今はお昼過ぎ。王宮を出て歩く私は実は地理が分からない。王宮に連れて来られたのは十歳の頃で、家から王宮までの道のりなんて覚えていない。かろうじて王子妃教育を受けていたお陰で、王都の中の事は頭に入っている。
思い出すのよ、アリアーヌ。私の家は…。
そう考えながら歩き出す。
◇◇◇
知らせを聞いた俺は急いで王宮に向かった。
一体、何が起こっている?!
何が起こっているのか全く分からない。王宮に入り、王族の間に入った俺は自分の目を疑った。
目の前に居る王太子の隣には見た事も無いようなピンク色の髪の女。王太子はその女の肩を抱いて満足そうにしている。
「これは、デュランベルジェ侯爵閣下。」
王太子であるグラナードがそう言う。
「これはどういう事ですか?」
俺の元に届いた達しの書かれた紙。そこにはアリアーヌの聖女解任と、聖女交代が告げられていた。俺がその紙を差し出しながらそう言うと、グラナードは笑いながら言う。
「達しの通りですよ、閣下。」
国王を見る。国王は俺から目を逸らしている。事の重大さを理解していないのはグラナードだけだと分かる。俺は溜息をつき、紙を懐にしまう。
「デュランベルジェ侯爵閣下、彼女が新しい聖女です。」
そう言ってグラナードが肩を抱いているピンク色の髪の女を見る。その女はグラナードを見上げ、俺に視線を移し、言う。
「聖女のユーリと申します。」
俺はその女を一瞥して、踵を返す。
「デュランベルジェ侯爵閣下!」
そう呼び止められて足を止める。呼び止めたのはグラナードだ。
「もちろん、引き続き、聖女の支援を続けてくださるんですよね?」
そう聞かれて俺は振り返らずに言う。
「私が支援していたのは聖女では無く、アリアーヌだ。だからアリアーヌが王宮を出されたのであれば、私には王宮を、聖女を支援する理由は無い。よって、今日この時より、私からの支援は打ち切りとさせて頂く。」
そう言って歩き出す。
一体、何が起こっているんだ…。聖女解任?! 聖女の交代だと?!
とにかく、今は何が起こっているのかは、後回しだ。アリアーヌが王宮を出されたのだから、引き留めなければいけない。彼女は王都には詳しくない筈だ。ずっと王宮に閉じ込められ、教会と王宮の行き来しかしてこなかったのだから。遠くには行っていないだろう。
「閣下。」
そう言って速足で歩く俺に付いて来たのは俺の持つ騎士団の団長補佐であるロイクだ。
「今すぐ、王宮の周辺を捜索しろ。アリアーヌが居る筈だ。まだそう遠くまでは行っていないだろうが、急げ。それから執事のアムランにも、屋敷の準備を進めておくように伝えてくれ。」
ロイクが返事をして走り出す。俺も自分を急き立て、速足で歩く。見つけなければ。何としてでも。
◇◇◇
「父上! 何とかならないのですか?」
俺がそう聞いても、父上は溜息をついて、首を振る。
「おそらく何を言っても無駄だろう。デュランベルジェ侯爵はもう王宮を、聖女を支援しないと言ったのだから。」
デュランベルジェ侯爵家――――彼の家門はこの国で最高地位に居る父上をも凌ぐ、一大勢力だ。政治的にも、軍事的にもデュランベルジェ侯爵家を超える家門は無い。そのデュランベルジェ侯爵家がこの王室に仕えている最大の理由は「聖女の支援」の為だった。
聖女は一人しか生まれず、貴重で希少な存在だ。その治癒能力と加護の力の強弱で、治世が上手くいくかが決まるとも言われる程なのだ。その昔は王家に仕える家門がそれぞれ、聖女に支援をし、聖女はそれを享受して、その家門にも加護の力を与えていた。その中での最大勢力がデュランベルジェ侯爵家だった。
代々、受け継がれて来た伝統ともいうべき、その流れの中で、聖女の支援をずっと続けて来たデュランベルジェ侯爵家。勢力が衰えて行く貴族が多い中で、彼らの家門だけは堅実にその歩みを進め、強固な地盤を持ち、今では聖女の支援はデュランベルジェ侯爵家のものとなっている。
そして今代の聖女がアリアーヌになってからも、その支援はずっと続いていた。ずっと続く支援、その支援をアリアーヌにではなく、王族のものとしたのが父上だった。アリアーヌよりも前の聖女たちは王宮の中に聖女宮を与えられ、自由に王宮の中を歩く事が許されていた。しかし、アリアーヌの前の聖女が力が弱いにも関わらず、支援を自分の欲しいものや贅沢品に使い始め、加護の力を与える代わりに金銭を要求するようになったのだ。だからこそ、聖女自身に力を持たせる事に疑問を持った父上がその支援を全て、王宮に入れる事にしたのだ。
お陰で王宮は潤ったし、足りなければ支援の増額を申し出れば、デュランベルジェ侯爵家はいくらでも支援を惜しまなかった。それが八年近く続いたのだ、これからもずっと続くと思っていた。
それなのに、デュランベルジェ侯爵閣下はアリアーヌじゃなければ支援を打ち切ると言い出した。アリア―ヌは聖女の力を失っている。もう聖女では無いのだ。聖女の力を持っているのはユーリだというのに。
「グラナード様…私から侯爵閣下に申し出てみます。」
ユーリがそう言う。
「そうだな、聖女であるユーリが言えば、きっとデュランベルジェ侯爵閣下も納得なさるだろう。」
俺はユーリの肩を抱き、そう言う。
◇◇◇
何故! 何故、私ではダメなの!
私はグラナード様の隣の部屋で一人、イライラしていた。
やっと聖女という立場を、王太子殿下の婚約者というと立場を手に入れたのに!
「落ち着いてください、ユーリ様。」
そう言って姿を現したのはエドガールだ。
「エドガール、ここへは来ないでって言ったじゃない。」
そう言うとエドガールは少し笑う。
「私がここへ来ても誰も気付きませんよ、ご安心ください。」
エドガールは私に近付き、言う。
「ユーリ様は聖女になったのですから、堂々と、そして優雅に振る舞うのです。」
聖女の最大支援者であるデュランベルジェ侯爵家。その侯爵家の支援を聖女が私だからという理由で打ち切られては、私の立つ瀬がない。
「とにかく、デュランベルジェ侯爵様にお会いしないと。」
エドガールはそう言う私の肩に手を置き、言う。
「そうです、ユーリ様直々にお願いをすれば、きっとデュランベルジェ侯爵閣下も納得されるでしょう。今はあなたが聖女なのですから。」
◇◇◇
歩き出した私の心は晴れやかだった。こんなふうに王都を自由に歩けるなんて! しかも誰も私の事を知らず、私の行動を制約するお付きの人も居ない。活気溢れる街の人たち。歩きながら私は頭の中で王子妃教育で学んだ、王都の地理を思い出す。こんな形で王子妃教育が役に立つなんて思ってもいなかった。
王宮に居た時には役に立たなかったものが出た途端、役に立つなんて皮肉よね
そう思いながら私は自身の家がある方へ歩いて行く。歩くだけだともしかしたら今日中には着かないかもしれない。どこかで馬車の手配をした方が良いのかな。でも馬車ってどうやって手配するんだっけ?