「……つまり、どういうことになっている?」
公爵家の執務室。
上質なソファに腰を下ろしながら、リオン・サヴィア公爵は目の前の手紙をじっと見つめた。
その手紙——すなわち、第一王子ヴァンツァー・フォン・リズベルトからの正式な婚約申し込み。
ここ数日、屋敷はこの件で大騒ぎだった。
何せ、園遊会から戻ってきたレオノールが顔を真っ青にして「第一王子に婚約を申し込まれた」と告げたのだから、驚かないはずがない。
使用人たちはざわめき、侍女たちは噂話を交わしながらも、レオノールを気遣うように距離を取っていた。
「……だから言ってるでしょう。婚約を申し込まれました、と」
レオノールは疲れたようにため息をつきながら、静かに繰り返した。
「正確には、正式にサヴィア公爵家へ話を通すと言われたのですが……まあ、その通りになりましたね」
その横では、公爵夫人ミーシャが優雅に紅茶を口にしながらも、微妙に眉をひそめていた。
「レオノール、あなた……何か妙なことを言いませんでした?」
「言ってませんよ。『父に相談してください』としか言ってません」
「……それが決定打になったのでしょうね」
ミーシャが小さくため息をつく。
「つまり、断れない、ということか……?」
リオンは数枚の便せんを机に置き、こめかみを押さえた。
「本当に、なぜこうなったのか……」
リオンは嘆息しながらも、冷静に状況を整理しようとしていた。
第一王子が公爵家の令嬢に婚約を申し込むなど、ただの思いつきでできることではない。
単なる気まぐれならば、手紙を出して正式に申し込むような手順は踏まないはずだ。
「知りたいのはオレの方ですよ」
レオノールは肩をすくめる。
「ヴァンツァー殿下は……本気なのか?」
沈黙が降りた。
レオノールはちらりと両親の顔を見て、ゆっくりと答える。
「……ええ、おそらく」
ヴァンツァーの真剣な眼差し、差し出された薔薇、その言葉の一つ一つを思い返す。
あの瞬間、彼は迷いなく自分に手を差し伸べていた。
それは遊びではなく、策略でもなく、ただ純粋に自分を想っての行動だったように思える。
「それが余計に厄介ですね」
ミーシャが苦笑する。
「まさか、第一王子の……いずれ皇太子殿下になる方からの婚約を簡単に断れるとでも思って?」
「……思ってませんけど」
公爵家の面々はそろってため息をついた。
その空気を察したのか、側に控えていた執事がそっと紅茶を継ぎ足す。
「となると、どうするか……」
リオンが考え込むように顎に手を当てる。
「陛下に直接申し出て、お断りするしかないか?」
「……王家を正面から拒否するのは、かなりのリスクを伴いますよ」
「だが、これ以上話が進めば、取り返しがつかなくなる」
沈黙が落ちる。
「……オレに王妃になれって?」
「ならせる気はないわよ」
ミーシャがさらりと返す。
「ただ、陛下をどう説得するかが問題だな」
「そこなんですよ……」
レオノールはため息をつきながらも、ヴァンツァーの意図を改めて考える。
彼はなぜ自分を選んだのか。単なる好意だけなのか、それとも……?
再び、三人はそろってため息をついた。
こうして、公爵家は今日も混乱の渦中にあった。
◆ ◆ ◆
王宮の廊下。
「……ヴァンツァー殿下、お話があります」
低く抑えた声が響く。
ヴァンツァーが足を止めると、そこにはカッシュ・グラードが立っていた。
「おや、カッシュ。何か用か?」
「単刀直入に言います。なぜレオフィアに婚約を申し込んだのですか?」
その言葉には、明確な敵意が込められていた。
「ふふ、ずいぶん必死だな。君がそこまで気にするとは、意外だよ」
クスっと嗤う。
「あなたが彼女に好意を持っていることは否定しません。しかし――」
カッシュは一瞬、言葉に詰まる。
「王族としての立場を利用して、彼女の意志を無視するような真似をするのは許されません」
ヴァンツァーはその言葉を聞いても動じることなく、むしろ微笑すら浮かべた。
「カッシュ、君は何か勘違いをしているようだ。私は彼女の意志を無視したつもりはないよ」
「本当に?」
カッシュの視線が鋭さを増す。
「レオフィアはこの婚約を受け入れることを望んでいますか?」
ヴァンツァーは微かに目を細めた。
「……それを確認するのは、これからだよ」
「……なら、彼女の答えを聞くまで、この話を進めるべきではありませんね」
カッシュは一歩前に踏み出し、ヴァンツァーの目を真っ直ぐに見据えた。
「レオフィアが本当に望んでいないなら、あなたはどうするつもりですか?」
ヴァンツァーはしばし黙り込んだ後、微笑を崩さぬまま口を開いた。
「それは、彼女が私にどう答えるか次第だね」
二人の間に、緊迫した沈黙が流れる。
王宮の静けさの中で、二人の視線が交錯した。