったように感じた
(え……?)
頭が追いつかない。
耳を疑うほどに、唐突で、そしてまっすぐな告白だった。
ヴァンツァーの表情は真剣そのものだった。
いつもの冷静で落ち着いた雰囲気ではなく、幼さの残る少年らしい決意と緊張が見え隠れしている。
完全に想定外の言葉に、レオノールは息が詰まった。
(な……なななな何を言ってるんだこの王子はっ……!?)
ヴァンツァーの顔は真剣そのもので、ただの社交辞令ではないとすぐに分かった。
そのままレオノールの手を取り、摘み取った薔薇を差し出す。
一瞬の沈黙。
静かに風が吹き抜け、薔薇の甘い香りが漂う。
あまりの出来事に、レオノールの思考は停止していた。。
(ちょっと待って、意味が分からないんだけど!? なんで!? まだ八歳なのに!?)
慌てて平静を装おうとするが、指先がかすかに震えているのが自分でも分かった。
「……私ではお答えできません。父にお伝えください」
どうにか絞り出した言葉。
出来るわけがない。
なんといっても自分は『男』なのだ。
だが、それを今、ここで言うわけにもいかない。
ヴァンツァーの瞳が、わずかに揺れる。
「……君の意志は?」
まっすぐに問いかけられる。
今すぐにでも「無理です!」と叫びたい。
でも、それはできない。
「……それも、父に相談してから」
とにかく、この場を逃れることが最優先だった。
ヴァンツァーは少し考えるように視線を落とした後、再びレオノールを見つめた。
その眼差しは、まるで何かを確かめるようだったが——やがて、静かに頷く。
「分かった。では、正式にサヴィア公爵に話を通そう」
(だから、それがまずいって言ってるんですけど!?)
レオノールは、地雷を踏み抜いてしまったことを悟りながら、未だ差し出されたままの薔薇を見つめ、ただ呆然と立ち尽くしていた。