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第八話 いいひとは誉め言葉 ※蒼士視点



 車から降り、駆けだした東雲しののめくんの後ろ姿を見送る。正直、危なかった。もうちょっとで押し倒すところだった····。


(いいひと、か····結局俺は、それ以上にはなれないし責任も持てない。悪役にもなりきれない中途半端な人間なんだよな)


 痛いところを突かれた。というか、むしろ核心というか。歴代の彼女のほぼ全員が別れ際に言う台詞がそれ・・だった。ただひとりを除いて。


「あっちもどうやらフラれたようだな」


 スマホが計ったようなタイミングで鳴り、取り出した画面を見れば『吉野ひより』からの電話だった。まあ、あれで気付いていないはずはないよな。きっと愚痴でも言いたいのだろう。余計なことをしてくれた、と。


「もしもし、ひよりちゃん? なにか用?」


『あら~、先輩もフラれちゃったんですかぁ? 電話に出るってことはそういうことですもんね~。せっかく略奪するチャンスだったのに、また"いいひと"で終わらせちゃったんですか?』


「君と一緒にしないでもらえる? 俺は弱ってる子をどうにかしようなんて思わないだけだよ。まあ、今回は····珍しく本気で考えたけどさ」


 くすくすと電話越しにひよりちゃんは笑っていた。俺が本音を漏らしたのがそんなに面白いのだろうか。まあ、面白んだろうな、うん。


『先輩は欲望を抑えすぎなんですよ。時には本能のまま動くのも大事です。でないと、本当に大切なものまで逃しちゃいますよ?』


 君はいつだって本能のままに生きているからな。それは羨ましくも思うし、怖くも思う。なにかあった時に責任はぜんぶ自分が追うことになるのだから。特に彼女のようなケースは、そうだろう。


 他人のモノを奪って満足して、相手が本気になったら別れるを繰り返している。それによって傷ついたひとや壊れたものを元に戻すのは難しい。当然その恨みの矛先はすべて壊した者へと転化される。


 けれども彼女は、なぜかすべてを相手のせいにしてうまく切り抜けてきた。運が良いのか弱みでも握っているのか····不思議でならない。


「君も今回は運が悪かったのかな? それとも相手がまったく君になびかなかったか」


『ちょっと急ぎすぎたとは思ってますよ? 先輩があの子を連れて来なかったら、もうちょっと我慢できたんですけどね。あの地味な子が彼の恋人だなんて意外すぎましたけど、でも私はすぐに気付きましたよ?』


 彼女のそういうのを感知するアンテナにはいつも驚かされる。微妙な変化や場の空気を読み取り、相手に合わせるのが得意なのも武器だ。それは人間関係において役に立つだろうし、彼女の場合は恋愛関係にも大いに役立っている。


『だって彼、私がなにを話しても上の空だったのに、あの子に名前を呼ばれただけで電源が入ったみたいに動揺しちゃってましたから。いつもの彼の演技感がぜんぶ真っ白になって、台詞が飛んだ大根役者みたいになってましたし』


「それだけ、あの子が特別だったってことだろう? 君もそろそろこういうの止めたらいいんじゃない? 俺が言うのもなんだけど」


『珍しいこと言うんですね。ちょっと会わないうちになにかありました? 先輩だって本気で恋愛したことないでしょ? どんな心境の変化が?』


 本当にそうで。俺は今まで本気で恋をしたことがない。いつだって相手に合わせて言葉を選んで行動して。そのくせ深く関わるのを避けてきた。いつからかセフレくらいが一番楽な関係と思うようになり、誰かを好きにならないように一定の距離をおいて接するようになった。


『先輩、もしかして本気であの子のこと? あの子、そんなに魅力的なんですか?』


「本気もなにも、あの子は······いや、まあ、うん、そうかもね。俺らしくないけど、今回は"悪い大人"にも"いいひと"にもなりきれなかったからな」


 ひよりちゃんはふたりが男同士でそういう関係・・・・・・なのに対してはどう思っているのか。自分にまったく興味のない男にアピールし続けるようなことはしないだろうが、邪魔をするという意味では彼女の癖を満たせるのかも?


『先輩、私、先輩と別れる時に言いましたよね? いいひとは誉め言葉だって。あの子を連れ去らなかったのは、先輩の優しさでしょ? 先輩は誰にでも等しくいいひとなんです。それは悪いことではないし、誰も傷つけないじゃないですか』


 どうした、ひよりちゃん····。

 急に熱弁しだした彼女に、俺は首を傾げる。


『私が先輩と別れたのは、先輩の特別になれないと知ったからです。私はいつだって全力で愛されたいんです。期間限定の恋ですが、だからこそ全力なんですよ。私のすべてを利用して好きになってもらう。振り向かせる。それが私の恋愛なんです』


 言っても、ぜんぶひとの彼氏だけどね。


『それが失敗に終わった時の悔しさは、私しか知りません』


 う、うん? つまり?


『先輩は変わらず、"いいひと"でいてください。"都合のいいひと"ではなくて、"善人"という意味です。で、また私が失敗した時に今みたいに慰めてください』


「慰めるもなにも、俺、なにもしていないけど?」


 ただ電話に出て話を聞いているだけ。

 慰めるもなにもないだろうに。


『普通、三日で別れた元カノの電話に秒で出ないでしょ? 未練があるならまだしもその気もないくせに。それは先輩が"いいひと"だからですよ』


「単純に君の失敗を笑いたかっただけかもよ?」


『それはないです。断言できます』


 きっぱりとそう言い切ったひよりちゃん。


 まあ、別に笑う気はなかったからそういうことにしておこう。フラれた彼女を慰める気もなかったけどね。そう思ってくれているなら、それはそれで良しとするか。


『じゃあ先輩も頑張ってくださいね。前に進むためには、盛大に失恋するのも時には必要ですよ? 前途多難でしょうけど、人間諦めなければなんでもやれますから』


「えー······それはちょっと、」


 じゃあまた、とそこで電話が切れた。

 俺はスマホをしまい、車を発進させる。


(これは失恋といえるのか? 告白すらしていないのに?)


 昔の自分だったら、気になるひとでもそうでなくても、目の前であんな顔見せられたら相手の望むカタチで慰めていただろう。でも東雲くんは俺の思った通り、自分で決めて行動することを選んだ。


 それくらい、彼が大切なのだろう。幼稚園の時からずっと好きだった、なんて。一途すぎるだろう。色々とあって、とも言っていた。ふたりにとって簡単な恋じゃなかったのだろう。当然か。


「······諦めなければ、か」


 自分なりのやり方で、この少し変わった『恋』を楽しむのもありかもしれない。今の職場にいる間は良い関係を築けるだろう。その中で少しでも意識してもらえたなら、それだけでも嬉しいかもしれない。片思いというやつだ。


「やっぱり"変"だろうか····」


 好きかもしれないひとの恋愛を、傍で応援してあげたいと思う気持ち。東雲くんには笑っていて欲しい。あのふわふわした可愛らしい笑顔が見られるなら、それだけで満足かもしれない。


 やはりこの『恋』は、『変』で合っている。


「······雨?」


 ぽつり。

 降り出した雨。等間隔で咲いている桜の木が雨粒が当たる度に上下に揺れていた。この道に咲く桜の木は今の頃に満開になる。ライトアップもされて青や緑の光が白い花びらを彩っていて、この通りを車で走る時のひとつの楽しみでもあった。


 雨に濡れたフロントガラスを飾る桜の花びら。

 春ももうじき終わるだろう。


 ひらひらと花びらが舞い散る中、俺は目的もなく車を走らせた。




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